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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第五章 盟神探湯
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 湯起請を終えた後、船長の計らいで船は近くの砂浜に停泊し、水主たちには酒が振舞われた。

 宴会の中心には、アニスがいた。

 アニスの幼い姿は、まるで海賊のお姫様のようだった。言葉が全く通じないにもかかわらず、水主たちはアニスにあれこれ話し掛けていた。アニスは相手が好意を持って話し掛けているのが判るのか、にこにこと笑顔で応じていた。

 突然の宴会に、水主たちは正体をなくすほど振舞われた酒を痛飲し、皆ぐでんぐんでんに酔っ払うと、砂浜にごろりと横になって寝入ってしまう。

 久忠は用心深く、勧められた酒を呑む振りをして、大半はこっそりと砂浜に吸わせていた。

 皆がすやすやと寝息を立てている中、久忠は砂浜に腰を下ろし、燃え上がる焚き火を見詰めていた。

 待っていると、やがて案の定、さくさくと砂を踏む音がして、朧のひょろ長い体が、闇の中から、ぬっと現われる。

「いや、全く肝を冷やしたぞ。お主は無茶をしすぎる。もし、お主がしくじったら、儂が船に災いを招いたとして、困った事態になっておった。何しろ、持衰の役目は厄災を引き受けるものだからのう」

 朧は久忠と話し合う必要を感じると、夜になって他人目を避けて訪ねるようになっていた。

 朧は焚き火を挟んで、久忠と向かい合った。膝を抱えた格好で、砂浜に蹲る朧の両目が、焚き火の光を受け、金色に光っていた。朧の姿は、人間と呼ぶより、何かの奇妙な獣の姿に久忠には見えていた。

「あの場合、仕方がなかった。それに湯起請は、拙者が正しいと証明できたではないか」

 久忠が答えると、朧は肩を竦めた。

「儂の申したいのは、そのような結果論ではないのだ。そもそも、湯起請など提案すべきではなかったのだ。もし、どうしても必要なら、儂が代わるべきだった」

 久忠は朧の返答に首を傾げた。

「なぜじゃ? なぜ、そのように拙者の心配をする?」

「儂が影に潜むには、お主が必要だからな。従って、お主の無事を願うのは、宮中に命じられた仕事を完遂するため、当然なのじゃ」

 朧の答に、久忠は自分の使命を思い出す。と、同時に一つの疑問が浮かび上がった。

「いったい、神器とは、どのようなものであろうか? 拙者が命じられているのは、天叢雲剣を取り戻す任務だが、それは、どのような見掛けをしておるのだろう。一目見た程度で、拙者に見分けがつくのか?」

 久忠の質問にも、朧はまるで動じなかった。

「さあ……な。何しろ、熱田神宮に納められている形代すら、儂は目にしておらぬ。多分、本物が存在するとなると、古代の剣のような形をしているのかもしれぬ」

「両刃で、柄まで一体になった銅剣かな? そのような形なら、拙者にも見分けがつくと思うが……」

 呟いて、久忠は朧の言葉を思い出した。

「お主なら湯起請を切り抜けられる、と申したな? あれは、どういう意味じゃ? お主も、拙者のように摩利支天の加護があると?」

 朧は低く笑って、久忠の言葉を否定した。

「まさか! 拙者は忍者だぞ。忍者は、一か八かの勝負などせぬもの。拙者なら、水主どもを騙す手の一つや二つ、いつでも用意しておるものだ。たとえば……」

 と、朧は身を捻り、いきなり自分の右腕を焚き火の中に突っ込んで見せた。

「朧っ!」

 久忠は思わず、小声で叫んでいた。

 炎に炙られ、朧の右腕はじゅうじゅうと音を立て焼け焦げていく。しかし朧は平然としたままだ。

「見ろ!」

 朧が突き出したのは、ただの枯れ枝だった。枝先が指のように分かれていて、一瞬だが本物の腕に見えたのだ。

 それまで息を止めていた久忠は、安堵に「はーっ!」と息を吐き出す。同時に、怒りが湧き上がった。

幻術めくらましか!」

「左様。奇門遁甲とは、大半が幻術を現出させる手法を言う」

 朧は得々として答えた。

 思わず「卑怯な……」と久忠は罵り声を上げるところだったが、思い留まった。

 忍者を相手に「卑怯者」とか「臆病者」などの悪罵を投げつけるのは、無駄だ。忍者にとって、それらの悪罵は、賞賛の言葉にしか聞こえない。

 もし久忠が今の言葉を発したなら、朧は高らかに笑うであろうと思われた。

 やはり、久忠が湯起請に臨んだのは、正しかった。

 朧が身代わりになれば、今のような幻術を操って、うまうまと水主たちを騙せていたかもしれない。しかし、それは久忠にとって、この上ない屈辱でもある。

 詐術で、久忠は危難を切り抜けたくはない。

 絶対に!

 そんな久忠の心中を見透かすように、朧はことさら惚けた口調で話し掛けた。

「まあ、これで、あの娘は無事に船に居所を見つけられたわけだな。いずれ明に到着した暁には、厄介払いできるわい」

 久忠は、きっと朧を睨み据えた。

「どういう意味だ? 厄介払いとは」

 朧は眉を──朧の顔にはほとんど毛はなく、眉らしきものはない。ただその辺りの筋肉が動いて、そうと見える──上げて見せた。

「判りきっておるじゃろう。明には、沢山の胡人が来ておる。それらの胡人に、あの娘を託せば良いのじゃ。胡人は胡人同士、我らが関わる問題ではないぞ」

 久忠は唸った。

 朧の言葉は、もっともである。

 久忠の使命は、紫禁城にあるとされる、神器の天叢雲剣を取り戻す、それだけだ。

 アニスは無関係。

 それは判ってはいる……が、しかし。

 朧は「ふん」と鼻で笑った。

「お主の息子、小七郎。どうやら、あの娘に何事が感じておるらしいのう。じゃが、ここが考えどころじゃぞ。元々、小七郎もアニスも、我らの使命にとって、お荷物そのものじゃ」

 考え込む久忠に、朧は止めを刺すように諭した。

「御所の命令は重大じゃぞ! お主は神職の家系であろう? 神職であれば、御所の命令を軽々しくはできぬはずじゃ」

 気配もなく、朧はゆらりと立ち上がった。

 久忠に向かい合ったまま、朧は後ろへ引き下がってゆく。

 焚き火から遠ざかる朧の姿は、じんわりと闇に溶け込んだ。最後に、朧の良く光る両目だけが、闇に浮かんでいた。

「良く考えるのだ……」

 久忠は、じっと、身じろぎもせず、砂浜に座り込んでいた。

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