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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第六章 暗殺者
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 あくる朝、部下を率いて紫禁城を闊歩する汪直の姿があった。汪直を含め、全員が目立たない藍色の官服を身に纏っている。襟は高く、裾は長く、足首まで達していた。

 素早く足を動かすたびに、裾が閃くように翻り、鋭い音を立てる。全員の足並みは、正確で、揃っていた。

 普通の官員のように、ゆったりとした歩き方ではない。目標を目掛け、一心不乱に突き進む。

 汪直以下の全員が、驚くほど似通っていた。

 先頭の汪直を含め、全員が宦官であったが、総て十代後半から、二十代後半まで。皆、若く、厳しい顔つきと、意志の強そうな目付きをしていた。

(ソン)!」

 駈けるように歩く汪直が呼びかけると、それまで背後で足並みを揃えていた一人が、ささっと敏捷に駆け寄り、汪直の命令を待つ。小柄で、いかにも目から鼻へ抜けるような、利口そうな顔つきをしている。

「報告!」

 汪直の命令は常に短い。巽、と呼び掛けられた、若い宦官は「はっ!」と全身で反応すると、唇を舐め、汪直と同じ速度で歩きながら、早口で返答をした。

「西国よりの〝荷物〟は、今なお行方不明。一時、南方で報告がありましたが、未確認です。引き続き、監視を続けております」

 汪直は顔色を変えず、真っ直ぐ前を見たまた答えた。

「お前に全権を与える。必ず見つけ出せ!」

 巽は汪直の命令に、さっとその場から全速力で離れ去った。

(ゴン)!」

 今度はやや大柄な、がっしりとした体格の宦官が、早足になって汪直と並ぶ。汪直は、この艮と呼び掛けた相手にも、同じように「報告!」とのみ、短く命令する。

「発見しました!」

 同じく、短い答に、汪直は「うむ」とのみ、頷いた。表情は相変わらず、変わらない。真っ直ぐ前を見詰めたまま、全員に向かって命令を下した。

「散れ!」

 ただ一言で、汪直の背後に付き従っていた全員が、思い思いの方向へ散って行った。一瞬の遅滞もなく、動きは電光のように素早い。

 八名の精鋭は、八卦方位にちなんで(ケン)(コン)(シン)(ソン)(カン)()(ゴン)()と名付けられている。汪直が新たな官衙として設けられた西廠の責任者となって、自分の手足となるべく、選抜した宦官だった。八人は、汪直の命令一つで、どのような非情な任務もこなす。

 その任務とは、暗殺を指す。

 一人になった汪直が、紫禁城の通路を急ぎ足に進むと、前方に屯していた他の官員たちが、一様にぎょっとした表情になって、慌てて汪直の視界から逃れるように姿を隠した。

 汪直の動きが、次々と伝達されるのか、進路はまるで無人の野を行くようであった。汪直の周囲には、ぴりぴりとした恐怖が、目に見えるように放射されていた。

 目指すのは、成化帝の御前だった。汪直を、成化帝が召しだしたのだ。

 奥へと進むと、不意に汪直の前方に数人の宦官が立ちはだかった。この宦官は、西廠に属さない宦官で、表情には緊張が漲っている。

「少々、この場でお待ち下さい」

 話し掛けた宦官の顔には、じっとりと脂汗が滲んでいる。

 汪直は返事をせず、足を止めたまま後ろ手になると、やや顔を挙げた姿勢で待った。

 密やかな手探りで、宦官たちは汪直の全身を撫で回す。

 武器の有無を探っている。要するに身体検査だ。汪直が成化帝の御前に伺候するため、通常の検査である。

「失礼致しました。お通り下され」

 そそくさと宦官たちが引き下がると、汪直は返事を一切せずに、さっさと歩き出した。丸っきり、無視している。

 視線を動かす、などの最低限の反応も見せない。全く、何事もなかったかのように、汪直の歩みは変わらない。

 背後から、密やかな敵意を感じるが、汪直にとっては一片の痛痒も感じない。

 あいつらは、屑だ!

 暗殺を警戒しているが、汪直の生身の肉体が、完璧な武器となっている。また、汪直の身に着けている暗殺用の武器──暗器と呼ばれる──は、そもそも発見されるようなものではない。

 例えば、汪直の袖には、細い金属の紐が隠している。両端を握り締め、首に引っ掛ければ、呆気なく咽頭を潰し、音もなく殺害できる。

 襟には、紙のように薄い刃が潜ませている。刃先は鋭く、汪直の手に掛かれば、一瞬で頸動脈を切り裂ける。

 もし汪直が、身に着けている暗器を総て晒せば、城内は大騒ぎになるだろう。

 次々と迎えの人間が汪直の前に現われ、儀式ばった手続で、汪直を帝の前へ案内する。

 遂に汪直は、紫禁城で最も警備が厳重な一画へ辿り着いた。

 広い廊下の両側には、ずらりと兵士が居並び、その奥に、百官が伺候する成化帝の謁見室がある。

 足元には、深い臙脂色の絨毯が敷き詰められ、壁や柱には、びっしりと彫刻が施されている。さらに彫刻には、ふんだんに緑、赤、青、黄色などの原色が塗られ、それでも豪華さが足りないとばかりに、宝石、金、銀、などで装飾されていた。

 御前に近づくにつれ、汪直の鼻腔を香の匂いが擽る。匂いには、大量に持ち込まれた料理の匂いが混じっている。

 ここに至る人間の総てに、明帝国の強大さを五感で感じるよう計算されている。

 やっと成化帝の姿が遠望できる場所へ、汪直はやって来た。

 さっと汪直は両膝を絨毯につき、頭を深く下げ、両手を上げて拱手の形にする。

「汪直、お呼びにより、参内致しました!」

 汪直の声は、静まり返った王宮に響いていた。静寂を切り裂く、刃物のような鋭い声に、居並んだ百官たちは微かに身じろぎをする。

「ちこう……」

 成化帝の、弱々しい掠れ声が、汪直の耳に届いた。緊張して耳を澄ませないと、聞き落としてしまいそうな、力のない声だった。

 汪直は少し膝を滑らせ、形だけ前へ進む振りをする。すると宦官の一人が近づき、柔らかな物腰で「それでは遠く御座います。も少し、帝に近づきなされよ」と促す。

 どちらも、儀式である。

 汪直は、帝の言葉に躊躇う様を見せなくてはならない。「ちこう」という言葉に、「ああ、そうですか」と立ち上がったら、途端に譴責を食らうであろう。

 こんな遣り取りが何度か繰り返され、汪直はやっと、成化帝と直に言葉を交わせる距離へと近づいた。

 汪直は顔を挙げ、上目遣いに成化帝に対面した。

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