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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第五章 盟神探湯
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 おぼろの予言は、久忠にとって、痛いほどありありと実現した。

 船にアニスを伴い、連れ帰った瞬間から、水主かこたちが騒ぎ出したのだ。

「その娘、不吉じゃぞ! たった一人、生き残ったのは、娘が船に災いをもたらしたかもしれぬ」

「そうとも! そんな気味の悪い、金色の髪をしているのが、証拠じゃ!」

「目を見てみよ! まるで人とは思われぬ、真っ青な色をしておる。あれは、人を呪う瞳なのじゃぞ……」

 船長だけは冷静だった。

 何度も、日本と、明を往復した経験があり、明の港では、胡人の姿を見慣れている。だが、水主のほとんどは、堺で募集した新参者で、胡人の姿を始めて目にした者が多い。

 いきり立つ水主たちからアニスをかばうように両手を広げると、大声で叫んだ。

「待て待て! そうわめくでないぞ! 儂は幾度となく、胡人の姿を目にしておる。明で見掛ける、胡人とこの娘、全く、変わるものではない」

 だが、水主たちは納得しなかった。

 まず、アニスただ一人、生き残っているのが、不審だと主張する。海賊に襲われたとして、なにゆえアニス一人、見逃されたのか怪しいと口々に騒ぐ。

 この時代、はるか後世から考えると、信じられないほど人々は迷信深い。語弊があるなら、信心深いと表現しても良い。

 ともかく、どのような事柄であれ、人々はありとあらゆる現象に吉兆、凶兆を見た。変事があれば、ほとんど凶兆とされた。

 今の場合、見慣れぬ姿形をしたアニスが船に乗り込むのが、凶兆だと水主たちは考えたのだ。

 船長は、見るからに困り果てていた。額に深々と皺が寄り、目は落ち着きなく彷徨さまよっている。久忠を見る目に、非難の色があった。今にも「なぜこのような娘を連れ帰った」と、口に上りそうな勢いだ。

 久忠は朧をちらりと、見やる。朧はいかにも「我関せず」とばかり、いつものともに座り込み、目を閉じている。

 小七郎もアニスを庇うように前に立ち、ぎらぎらと両目を見開いて水主たちを睨みつけている。腰に差した木刀の柄に、右手が泳いで、今にも抜き放ちそうな態勢だ。

 とうとう船長が久忠に顔を寄せてきて「どうするおつもりで御座る」と質問してきた。

 久忠が船長の皺深い顔を見返すと、相手の目には「どうしようも御座らん」と訴える色があった。

 つまり、アニスを再び、漂流船へ帰すという選択を迫っているのだ。

 久忠は窮した。

 目を閉じ、口の中で摩利支天の真言を唱える。

 唱えるうち、久忠の胸にある決意が固まった。

 久忠は再び両目を見開いた。

 口々に騒ぎ立てていた水主たちが、久忠の態度に一瞬、黙り込んだ。水主たちが思わず黙り込むほど、久忠の目に浮かんだ決意の表情は、強かった。

おのおのがた……」

 久忠は、かっ、と両目を一杯に見開き、一人一人の顔を念入りに睨みつけた。

 ほとんどの水主は、久忠の凝視にうつむくか、顔を逸らすかをした。それでも古参らしき水主たちの数人は、久忠の凝視に耐え、逆に見返してくる。

 すうーっ、と久忠は息を吸い込み、取って置きの大音声を張り上げる。普段から剣の稽古や、真言を唱える訓練を怠らない久忠の大音声は、船の隅々まで響いていた。

「拙者は、ここにおるアニスと申す娘を信じる。アニスはいかなる凶兆でもなく、ましてや、災いをもたらすものではない。ただの、頑是無い、一人ぽっちの娘じゃ! 各々方に一片の情けがあれば、この船に居所を与えるべきと、拙者は考えるのじゃが、どうじゃ?」

 久忠の主張は、水主たちに感銘を与えたようだった。ちらちらと、大きな目を見開いて立っているアニスに視線が行く。

 だが、久忠が思ったとおり、古参の水主たちは頑なだった。

「いや、その娘を船に乗せるわけにはいかぬぞ! 女は災厄をもたらすでな……。第一、明船は海賊に襲われたではないか。その娘が乗っていたからだ!」

「左様か……」

 久忠は息を吸い込んだ。

 こうなったら、やはりこの手しかない!

「それでは拙者が、この場で、娘の潔白を証明しよう!」

 ざわざわと、水主たちに動揺が走った。

 全員、久忠が何を言い出すつもりか、予感している。

 それまで艫で目を閉じ、座っていた朧が、久忠の言葉に両目をくわっ! と見開いていた。

「拙者は湯起請で証明する!」

 湯起請、または湯誓とも。古くは盟神探湯くかだちとも表された。洋の東西に存在する、神明裁判の形式である。

 すなわち、神に事柄の判断を委ねる裁判だ。裁定者は神なので、結果については絶対的とされていた。

 多くの湯起請では、ぐらぐらと煮立たせた湯に、手を入れて火傷せずに済ませれれば、被験者は無罪とされた。

 この時代から少し後、織田信長が火起請をしたと『信長公記』にあるから、かなり後世まで実施されていたらしい。無論、火起請を受けたのは信長である。

「湯起請じゃ!」

「左衛門殿が、湯起請をするぞ!」

「湯を沸かせ!」

「鍋を持ってこよ!」

 水主たちは一斉に興奮を顕わにし、船内はどたどたと駆け回る足音に騒然となった。

 視線を感じた久忠が、ふと見ると、小七郎が凝然となっている。口を真一文字に引き結び、両手は固く握り締められていた。

 久忠は「心配するでない」とばかりに、にっこりと笑い掛けて見せた。

 小七郎は、顔を真っ赤にさせ、プイと横を向く。

 アニスは何が起きているのか判らない様子で、ただ茫然と人々の動きを見守っている。

 が、ぐらぐらと煮立った鍋が準備されると、理解できたようだった。

 胡人たちも湯起請をするのか……と、久忠は、らちもない考えを弄んでいた。

「さあ、湯起請で御座る!」

 水主たちは「結果や如何」と、久忠の周囲に輪を描く。

 船長は苦い表情になっていた。

 それまで座り込んでいた朧が、ふらりと立ち上がり、久忠に近づいた。朧の瞳が、まん丸に見開かれている。

「お主、本気か?」

 久忠は大きく頷いた。

「然り! 拙者は、湯起請で決着をつける」

 朧は微かに顔を左右に振った。

「やめておけ! こんな真似、お主の役割ではない。儂なら上手くやれるが……」

 久忠は驚いて、朧を見返した。

「お主なら、やれると申すか?」

 朧は水主たちに背を向け、ニヤリと笑った。背を向けたのは、表情を見られたくなかったのだろう。

「まあな。儂なら火傷一つせず、湯起請を切り抜ける方法を知っておる」

 久忠はぶるっと、顔を左右に振った。

「いや、やはり、拙者がやる! これは拙者が言い出した方法だからな」

「ふむ。それなら、何も申すまいて」

 朧は唇を突き出し、肩を竦めた。

 久忠は、煮え立った鍋に向かい合った。

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