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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第七章 影の剣技
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 夜のとばりが落ちつつある。

 ほのぼの々と、夜空に星が瞬き始め、西の空は一瞬、濃い紫色に染まると、呆気なく残照を暗闇に譲った。

 久忠はじっと、夜空を見上げている。

 朧の予言は当たらなかったな、と皮肉に考えた。朧は、今夜は夜霧が出るだろうと、予想したのだが、夜空は満天の星空で、夜霧どころか、雲ひとつない。

「心配ない。夜明け直前には、たっぷりと、霧がこの辺りを覆っておるはずじゃ」

 朧は、艫に座って悠然と久忠の質問に答えた。

 二人は夜明けを待って、行動を開始する手筈になっている。朧の態度には、不安など、一欠片も見受けられない。腕組みしたまま、朧は片方の目玉をぎらりと光らせて、久忠に問い質した。

「それより、船頭には、きちんと説明してあるのかな?」

 久忠はやや、憤然と言葉を返す。

「当たり前じゃ。銭もたっぷり、渡してある。かならずや、儂らの命令通り動いてくれるはずじゃ!」

「そうだと、良いのだが……」

 朧は他人事のように呟く。

 これ以上の議論を諦め、久忠は船尾に向かって、足を組んだ。

 舟の帆は畳まれ、桟橋にはもやいが結わえ付けられている。船客は鎮江の町へ休憩のために上陸していて、舟に残っているのは久忠と朧、船頭だけだ。アニスと小七郎も、上陸して宿をとっていた。

 夜になっても昼の暖かさは消えず、気温はどちらかといえば、生温い。運河が昼の熱を保持しているためだ。

 見上げると、満天の星空はぼうっ、と煙ったように見えている。湿度が高い。

 久忠はひたすら、夜明けを待って身じろぎもせず、耐えた。

 いつの間にか、うとうとしていたらしい。

 肩を揺する朧の手に、久忠はぎくりと、身を強張らせた。

「おい、始めるぞ」

「判った」

「まだ眠いかね?」

 からかうような口調に、久忠は黙って頭を振った。朧の、他人を馬鹿にする口調は、生まれつきだろうが、好きになれない。

 気がつくと、辺りは濃い霧に埋まっている。空を見上げても、霧に阻まれ、何も見えない。夜明けの微かな光りが瀰漫びまんし、奇妙な灰色の闇に久忠は全身を浸していた。

 朧の予言が当たった!

 船尾にある、船頭が住まっている屋根を潜る。船頭はちゃんと起きていた。

 すでに口頭で何度も指示していた通り、船頭も無言で動き始めた。するすると帆を降ろすと、舫を解き、いかりを引き上げる。

 ねっとりとした霧の中、あるかないかの微風を受け、舟は音もなく川面を滑り出す。

 じっと耳を澄ませていると、川面を通して、背後から微かな慌しい音が聞こえてきた。

「慌てておる、慌てておる!」

 朧が、楽しげに囁いた。

 こちらの出帆を悟って、尾行してくる舟が、急いで帆を揚げているのだ。

 きい──、と船頭がゆっくりと舵を動かして、舳先をめぐらせた。

 船首を見ると、霧の中に他の川舟が静かに停泊している。舟の間は詰まって、久忠の舟は間を縫うように進んで行く。

 まだ明かりが残っている間に、久忠たちは停泊している舟の位置関係を、頭に充分、叩き込んでいた。

 右に見える舟を避ければ、次に左に二艘見えてくるはず……。ようし、いいぞ! 次は棒杭が突き出ているはずだから、これを避けて面舵を取って一呼吸前へ……。

 頭の中に、あらかじめ描いた航海図通りに、舟は進んで行く。密集した舟の間を、久忠の川舟はするすると、無音で通過してゆく。

 背後から、ごつん、どしんと何かが物に当たる音が響く。向こうは、このような事態を想定しておらず、ほとんど手探りで進んでいるらしい。

 物音が響くと、同時に鋭い叱声が聞こえてきた。当てたほうの人間か、それとも、当てられた舟の人間が、怒りの声を上げているのだ。

 舟の真ん前に、不意に陸地が出現した。運河の分かれ道だ。あらかじめ打ち合わせたとおりに、舟は左側の運河に進んで行く。

 運河の分かれ道の直前に、一艘の船が舫われている。朧と久忠は、舟が通過する直前、ひらりっ! とばかりに躍り上がると、舫っている舟に飛び降りた。

 朧はその場で舫を解き、帆を大急ぎで揚げた。舟を動かす技能は、忍者の得意なのか、本職の船頭も顔負けの動きだ。

 物音に、この舟に乗り組んでいる船頭が、異変に気付いて目を覚ました。抗議の声を上げる直前、久忠は刀を抜き放ち、刃先を船頭の喉下へ突きつけた。

「声を上げれば、うぬを殺す! 分別をわきまえ、黙っておれば、後で褒美を遣わす。今、死にたいか、それとも、後で銭を手にしたいか? 二つに一つじゃ!」

 久忠の厳しい声音に、船頭は両目をぽっかりと見開き、がくがくと何度も頷いた。久忠の選んだ舟は、右側の分かれ道を進み始めた。

 さっと背後を振り向くと、尾行舟が、帆を一杯に揚げ、久忠の舟に迫ってきていた。今までの距離ではなく、声を上げれば届くほどの近さだ。

 霧が濃く、昨日までの距離では見失ってしまうからだろう。もちろん、久忠と朧はこれを狙っていた。

 追跡舟は、久忠の舟に並んだ。朧と久忠は、頭を下げ、舷側に潜んだ。

「あの舟は違うぞ! しまった、分かれ道で見失った……!」

 霧の中から、口惜しそうな声音が聞こえてくる。

「舳先を回せ! 先の支流に入るのだ!」

 ぎいい……と、帆柱が軋んでいる。相手の舟は進路を変えようと、悪戦苦闘している。微風の中では、それは難しい仕事だ。ばたばたと、船上で駆け回る足音が近い。

「今だ!」

 朧が口早に囁いた。

 久忠は、さっと立ち上がり、目の前に併走している川舟に向かって、身を躍らせた。

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