五
運河は鎮江という場所で、長江と交叉する。京杭大運河が、南北を繋ぐ幹線道路とすれば、長江は黄河とともに、大陸の東西を貫く連絡路になっている。
舟は、十字路を形成している運河に近づきつつあった。十字路の周囲には、無数の桟橋が作られ、東西南北から通過する舟を目当てに、様々な店が川を挟んで立ち並んでいる。
ここで、三人家族は舟を乗り換えた。娘は、小七郎に未練たっぷりで、何度もいつか再会できるよう手紙を出して欲しいと、繰り返し掻き口説いていた。
小七郎は、やっと娘が自分の視界から消え去ると安堵してか、適当に「ああ、判った、判った!」と相槌を打っている。
久忠は、娘の両親に、今まで口に出せなかった疑問を投げ掛けた。
「失礼ながら、少々物を尋ねたく存ずる。漢人の間では、纏足という習慣が御座ると耳に致しておる。が、あなたがたは、それをしておらぬようですが、なぜですか?」
父親は満足そうな笑みを浮かべた。
「失礼などと……。私共も、いつも聞かれますので慣れております。御心配無用で御座いますよ」
穏やかな笑顔で、母親が引き取った。
「あたしらは、客家なのです。客家では、纏足の習慣はありません」
「それに、纏足をするような名家でも、ありませんからな!」
父親が、幾分の軽蔑を込めて、後を引き取った。
どうやら客家と自称するこの家族観からすると、わざと不具にするための、纏足の習慣は理解不能なのだろう。
「なあ、纏足って、何だ?」
一同の遣り取りを黙って聞いていた小七郎が、不満そうな表情になって質問した。久忠は、小七郎に纏足について細かく説明した。
久忠の説明に、小七郎は愕然となった。
「そんな馬鹿な習慣が、漢人にはあるのか! 信じられねえ……」
舟が鎮江の桟橋に近づくと、朧がするすると近寄って「おい、ここらで仕掛けるぞ」と囁いた。
久忠は驚いて朧を見た。朧は前方を顎でしゃくり頷いた。
「罠を仕掛けるには、実に好都合な場所だと思わぬかな?」
言われて、久忠は改めて鎮江の風景を眺め渡す。
なるほど、朧の口にした意味が判った。
鎮江は、南北の大運河と、長江が交錯する十字路になっている。当然、東西南北の舟が行き交うため、混雑する。
それらの無数の舟を受け入れる川幅は、いくら大運河でも足りず、必然的に無数の支流が分かれている。支流の間の陸地には、犇くように建物が密集していた。
内陸か、沿岸という違いはあるが、堺の町に似ているなと、久忠は感想を持った。
朧は夕暮れが近づいた空を見上げ、ふんふんと鼻を鳴らしている。
「これは面白い……。今夜は霧が出そうだ」
桟橋に舟が接岸すると、娘の家族は別れを告げた。
家族が町の雑踏に姿を消すと、入れ替わりに、北へ向かう新たな船客が船頭と値段の交渉をしている。
家族を見送り、朧はにやにや笑いながら、顎を撫でた。
「あの両親、相当に娘の行動が心配と見える。恐らく、お主の息子が原因だぜ。相州へ行くなら、ここで下りるより、もそっと先へ向かったほうが近いからな」
久忠は驚いて、朧を見た。
「小七郎が? が、小七郎は、まるでそのような気はなかったはずだぞ」
「まあな。が、旅がずーっと続けば、何が起きるか、誰にも判らぬ。人の親として、娘の跳ねっ返りは、はらはらしていたはずだ」
朧のからかうような口調に、久忠は憮然となった。朧はにやにや笑いを顔に張り付かせたまま、おっ被せた。
「儂が思うに、お主の息子は長じれば、おっそろしいほどの、女誑しになるのではないかな? 今はまだ子供だが、かなりの男前となるはずじゃ」
「もう、よい! 聞きとうは、ないわい」
久忠はそっぽを向き、舳先辺りに腕を組んで、前方を見詰めている小七郎の後ろ姿を見守った。
少し離れた場所には、アニスが座っている。アニスは小七郎に対し、一見したところでは冷淡と思える態度に出ているが、それでも小七郎の近くにいつもいるようだった。
久忠は二人の姿に、漠然とした不安とも、期待ともつかない複雑な気分を味わっていた。




