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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第七章 影の剣技
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 一瞬、身体が宙に浮く感覚があって、足裏に衝撃を感じた。

 久忠は尾行舟の船上に躍り込んだ。どすん、と大きく音を立てて勢いづき、思わず上体が前へのめりそうになる。

 久忠の隣に、朧が、こちらは、ひそとも音を立てず、降り立った。ぐらつくなどの、見っともない真似はしない。

 二人は、舟の船尾あたりに着地している。船首を見やると、舟を操る水主と、船頭が仰天した表情で、こちらを見詰めていた。

 水主と船頭が、ぱくぱくと口が動き、悲鳴を上げようとした瞬間、朧がひょいと動いて、無言で両腕を閃かせた。

 何が起きたか、久忠にはよく判らない。ただ、朧が両腕を舞踏のように動かすと、その場で水主と、船頭がぐらりと上体を傾かせ、棒のように硬直して倒れた。

 後で朧は「経絡を刺激したのだ。適度な力で経絡を押すと、人を気絶させるのも、簡単な技なのだ」と説明してくれた。

「儂に同じ技を掛けられるのか?」

 久忠が反問すると、朧は何も言わず、ニヤリと笑っただけだった。恐らく、必要があれば、朧はあの玄妙な技を久忠に仕掛けるかもしれない。

 二人を倒し、朧と久忠は鋭く船上を見回した。

 他に誰かいるか?

 倒れた水主と、船頭が、久忠の乗り合わせた舟を追跡した主体とは思えない。確実に、二人を雇った人間が他にいるはずだ。

 殺気!

 凝然と背後に感じた気配を感じ、久忠が無意識に身体を捻じった。刹那、ひゅっと冷たい感覚が頬に走る。

 かつっ! と軽い音がして、帆柱に短剣が突き刺さった!

 たらり、と熱いものが頬に垂れる。思わず手をやると、ぬるりと血潮が触れる。

 船尾の屋根に、藍色の官服を身につけた、年の頃二十五、六と思える若者がうずくまっていた。両手には、数本の短剣を握っている。

 朝日が、急速に霧を吹き払って、若者の顔を照らしていた。細面で、厳しい修行を重ねたらしい鋭い目付き。手足は発達していて、緩やかな官服の上からも、筋肉の動きは見て取れた。

 手強い……。

 一目見て、久忠は相手の力量を計っていた。

 久忠は無言で、大刀を抜き放った。

 じりっと、男は屋根から舷側に降り立った。両手に持った短剣を、今にも久忠に向かって投げつける気配である。

 久忠の後ろに、朧が立っている。

 その朧は流れるような一挙動で、久忠の前に位置を変えた。

「朧っ! 邪魔するでない!」

「太郎左衛門殿。こやつは、お主には手が余りそうじゃぞ。儂に任せぬか?」

「何ぃっ!」

 久忠の胸に、むらむらっと怒りの炎が燃え上がった。

 何という侮辱!

 朧は、平然と続けた。

「この男、儂が見計らうに、儂と同じ闇に生きる者のようじゃ。お主の剣術とは水と油。中々に、仕留めるのは難しいかもしれぬ」

 朧と久忠を等分に見た若者は、二人の会話に焦りを見せ始めた。朧と久忠は日本語で会話しているが、内容は口調で察せられたらしい。

 若者の視線は、朧に向かっている。

 久忠は朧を押し退け、前へ出た。

「拙者の剣が敵うかどうか、験してみようぞ!」

「御勝手に……」

 朧は、あっさり、引き下がった。

 久忠はぐっと手にした大刀を振り被り、上段の構えを取った。足場を固め、腰を落とし、一瞬の剣先に総てを懸ける。

 相手は奇妙な構えを取った。

 上体を前へ折り曲げ、まるで土下座をするかのように、頭を下げる。が、視線は片時も久忠からは逸れない。両手は背後に伸ばし、白鳥が羽搏く直前のような、姿勢になった。

 両手には、十本の短剣を握り締めている。

 折り曲げた相手の全身から、久忠に向けて、猛烈な殺気が押し寄せてきた。

 久忠は構えた両腕に、力を込めた。

 次に相手の示した動きは、完全に久忠の予想を裏切った。

 ぴょーん、と男は真上に飛び上がり、ほとんど自分の身長ほどまで浮かぶ。

 はっ! と久忠が顔を挙げると、男は空中で身を捻り、手にした短剣を一挙に投げつけてきた。

 久忠は歯を食い縛り、身を投げ出して男の投げた短剣を避ける。恰、恰、恰っ! と、短剣が舟板に次々と突き刺さった。

 ごろごろと転がった久忠は、猛然と起き上がると、男が着地する地点を予期し、全力で殺到した。

 ほとんど本能的な動きで、手にした大刀を薙ぎ払う。

 男が飛び上がった角度と位置から、確実に手ごたえがあるはずだった。が、久忠の刃先は空を切る。

 しまった! 今の自分は、丸っきり無防備だ!

