三
しとしと降る霧雨が、周囲を煙ったように覆っている。街道両脇の林に、たっぷりと湿気が沁み込み、梢に、葉先に、雨粒が凝結し、ぽたぽたと地面に滴を垂らす。
街道は長年月、多くの人馬によって踏み固められ、多少の雨では固く締まって、歩くのは不便ではない。
久忠は、頭に被った笠の縁からぽたぽたと垂れる雨粒を見詰め、手にした槍をぐっと握り締めた。
背後を振り返る。
堺から北へ向かう一筋の道を、今、商いの隊列が長々と伸びていた。先頭には槍、弓矢を構えた防備の一隊が周囲を警戒し、隊列そのもの両側にも、護衛の者がつき従っている。もちろん、殿軍にも、護衛の一隊が守っている。全員、笠を目深に被り、顔は見えない。
商いの列を望見すると、一見して商売の荷駄とは思われないかもしれない。荷駄には幟が翻り、周囲を守る護衛たちは、どう見ても歴戦の兵士として殺気を発散させている。
この頃、商売には危険が伴った。
時代は、後世《戦国時代》と称されるくらいで、各地の領主は通過する商人に対し、一様に保護を保障するものではない。自分の身は、自分で守らなければならない。
何しろ、大量の商品と、商売に必要な現金を移動させるのである。盗賊にとっては、目が眩むほどの獲物であろう。
堺の町そのものは、当時としては珍しい環濠が巡らされ、さらに頑丈な木柵が周囲を覆い、防備は万全となっている。
後にポルトガルからの宣教師が堺を訪れ「東洋のベニス」と本国に報告したように、盛んな商業と、町を守る防備。さらに自治を請け負う《会合衆》などの存在が、独特の性格を付与している(記録に《会合衆》の名称が明記されるのは、この時期より後だが、実際は、明確にその種の自治組織があったはずである)。
従って、盗賊が狙うのは、堺の町から出入する商列であった。町そのものは外敵からの侵入に固く備えがあるが、商列にはどうしても危険が伴う。
がたごとと、軋む荷車に積まれているのは、大量の莚に包まれた荷箱で、中に何があるのかは、良く判らない。
周囲を守る防備の態度から、相当貴重な品物──もしかしたら絹、木綿などの反物、あるいは砂金かもしれない──と思われた。
道の前方が、左側に大きく曲がり、崖が迫って遠望できない。右側は水田であるが、植え付けはまだで、水は引かれておらず、剥き出しの地面が広がっている。
先頭を守る防備兵の一人が、そろそろと久忠に近寄り、伸び上がるようにして囁いた。
「もし、盗賊らが襲うなら、この辺りで御座ろうな」
久忠は強く頷いた。
盗賊団を捕縛するため、久忠は会合衆に掛け合い、罠を仕掛けた。堺の町から、大量の貴重品が運ばれると噂を流させ、その後から商列を進発させた。噂が盗賊団を刺激したなら、必ずや襲撃するはずだ。
本当に盗賊団に、息子が加わっているのだろうか?
久忠は未だに、疑いを捨てきれない。
父親の忠行──実際は、忍者の朧からの情報であるが──から、久忠の息子が盗賊団と行動を共にしていると聞かされたとき、耳を疑ったものだった。
列の先頭が、曲がり角に差し掛かる。
久忠は、左側の崖を注視していた。崖の上には雑木林が密生し、誰か潜むなら絶好の位置と思える。
護衛の兵たちも同じ結論に達していると見え、さりげない仕草で、左側に人数を寄せている。
ひゅっ! と空を切る音がして、ぎゃあっ! と魂消るような悲鳴が上がった。
久忠は愕然となった。
振り返ると、列の両側を守る防備兵の肩に、深々と矢が刺さっている。しかし、久忠の予想した左側ではなく、右側の兵だった。
田の方向を見ると、がばっと土塊を押し退け、無数の人間が地面から湧き上がった瞬間を目撃した。
地面に深く穴を掘り、その中に盗賊が身を隠していたのだ。当然、左側を警戒していたため、そちらの方向に兵を集めていて、右側は薄くなっている。
「くそっ!」と久忠は舌打ちをした。初手は、完全に、敵に裏を取られた。
「わあああっ!」と喊声を上げ、盗賊たちが殺到する。皆、手に手に武器を持ち、両目は略奪の期待に爛々と輝いている。
列が停止し、左側に展開した防備兵たちが、右側へあたふたと移動している。久忠は命令を下していない。それを見て、久忠は直感的に「危ない!」と思った。
「その場を動くな!」と口を開く直前に、今度は崖上から喊声が上がった。
「はっ!」と仰向くと、崖上から十数人の人影が、姿を現す。敵は、両側に埋伏していたのだ!
