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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第六章 暗殺者
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 結局、仮面をつけた相手は、自分の名前を明かさず、今後の、簡単な連絡法を打ち合わせただけで、西廠を立ち去った。

 汪直は、自分の怒りの感情を、懸命に抑えていた。感情に振り回されぬ自分を、常に心掛けていたからである。

 顔も晒さず、名前も告げぬ相手に、暗殺を依頼するのは、あまりに不利な取り引きではないか?

 いつの間にか、背後に戻った部下の乾が、汪直に不安を吐露した。

「大丈夫で御座いますか? あのような奴輩に、重大事を恃むのは? いつ、裏切らぬとも、限りませぬぞ!」

 汪直は半身を乾に向け、口の端に薄笑いを浮かべて見せた。

「心配はない! 儂は連中の尻尾を、がっちり掴んでおるのだ。一つ二つ、連中の弱みを握っておる」

 乾は黙って、頭を下げ、汪直に従う姿勢を表した。

 汪直が支配する西廠は、紫禁城だけでなく、北京城全体を探索範囲にしていた。城内に屯する様々な犯罪組織と接触し、蜘蛛の巣のごとき情報網を作り上げている。

 不安はある。が、汪直は自分の不安を強いて無視する決断を下していた。

 汪直は話題を変えた。

「ところで……お主には別の任務を与えておったな? 探索の結果を述べよ!」

 乾は深々と一礼すると、単調な口調で報告を開始した。

「西方より迎える予定の姫君の行方は、未だに掴めませぬ。最後に姿を確認したのは、大理府より、船に乗り込んだまでは判っております。それ以降、ふっつり消息が跡絶えました」

 乾の報告に、汪直は頭の中に、明帝国の地図を思い描いた。

「なんと! それでは、海路を採ったと申すのか? 予定では、陸路を行くはずではないのか?」

 乾は再び、一礼した。

「左様で御座います。何らかの差し障り……憶測で御座いますが……姫君の素性が、よからぬ連中に知れたと考えられます。それで、護衛の者は、変更を余儀なくされたとも推察されます」

 汪直は何度も頷いた。

「推察か……。確かに推察に過ぎぬ。が、お主の推察は、度々、的中するからな! 丸っきり、当て外れでもあるまい。引き続き、探索を続けよ!」

 乾は拱手した。

「承知仕ります! もし、海路を行くなら、どこかの港に上陸しなければなりませぬ。幾つかの港町に、手の者を向かわせましょう」

 汪直は賛意を示した。

「よい! お主に総てを任せる! 行け!」

 口早に命じると、乾はさっと回れ右をして、そのまま西廠の建物から姿を消した。

 目の前で、部下が背中を見せる非礼をしても、汪直は決して咎めない。必要なのは結果であり、過程ではない。

 部下が立ち去ると、汪直は西廠の奥深く、普段は誰も立ち寄らない一画へ移動した。

 西廠の建物は、官衙であるが、同時に汪直の住居でもある。汪直は特別製の鍵を手にとると、分厚い扉の鍵穴に差し込んだ。汪直のみが知る操作法で鍵を開くと、扉を押し開いて、内部へと踏み込む。

 部屋には、窓がない。明かりは、正面に設けられている祭壇に点されている、明かりのみ。それも、普通の明かりではなかった。

 どのような仕組みがあるのか、祭壇で煌々と点されている明かりは、決して絶やされず、常に点燈している。

 乳白色の鉢の縁に、青白い炎が、揺らめくように燃えている。燃料は普通の油ではなさそうで、色は暖かさを伝えない。青白い炎の中に、時折ちらっと素早く、金粉のような黄色い輝きが煌き、すぐに消滅する。

 汪直は祭壇前に跪くと、深々と頭を下げ、額を床に擦りつけた。

「汪直の悲願、何卒、叶えたまえ……!」

 普段の汪直からは想像もできない、敬虔な祈りの姿勢であった。

 祭壇に祀られているのは、拝火教ゾロアスターを示す炎だった。

 拝火教では、光の神(アフラ・マズダ)と、闇の神(アーリマン)の鬩ぎ合いが、この世界であると教示される。

 人間は、二つの勢力の間に生まれ、一瞬の光芒を示して、再び闇へ消える。青白い炎は世界を象徴し、金粉のような一瞬の光芒は、人間の活動を表している。

 宦官になって、汪直は次第に拝火教の教えに傾倒していた。寄る辺を持たない、宦官としての生活、心に秘めた野望は、時として汪直の心理に深々と爪先を残す。正気を保つためにも、汪直は縋るものを欲していた。

 汪直の野望。それは、明帝国の滅びであった。

 何としても汪直は、この強大な帝国に滅びの運命を与えるつもりであった。

 汪直自身は、たった一人の宦官に過ぎないが、やりようによっては、帝国に崩壊の道筋をつけられるのではないかと、考えている。

 千里の堤も蟻の一穴というではないか!

 皇太子暗殺は、崩壊への一歩だ。

 もし、成化帝が崩御した後、跡継ぎたる皇太子が存在しなかったら、後継者争いが勃発するのは、間違いない。

 汪直は歴史を学んでいるが、後継者争いで帝国が弱体化した例は、枚挙のいとまがないほどに、ありふれている。

 西方の姫君を招く計画は、もう一つの狙いが込められていた。

 明以前にも、漢、秦、宋など、幾つもの帝国は、北戎と呼ばれる異民族の侵攻に悩まされていた。現に宋を滅ぼしたのは、北方の蒙古であり、元帝国を樹立している。

 汪直は、密かに北戎の一部族と接触を持とうとしていた。西方の姫君を北戎の後宮へ送り込み、誼を通じるつもりである。

 明が弱体化すれば、北戎たちは勢いづくに違いない。うまく誘導すれば、北戎共が汪直の悲願を達成してくれるかもしれない。

 汪直は、自分自身が生きている間に、明が倒れる場面を目にできるとは、そこまで楽観視していない。が、慎重に立ち回れば、滅びの予感を感じるまでは、いけるのではないかと想像していた。

 必ず、明を滅ぼしてくれる!

 確固たる決意は、汪直の村に襲い掛かった悲劇に対する、復讐であった。

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