六
久忠、小七郎、朧の三人を前にし、少女は恐怖の表情を顕わにして立ち竦んでいた。
朧が柔和な表情を浮かべ、ひょろ長い痩身を折り曲げるようにして、膝を屈した。顔がやっと、少女と同じくらいの高さになる。
「これ、儂らは、敵ではない。お主には、何の害意も抱いてはおらぬゆえ、そう震えるものではない」
近々と朧の顔を見て、少女は益々頑なになり、じりっと後じさりした。朧は困ったような顔になり、久忠を仰いだ。
「さて、言葉が通じぬようじゃな。お主、この娘の言葉、判るかな」
「さあ、な。胡人の言葉は、いくら拙者でも、修得はしておらぬ。が、試しに明人の言葉を使ってみようか」
久忠も、朧の側に膝を折って、少女と向き合った。
しげしげと少女の顔を見て、人種の違いを見て取った。
確実に、日本人、明人とは血が違う。人種──という概念は、当時まだ存在しなかったが、別の人種だとは、おぼろげに感じた。
顔の幅が細く、目が飛び切り大きい。頭骨の形は、後頭部が長く、日本人の丸い頭とは違う。人類学的には、長頭型と総称される。日本人を含む、東アジア人は、短頭型と分類されている。
久忠の目には、目が大きすぎ、色が白すぎるように思える。
はるか後世、日本人が西欧人の顔を美の基準に加えるようになれば、目の前の少女は、美少女と思えるようになる。が、今の久忠の目には、異様な相貌という印象が強い。
「拙者の言葉が判るかな? 名前は何と申す?」
久忠は明人の言葉で話し掛けた。
まさか通じるとは思っていなかったが、少女は意外にも久忠の言葉に反応した。
「アニス」
ぽつり、と呟いた。
久忠は眉を上げた。
「アニス……それが、其方の名前か?」
うん、と少女は頷いた。
「妙な名前じゃな」
朧が感想を述べる。
久忠は笑った。
「拙者らの名前も、明人にとっては、奇妙に聞こえるようじゃ。多分、胡人にとっては、ありふれた女名前なのじゃろう。さて、少々、事情を知りたいところじゃが、このアニスと申す娘が、なぜ、一人でおるのか……」
久忠はアニスと名乗った少女に再度、向き合う。明人の言葉に戻り、話を続けた。
「何が起きた? 其方の父御、母御は、どこにおわす?」
久忠の質問に、アニスはくしゃくしゃと表情を歪ませた。両の目に、見る見る大粒の涙が溜まってゆく。
今にも大声で泣き出すかと、久忠はハラハラしたが、アニスは必死に声を漏らすのを耐えている。
ただ、ぽろぽろと、次から次へと大粒の涙が零れるだけだ。
小七郎が顔を近寄せ、頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫。もう、怖くない」
普段の小七郎からは、想像もつかない優しい声になって、アニスの肩を抱き寄せ、柔らかな金髪を撫でていた。
少女は本能的に、小七郎が味方だと判断したのか、安心したように身を寄せ掛けた。
朧は立ち上がり、腕を組んで、考え込む表情になる。
「さて、この娘から事情を聞くのは、当面は無理として、何があったか、船内を探る必要があろうな」
久忠は朧の言葉に、全面的に賛成だった。
「そうだな。ちと、歩き回ってみよう。小七郎、そのアニスと申す娘、其方に任せるゆえ、待っておれ」
久忠の命令に、小七郎は慌てた。
「ちょっと待ってくれよ! おいらと、こいつを、二人きりにする気か?」
「こいつ、ではない。アニスと名乗っておる。其方なら、アニスは、信頼するようじゃ」
小七郎は唇を尖らせた。
「だって、おいら、こいつ……アニスと喋れないぜ!」
久忠は苦笑して、首を左右に振った。
「だから、拙者が明人の言葉を教え込む時に、なにゆえ真剣に学ぼうとせなんだか? 言葉が通じぬのは、其方の責任じゃ」
小七郎は言い返せず、ぷっと頬を丸く膨らませて、不服の表情を浮かべた。それでも、黙って頷いた。
最後に「頼んだぞ」と念を押し、久忠は朧と共に、部屋を出た。




