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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第四章 持衰
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「良いか、小七郎。素振りは、漫然と振ってはならぬぞ。父の教えたとおり、全力をもって、振るのじゃ」

 船の片隅で、久忠は小七郎に向かって命じる。小七郎は木刀を両手で頭上に構え、両脚をがばっと開いて立っていた。

 小七郎の前には、一本の糸が張り渡されている。高さは、小七郎の膝あたり。

 久忠は声を張り上げた。

「さあ、始めるのじゃ!」

 小七郎は息を吸い込み、全身に力をみなぎらせた。

 視線は、目の前に張り渡された糸に注がれている。気合が高まり、小七郎は頭上に構えた木刀を、思い切り振り下ろした。

 がつん!

 振り下ろした木刀は、船の床にぶち当たり、虚ろな音を響かせた。当然、張り渡された糸は、木刀に断ち切られている。

 小七郎は、苦痛に小さくののしり声を上げると、指先を口の中に入れて舐めていた。

 久忠は軽く、首を左右に振った。

「駄目じゃ、駄目じゃ! まず、木刀を自由自在に扱えるようにならぬと、真剣は持たせられぬ。夕方までに、糸を切らぬよう、切っ先を止めるようになっておれ!」

「そんなの、無理だ!」

 小七郎は、久忠の言葉に反抗的な表情になって、言い返す。久忠は静かに、諭した。

「父は、お主の年頃には、できるようになっておった。お主ができぬ道理はない」

 久忠が小七郎に与えた課題は、木刀を全力を持って振り下ろし、張り渡された糸寸前に、切っ先を止める技だった。

 これは中々、難しい。

 糸を切らないように加減しては、振り下ろす勢いが足りず、鍛錬にならない。糸を切る寸前に、切っ先をぴたりと止めるには、全身の筋肉を鍛え抜く必要があった。

「見ておれ」

 久忠は懐から懐紙を取り出し、手桶に汲んだ水に浸した。その懐紙を、船の帆柱に丁寧に貼り付ける。懐紙には充分に水が含まれ、帆柱にぴったりと貼り付いている。

 何をするのだろうという表情で、小七郎は黙って久忠の行為を見ている。

 久忠は帆柱に向かい合い、腰の大刀に手を掛けた。

 抜き手も見せず、久忠の大刀が一閃する。次の瞬間、久忠の大刀は、鞘に納まっていた。

「さあ、改めるが良いぞ」

 小七郎は、帆柱の表面に顔を近づける。

 貼り付いた懐紙の中心に、薄っすらと切れ目ができていた。小七郎は爪先で、懐紙を摘み上げる。

 懐紙は見事に、真っ二つに切断されていた。

 が、帆柱には、ただの一筋も、傷はついていない。久忠の切っ先は、懐紙一枚だけを、切り裂いていたのだ。

「父を倒したければ、お主も上達するしかないぞ」

 小七郎はむっつりと押し黙ったまま、自分で糸を張り直した。真剣な表情になり、再び木刀を振り被る。

 久忠は小七郎に背を向け、歩き出した。

 小七郎には、強く言ったが、まあ、無理だと踏んでいた。しかし、できようが、できまいが、目標は高く設定すべきだと、思っていた。

 船は瀬戸内海を西に向かい、明日は馬関海峡を通る。航海が続くうち、船には徐々に荷物が増えてきた。

 明への勘合貿易が船団の主目的だが、堺から総ての荷物を満載して出発するわけではない。

 堺から九州へ航海する途中の港で、商いをするための荷を、何度も積み降ろしを繰り返す。最終的には、九州で明へ運ぶ荷を満載するが、その前には途中の港で荷を運び、運賃を稼ぐ。

 九州を出発してからも、対馬、朝鮮などでも、細かな荷降ろしが続く。準備段階から、堺会合衆、愛洲一族の総てが、途中の港町に連絡をとっていた。

 久忠も船の上で遊んで暮らせる身分ではなく、きちんと荷が積まれているか、帳簿と首っ引きで、照合を繰り返していた。

 一つ一つの荷札を確かめ、手にした帳簿に書き込みをするのが、久忠の仕事だ。

 持衰の役割を担っている朧は、日がな一日中、ともで座って動かない。朝晩、二度、水主が、朧の前に食事を運ぶ。出される食事は、一汁一菜の簡単なものだ。

 一度、もう少し、副菜を足そうかと、久忠が話し掛けたが、朧は断った。

「美食は、忍びの者にとって大敵でな。太ると身動きが鈍る。今の食事が、儂にとって最適なのじゃ」

 なるほど、と久忠は改めて朧の痩せた身体つきを眺めた。朧の身体には、贅肉は丸っきり、ついていない。

 馬関で、船は明へ運ぶ最後の荷を積み込んだ。船団総てで、大量の荷を受け入れる。

 愛洲一族の船には、日本刀が積み込まれた。

 当時、明へ運ばれる荷の、最大の品目は、日本刀である。数千本の日本刀が、明へと運ばれたとされる。

 武器として、ではない。

 記録では、大量の日本刀が輸出されたが、その後、大陸では、輸入された日本刀はほとんど残っていない。当時の状況から考え、武器としてではなく、鉄の延べ板(インゴット)として、明は輸入したらしい。

 砂鉄から鉄分を抽出し、鍛造された日本刀は、熔かし直せば、優秀な鉄原材料として期待できる。

 他には銅が、当時の価格帯では高額で取り引きされた。日本の銅鉱石には、微量ながら銀が含まれている。日本側には、銅鉱石に含まれている銀を抽出する技術がなかったが、明にはある。

 従って銅鉱石としては高額だが、銀鉱石と捉えれば割安となる。後年、日本も南蛮人から最新の灰吹き法などを受け入れ、銅から銀を採掘できるようになる。

 航海は順調に進み、遂に船団は対馬を離れ、朝鮮半島に向かい始めた。

 小七郎への教育は、剣術の他に、読み書き、語学と、久忠が付きっ切りで授ける。

「おいらは、剣術だけにしてくれ! 読み書きとか、漢人の喋り方なんか、要らねえ!」

 小七郎は音を上げたが、久忠は一切、容赦をしなかった。捻じ伏せるようにして、久忠は自分の学問を、小七郎に注ぎ入れた。

 異変は、朝鮮半島を北上する途中で起きた。

 その日、ほとんど身動きをしなかった朧が、不意に立ち上がり、船端に身を乗り出した。

 両の瞳を一杯に見開き、水平線の彼方を睨んでいた。

「どうした?」

 久忠が朧の変化を見咎め、側に立った。

「船が見える……。明の船らしいが」

「何? 船じゃと?」

 久忠も、朧の視線を追って、彼方に目を懲らした。

 何も見えない。

 じっと見詰めていると、ようやく、彼方に小さく、船の形を捉えていた。

「船だあ!」

 やっと、水主の一人が叫び声を挙げた。

 どっと久忠のいる船端に、水主が群がり、口々に言い合った。

「確かに、船じゃ……。どこの船かのう?」

「日本の船ではないぞ」

「帆が破れておる。帆柱も、傾いておるな。船に、人影が見えん」

 近づいてきたのは、難破船であった。

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