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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第四章 持衰
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 闇夜に、船団は舳先を揃えて停泊している。

 この時代、夜間の航海は不可能だった。沿岸航法が基本で、夜間の航海が可能になるのは、羅針盤や六文儀の普及を待たねばならない。

 船の人員はほとんど、陸に上がって休息をとっているが、久忠は船に残って、朧を待っていた。夜空には一面の星空だが、月はない。

 小七郎は早々と寝床に潜り込み、すやすやと寝息を立てている。昼間の悪たれ小僧が、信じられないほどの、呆気ない眠りっぷりだった。

 もっとも、久忠が水主の昼飯を盗んだ罰として、素振り千回を命じたせいもある。

 最初の百回は楽々と木刀を振っていたが、二百回を数える辺りから、手元はふらふら、腰はガクガク、ようやく久忠が「それまで!」と宣した時は、ガックリと倒れ込んだ。

 久忠が小七郎と同じくらいの年頃には、千回の素振りは当たり前にこなしていた。だが、小七郎は本格的な体練を経験したのは、今回が初めてだ。まだ身体が、持続的な練習に慣れていないのだ。

 今回の航海中、久忠は自身のありったけの技と、知識を小七郎に注ぎ入れる覚悟だった。

 剣術はもとより、文字の読み書き、明国の言葉。できれば、朝鮮の言葉さえも、小七郎に教え込む予定を立てている。

 明国の言葉は、是非とも修得させたい。言葉を覚えていないと、向こうに渡った後で色々と困る事態が予想される。

 なあに、小七郎は嫌がるだろうが、どこにも逃げられない船の上だ。無理矢理にも、久忠は小七郎を教育するつもりだ。

 久忠が小七郎に受けさせる学問の予定を考えていると、背後に人の気配を感じた。

 振り向くと、夜空に黒々と人影が目に入る。

「朧か……」

「お招きにより、参上仕る……」

 くくくく……、と相変わらず、他人の神経を逆撫でするような含み笑いをまじえ、朧は答えた。

 そのまま朧は、久忠の目の前にするりと腰を落とし、蹲る。

 真っ黒な人影の中、朧の両目だけが奇妙に夜空の星明りを反射して、まるで猫か、梟の目のように光った。恐らく朧は、久忠より夜目が効くに違いない。久忠は、この暗がりで、人の形を識別するのが、やっとだ。

 久忠は唇を舐め、朧に話し掛ける。

「朧よ……。明国へ渡って、神器をどうやって探すつもりだ? 拙者の役割は、何だ?」

 朧は、ゆっくりと返答した。

「儂は太郎左衛門殿の影。太郎左衛門殿は、陽となって、儂を助けて頂きたい」

 久忠は首を傾げた。

「意味が判らんぞ。も少し、詳しく話せ」

 夜の暗さで、朧の表情が読み取れない。が、朧の口調は、ややじれったいものになった。

「判りきって御座ろう? 儂はあくまで、影に潜む役割。が、影が形作られるには、陽の光が必要で御座る。その陽の光を作るのが、太郎左衛門殿で御座る」

 久忠は唾を呑み込み、反問した。

「拙者に、囮になれと申すか!」

 はあっ、はあっ、はあっ! と、朧は乾いた笑い声を上げた。

「さほど大袈裟な話では御座らん。奇門遁甲では、陽忍という言葉が御座る。誰にも知られ、高名な人間こそが、最も秘中の秘となることわり。人は、誰もが、その人を知っていると思うと、疑わぬもの……。太郎左衛門殿は、愛洲一族では知られたお人。従って、最も秘密に近づける立場となり申す」

「ふうむ……」

 久忠は唸った。

 今までの人生で、これほど深く忍者と関わる機会はなかった。

 久忠は、朧と会話を続けるうち、頭が混乱するのを感じた。何が真で、何が虚か、判然しがたい。

 久忠は、さらに問い重ねた。

「拙者は、忍者については、何も知らぬ。お主は、紫禁城より神器を盗み出す自信はあるのか?」

 朧の答は自信たっぷりだった。

「元々、忍びの技は、偸盗ちゅうとう術そのもの。城であろうが、どこであろうが、忍び込むには何の問題も御座らん」

 久忠は朧の答えに、思わず顔を顰めた。顰めた後、自分の表情が、朧に見えただろうか、と思った。

「そもそも、明国に、神器があるという話は、どこから湧いて出たのじゃ?」

 朧は暗闇の中で、身じろぎをした。

「儂が耳にしたところでは、明国の建国に謎がある。明の建国は、我が国の暦では正平六年(一三五一年)頃に勃発した、紅巾の乱より起こる。紅巾賊の首領、朱元璋が乱に乗じ、建国したのが、明だ。白蓮教徒を率いた朱元璋は、手に一振りの剣を持っていたという。その剣の力で、朱元璋はたちまち元を追い落とし、北伐を成功させたと、秘話にある」

「その剣が、神器だというのか?」

「さあな」

 朧は面倒臭そうな声音になった。

「それが神器かどうか、儂には判らん。が、元の建国にも、一振りの特別な剣が関わっていたと、『元朝秘史』に記されているそうな。ま、本当かどうか、判らんが」

 曖昧な話だ……。

 久忠は、今後が俄かに不透明になるのを感じていた。真実か否か、丸っきり判らない話──噂程度の頼りない内容。

 ふと、朧が夜空を見上げる。

 何を見ているのだろう、と久忠も朧の視線を追った。

 視界一面の、星空。

 天を仰ぐと、乳を撒き散らしたような、天の川がくっきりと横たわっている。

 やがて朧が呟くような声を上げた。

「奇門遁甲は、天文遁甲とも称する。従って、星の動き、配置を読み取る術もあるのだ」

 久忠は驚いた。

「お主は、星占いを能くするのか?」

 朧はふっと、笑い声を洩らした。

「まあな……。もっとも、常に当てになるとは限らんが」

「それで、今回の任務が成功するか、お主には占えたか?」

 暗闇に、朧がゆっくりと首を左右に振った気配がした。

「まだ判らん。ただ、儂の星占いによると、儂らは、考えられぬほど、奇妙な経験をする──そう、星は告げておる」

「頼りない答えだ!」

 久忠は、思わず声に嘲りを含ませた。

 朧はまるで怒りを表さず、暗闇で頷く気配を見せた。

「全くだ。だが、気になるのは、お主が同道する息子よ」

 久忠は虚を突かれる。

「小七郎が?」

「左様。今回の任務、お主の息子、小七郎とやらが、重要な鍵を担う──どういう意味か、まだ判らんが……」

 久忠は腕を組んだ。

 朧の言葉は、まるで謎だった。

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