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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第四章 持衰
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 漂流船には、一切の動きはない。ちゃぷちゃぷと、波が船腹を洗い、だらりと垂れた帆が、微かな海風に吹かれ左右に揺れる。

 船の形は、最初に朧が言い当てたとおり、明国独特の形式だった。

 平底船と呼ばれる形で、船首が高々と跳ね上がっている。この形の船は、後代「ジャンク」と呼ばれるが、当時、明では単に「帆船」と呼ばれていた。

 帆には横に、何本もの竹材が張られている。この仕組みは、帆を素早く展開でき、荒天に有利である。

 しかし、今は帆は破れ、帆柱は傾いていた。

 相当に強い嵐に巻き込まれた形跡が、船のあちらこちらに残っている。船腹の所々に破壊された箇所があり、そこからざぶざぶと、大量の潮水が出入していた。

 にもかかわらず、船は沈没を免れている。

 ジャンク船は、船体を幾つにも分けた隔壁構造を持ち、一箇所が浸水しても、全体に及ばない。耐波浪性の高さと、浮力を保つ気密構造により、当時の帆船では極めて高性能を誇った。

 漂流船の大きさは、久忠が乗り込む遣明船と、ほぼ同じ程度だ。

「おおーい、誰かいるかあ!」

 船端から身を乗り出し、水主が漂流船へ向けて、大声を張り上げる。

 当然、応えはない。船の全員が気味悪そうに、顔を見合わせた。

「厭な予感がするぜ……」

 一人が囁き声で呟いた。水主の顔には、海面からの照り返しが青く染まっていた。

「愛洲殿、いかが致そうか?」

 船長が、久忠に丁寧に問い掛けた。久忠は愛洲家の目付役として、意見が求められる立場であった。

 久忠は、ちらっと朧を見た。

 最初に漂流船を発見した朧は、すでに自分の居場所はここだとばかりに、いつもの艫に座り込んでいる。

 朧は久忠の視線を感じたのか、薄目を開け、口許に微かに笑みを浮かべ、頷いて見せた。

 久忠は決意を固めた。

「まずは、様子を調べるべきで御座ろう。拙者が乗り込む。船を寄せてくれまいか?」

 久忠が乗り込む、と宣言した途端、船内の雰囲気が一変した。

「俺も行く! 連れて行って下せえ!」

「儂も行くぞ!」

 次々と「我も我も」と水主たちが名乗りを挙げた。

 皆、漂流船に残されているかもしれない、お宝を狙っている。遺棄されている船なら、最初に発見した者の取り分だからだ。

 船長は久忠に「お一人で行かれるのか」と念を押した。

 久忠は「もちろん」と言い掛け、ふと、視線が朧に止まった。

「船長殿が許されるなら、持衰殿を同道したいが」

「持衰を?」

 船長は久忠の提案に、正直に驚きの表情を浮かべた。全く、念頭にすら浮かばなかったらしい。

 朧が、ヒョイとばかりに、痩身を伸ばして立ち上がる。立ち上がると、意外にも朧は、この中の、誰よりも背が高かった。

 水主たちが、朧を避けるように、さーっと後ずさり、輪ができた。朧はニンマリと笑みを浮かべ、久忠に近づいた。

「面白い。儂は、同道するぞ!」

 朧が宣言すると、それまで我勝ちに同道を申し出ていた水主たちは、一斉に目を逸らした。持衰の側に、なるたけ近寄りたくなさそうで、久忠は我ながら、上手い提案だったと思った。

「宜しかろう」

 船長は決断した。素早く舵取りに合図をして、船を漂流船へ近づける。

 水主の一人が縄を投げて、漂流船に引っ掛けた。上と下に、縄を張り渡し、伝って乗り移りが可能な状態にする。

「儂が先に渡ろう」

 朧が久忠の前に出て、縄を掴んだ。久忠には否やはない。こんな場合、忍者の朧に任せたほうが、利口だろう。

 ヒョイ、ヒョイと、朧は手足を伸ばして、縄を伝って漂流船へ向かった。なるほど、さすが忍者らしく、危なっかしい所は、微塵も感じない。

 久忠も、朧の真似をして、漂流船へと近づいた。

「おいらも行くぜ!」

 久忠の背後から、小七郎が叫んで、縄を掴んだ。

 ぎくりと久忠が背後を振り向くと、小七郎が手足を一杯に伸ばし、渡ってくる。意外と小七郎は器用に、縄を伝っていた。盗賊の前身が、綱渡りに役立ったのかもしれない。

 久忠は叱りつけたかった。だが、何か叫ぶと自分の安定が崩れそうで、黙っているしか他になかった。しかし、まあ、煩い小言は無用かもしれぬと、久忠は先を急いだ。

 漂流船に飛び降りると、船が傾いているため、一瞬よろける。

 朧はすでに、船の真ん中辺りまで進んでいた。

 すとっ、という軽い音がして、小七郎がすぐ側に飛び降りた。小七郎は久忠よりは、身軽で、よろけたりしない。

 久忠と、小七郎が近づくと、朧は振り向いた。

「誰か、いるか?」

 久忠が尋ねると、朧は微かに首を左右に振った。

「まだ、判らん」

 短く答え、頭を低くして歩き出した。

「嵐に遭ったのであろうか」

「かも、しれん」

 久忠の質問に、朧は曖昧な返答をした。

 先へ進むと、下へと続く階段があった。

 三人は、そろりと階段を降りた。

 内部は意外と無事で、浸水もあまりない。

 所々、壁に穴が空いていて、そこから日光が斜めに差し込んでいる。

 久忠は一歩、一歩、慎重に歩を進んだ。

 前方を歩く朧が、立ち止まった。

「誰か、おるぞ」

 囁き声になる。

 久忠も、同時に気配を感じていた。確かに、人の気配だ。この漂流船で、誰か生きている者がいる……。

 三人の目の前に、一枚の引き戸があった。朧が手を伸ばし、引き戸の取っ手を触った。

「開けるぞ」と、目顔で念押しをする。

 久忠は無言で頷いた。

 がらっ、と朧が、勢い良く引き戸を開けた!

「わっ!」

 小七郎が、堪らず叫んでいた。

「お前、誰だっ?」

 小さな喘ぎ声を立て、未知の相手は素早く物影に隠れた。片隅にごたごたと、無数の衣装が積み重なっていて、相手はその中に飛び込んだらしい。

 小七郎が小走りに衣装の山に飛び込むと、甲高い悲鳴が上がる。

「こいつめ、出てきやがれ!」

 小七郎が悪態をつき、相手を引っ張り出した。

「これは……!」

 小七郎が引っ張り出した人間を目にし、茫然と立ち竦んだ。

「女の子じゃな」

 朧が冷静に宣言した。

 そう、隠れていたのは、女の子だった。

 それも、小七郎よりも年齢が低そうな、少女だった。

 ただの少女ではなかった。

 白い、磁器のような肌に、金色の髪の毛。目は空の青さを映したよう。

 少女は胡人だった。

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