 久忠は振り払った大刀を回転させ、背中にぐるりと戻した。その瞬間、かつんっ! と乾いた音がして、何かが刀身に当たる感触を手に感じた。

 危ない所だった。刀身を背中に回していなければ、今のが久忠の背中に深々と突き去っていただろう……!

 糞っ!

 久忠は心中、思わず毒づくと、狂おしく敵を探す。

 いない?

 船上には敵の姿が見えない。

 と、まるで見当違いの方向から、ざんぶとばかりに、水音が聞こえる。

 顔を音の方向へ向けると、水面が激しく波立っている。ばしゃばしゃと水を掻く音がして、久忠が相手をしていたあの若者が、抜き手を切って、泳ぎ去っている場面を目撃した。

 逃げられた──のか?

「見事!」

 朧が無感動に、声を掛ける。「見事」という掛け声は、自分に向けたのか、それともあの若者に向けてか?

 多分、久忠を誉めたのではあるまい。

 久忠は諦め、大刀を鞘に納める。

 目の端で、朧が船板に身を屈め、何かを拾い上げる仕草を認める。身を起こし、他人事のような口調で呟いた。

「あ奴、中々やるのう……。儂ら二人を相手にする不利を悟り、さっさと逃げ出したのよ。それにしても、危ういところだった。やはり、儂が相手するべきだったな」

 久忠の怒りが爆発する。

「何を申す! このような狭い場所でなければ、拙者が仕留めておったはずじゃ!」

「いやいや」と、朧は軽く笑った。

 朧が拾い上げたのは、男が最後に投げつけた短剣だった。柄は細く、刃先は両刃で、柳の葉のような形をしている。慎重に扱いつつ、朧は首を何度も振って呟く。

「もし、この短剣が、お主の皮膚を一寸でも切り裂いたら、その場であっという間に、死ぬるところだった」

 久忠は愕然となった。

「毒が塗ってあったと、申すのか?」

 朧は頷き、手にした短剣の刃先を鼻に近付けた。くんくんと、匂いを嗅ぐ。

「左様。先に投げつけた短剣は、目眩ましじゃ。最後に投げつけた一本が、奴の切り札じゃろう。全部の短剣に毒を塗っては、戦いの時に、誤って自分を傷つける怖れがあるからのう……。お主の刀身が、偶然にも当たっておらぬば、最後じゃ」

「そうか……」

 久忠は意外な結果に、肩を落とした。

 つい、正々堂々たる戦いを希求するが、考えてみれば、朧や、あの若者たちにとって、正々堂々という言葉は存在しないのかも、しれなかった。

 朧は諭すような口調になった。

「闇は闇同士、戦うのが自然と儂は考える。太郎左衛門殿、お主にはお主の、あい相応しい戦いの場がある!」

 久忠の怒りは、綺麗さっぱり消え去っていた。やはり朧の忠告には、耳を傾ける値打ちはあるらしい。

 ともかく、肝心要の相手を逃がしてしまった今、ここには用はない。二人は後始末を済ませると、元の舟に戻った。

 船頭は打ち合わせた通り、一旦、舟を進ませた後、元の埠頭に舟を戻してあった。

 宿泊のため、陸に上がっていた船客は、こんな騒動が起こったとは露知らず、出発の時間が近づくと、三々五々埠頭へと姿を表した。

 が、アニスと小七郎の姿が見えない。

 じりじりとして、待ち続けた久忠は、船頭に交渉して、出帆の時間を延ばしてもらい、二人が宿泊した宿へと足を向けた。

 宿に踏み込んだ久忠は、そこで、ある大騒ぎに遭遇する。

 何と、宿が襲撃され、アニスと小七郎が誘拐されたという報せだった!

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