ざああっ! と無数の矢が降り掛かり、右側に気を取られていた兵たちの背中に、次々と刺さった。この襲撃で、兵の半分が行動不能に陥ってしまう。
「きゃほほほほっ!」と奇声を上げ、盗賊たちが崖から野猿のように飛び降りた。
久忠は歯を食い縛り、手にした槍を構えた。
狂おしく、接近する盗賊たちの、顔を見て取る。
全員、年の頃なら三十前後。もっと年配の、男たちも混じっている。こっち側には、久忠の息子は混じっていないようだ。久忠は構えた槍をしごき、一散に突撃する。
ぶるんっ、と穂先を旋回させ、真横に薙ぎ払う。
ぎゃああっ! と、盗賊たちは腹を押さえ、あるいは顔を覆い、蜘蛛の子を散らすように後退する。一瞬の旋回で、盗賊たち全員、身体のどこかを斬られていた。
ちゃりんっ、がちっ! と金属同士が噛み合う、鋭い音に振り向くと、田から襲ってきた盗賊たちが、護衛の兵に襲い掛かったところだった。こっちは刀や、鉄棒などで、接近戦を仕掛けている。
護衛の兵たちは、皆、それなりの訓練を受けているはずだが、いかんせん、実戦経験が少なく、慌てふためいている。田からの盗賊が、数の上では多いようだ。護衛兵たちは、足下が浮ついて、押し捲られている。地面が濡れているため、つるつると滑って、腰が入らない。
足下が滑るのは、襲撃側も同じだが、奇襲する側が有利なのは、どの戦も同じだ。
崖側でまともに戦えるのは、事実上、久忠一人になってしまった。残りの兵たちは、崖からの矢に身を貫かれ、動けない。
盗賊の一人が、荷車に飛び上がり、莚を掛けた木箱に取り付いた。縛っている縄を手にした刃物でぶっつりと切ると、両目をぎらぎらと光らせ、蓋を抉じ開ける。
蓋が開くと、盗賊たちの顔に、一様に驚愕が弾けた。
久忠はニヤリと笑った。
箱からは、次々と兵が姿を見せて立ち上がった。全員、刀を振り翳し、盗賊たちに立ち向かう。
これが久忠の計略だった。箱の中に、兵たちを潜ませ、逆襲を狙ったのだ。堺からの荷車など、大嘘であった。
一瞬にして、立場は逆転し、襲撃側は追い詰められる。全く予想もしなかった逆襲に、今度は盗賊側が浮き足立った。
久忠は、この計略のために、全員に息子らしき年頃の少年を見掛けたら、絶対に殺さず、生け捕りにするよう、懇願していた。今のところ、襲撃側にそれらしい少年は見当たらない。
やはり、あれは何かの間違いではなかったのか……と久忠が考え始めた時、崖上から気配を感じた。
むっ! と崖を見上げた瞬間、霧雨を切り開いて、細っこい身体つきの盗賊が、一振りの刀を振り被り、飛び降りてくる!
「きええええっ!」
驚くほど鋭い気合が轟き、盗賊は久忠を目掛け、振り被った刀を真っ向微塵に振り下ろしてくる。
ぐあんっ! と久忠は、危うく敵の刀を槍で真横に振り払った。盗賊の刀は、かなりの業物らしく、久忠の薙ぎ払いにも全く折れず、かえって久忠の手元に、激しい痺れが残った。
「死ねやあっ!」
新たな盗賊は、絶叫すると、久忠に向かって第二撃を加える。身体つきは細く、背は久忠の顎先ほどだが、驚くほど敏捷で、力は強い。
久忠は必死になって、渡り合っていた。
しゅんっ! と刃先が空を切る音がして、久忠は一歩引き下がった。
相手の盗賊が、久忠に向かって、ニヤッと白い歯を見せた。雨に濡れ、顔にこびり付いた汚れが落ちて、素顔を晒している。
久忠は、どきりと硬直していた。
どう見ても、相手は十五歳にもなっておらず、顔立ちは少年であった。
もしや、息子では?




