八
小七郎を連れ立って箍屋へ顔を出すと、奥から菊子が転げるように姿を現す。
「あれ! 左衛門様! よう、御無事で……!」
「今、戻った」
板敷きに腰を落ち着けると、菊子は素早く膝を折り、久忠が連れて来た小七郎に視線を動かした。
「あの子供は?」
「儂の息子じゃ。名を、小七郎と申す」
久忠が紹介すると、菊子は、ぱっと顔を明るくさせ、小七郎に向けて両手を広げる。
「いらっしゃい! 疲れていない? それとも、お腹が空いていないかしら。まあまあ、着ているものが、酷い汚れ具合ねえ……」
菊子は久忠に、小七郎が盗賊団の一味であろうと聞かされている。当然、それを尋ねても良いのに、全く口の端にも乗せず、ただ「疲れていないか?」とのみ尋ねる。
さすがは、箍屋を束ねる女主人。肝がどっしり、据わっていると、久忠は密かに称賛した。
「飯でも食わせてやってくれ。後で着る物も、用意してくれ」
久忠の言葉に、菊子は一々頷き、手早く店先の使用人に向かって指示を飛ばした。
箍屋の使用人によって、小七郎が奥へと案内されると、菊子はようやく久忠に顔を向けた。目が、真剣な光を帯びている。
「それで、左衛門様。首尾は?」
盗賊団をおびき出す、作戦の結果を尋ねている。
久忠は重い唇を開いた。
「全員、その場で処刑した。盗賊団は事実上、壊滅したと、判断できるな」
盗賊を見つけ次第殺すのは、当時の常識である。が、やはり、他人の命を奪う行為は、後味が悪い。
久忠の憂鬱さを感じているのか、菊子は軽々しく「おめでとう御座いました」などとは口にしないのが、気を楽にしてくれた。
久忠は腕組みをして、菊子に顔を向けた。
「一つ、了解して貰いたい。あの小七郎、確かに拙者の息子ではあるが、母を失ったのを拙者の責任と考えておるようじゃ。そのため、色々と奇矯な言動をとるであろうが、目を瞑って貰いたい」
菊子はそっと目を伏せ、呟くように尋ねる。
「どのような言動で御座いましょう」
「拙者を、母の仇じゃと、小七郎は申しておる。いずれ、拙者を殺すつもりじゃ」
「えーっ!」
驚きに、菊子は顎を挙げ、目を見開いた。
「で、でも、左衛門様は、小七郎殿の、実の父親で御座いますよ。それなのに、殺そうとお思いなので御座いますか?」
久忠は苦笑いを浮かべた。
「そうだ。何しろ、小七郎が生まれてから、拙者の顔を見るのは、今日が初めて。さすがに父と子供であるとは、お互いすぐに認め合うのは、中々の至難であるな」
菊子は表情を平静に戻し、頷いた。
「いずれ、時が解決してくれましょう。しかし、小七郎の母者は?」
久忠は表情を渋いものにした。
「若い頃、あれの母者と親密になったが、拙者は、当時、まだ修行を始めたばかり。これでは修行が進まぬと、別れを告げたのじゃ。その頃、小七郎は母者の腹にあったのだろうが、拙者はとんと気付かなんだ。が、そのような場合を考え、何か困窮する事態が生じれば、拙者を訪ねるようにと、言い聞かせておった。しかし、あれの母者は、ついぞ、拙者を頼ろうとしなかった……」
久忠の脳裏に、小七郎の母親の映像が浮かんだ。大人しそうな印象の割りに、芯は強いものを持っていた。
そう言えば……、と久忠は改めて菊子の顔をまじまじと見詰めた。このように菊子に惹かれるのは、小七郎の母親に面差しが、どこか似ていたからかも知れぬと、思った。
菊子は遠い目をして、呟いた。
「小七郎殿の母御は、左衛門様を心底からお慕いしていたのでしょうね。左衛門様の修行の妨げになってはならじと、自分から身を引いたのでしょう」
久忠は軽く、頭を左右に振った。
「そうだろうか?」
「そうで御座いますとも」
菊子は暖かく、答えた。と、何かを思い出したように、ぱん、と両手を打ち合わせる。
「それより、良い報せが御座います」
菊子が唐突に声の調子を変えたので、久忠は驚いた。
「良い報せ?」
「はい。堺の港に、勘合船が到着したという報せで御座います」
久忠は即座に立ち上がった。
「見に行こう!」




