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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第三章 孤児
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 堺に到着すると、久忠は分銅の看板が掲げられている商店に足を向けた。

 分銅の看板は、薬種問屋を意味する。屋号は《たが屋》で、堺に足を向ける際、久忠は常にこの店に顔を出す。

 店内に入ると、手代が飛び出し、久忠の顔を認めると「あっ!」と小さく叫び声を上げて、くしゃくしゃと笑顔になった。

「これは愛洲様、久し振りのお越しで!」

「うむ」と小さく頷き、久忠は背中の背負い箱を降ろし、蓋を開けた。

 中には山中で採取した薬草、薬根がぎっしりと詰められている。箱を覗き込んで、手代は歓声を上げた。

「これはまた、沢山お持ちになられましたなあ!」

「ああ、途中、山道を通ったので、目に付いたものを採ってきた。良ければ使ってくれ」

 手代は、ほくほく顔になった。

「もちろんで御座います。ところで、堺には御滞在になられますので?」

「そのつもりだ。厄介になる」

 久忠が返答すると、手代は心得顔になって頷いた。

「いつもの離れをお使いください。後で、主人が御挨拶に参ります」

 小女が板敷きに腰を下ろした久忠の足下に、たらいを持ってきて、草鞋を解いた足を丁寧に拭ってくれる。

 久忠は勝手知った店内に進むと、いつもの離れに移動した。

 数年前から久忠は、箍屋を堺での定宿としていた。山中で採取した薬草、薬根などを持ち込んで旅銀の足しにしていたのだが、いつしか店の人間と親しくなり、宿泊もするようになった。

 応仁の乱が収まったのは文明九年の、六年前であるが、それ以後、天下では地方領主が独立の気運を逞しくし、攻防を繰り返していた。

 戦乱が広がるに連れ、薬の値段も高騰した。戦傷を癒すための薬は、どの領主も必要としたからだ。そのために箍屋も商売を広げ、今では薬以外の商品も扱うようになっている。

 一例を挙げれば、砂糖が重要な品目となっている。

 元々砂糖は、薬の一つとして、明から輸入していた。この時代、砂糖は国内でほとんど生産されていない。甘味としては蜂蜜と干し柿が知られている程度で、糖蜜の形でしか生産されていないから、固体の粉末になった砂糖は、日本では貴重品であった。

 その他、味噌、醤油、塩など、人間の口に入る調味料の総てを扱う。但し唐辛子はこの時代、まだ伝来していない。

 離れに落ち着くと、足音がして、箍屋の主人が顔を出す。

「ようこそ渡られました……」

 指を突き、しとやかに頭を下げたのは、三十がらみの婦人であった。箍屋の主人は、女なのだ。

 名前は菊子。当時、庶民で女性の名前に「子」がつくのは、絶無とはいわないが、かなり珍しい。

 小柄で、細面の顔に、小さな目鼻がちまちまと整頓されたように収まっている。この顔立ちで、年齢よりはかなり若く見られる。菊子は久忠の顔を見詰め、にっこりと笑顔になった。

 久忠は軽く頭を下げ、挨拶した。

「また、世話を掛ける」

「お船にお乗りになられるのですか?」

 出し抜けに切り出され、久忠は、ちょっと絶句した。

「どうして、それを……?」

 久忠の反問に、菊子は軽く手を上げた。

「明へ向かう船が、ここ堺から仕立てられるのは、以前から噂になっておりました。愛洲様の方々も、資金を出しておられるので、太郎左衛門様がお出でになったのは、お船に乗られるのだと考えたので御座います」

「なるほど」

 久忠は納得した。相変わらず、菊子は鋭い。終始、笑顔を絶やさず、身動きは優雅なのでそうは見えないが、さすが箍屋という問屋の主人を勤めるだけはある。

「お茶をお持ちしました」

 菊子の背後から、使用人が茶の用意をして姿を現す。が、茶といっても、緑茶ではない。五加皮うこぎを煮出した煮汁で、この時代、山中の様々な薬効を持った茎、葉、根から煎じたものを、「茶」として総称している。

「関東は、いかがでしたか?」

 湯飲みを手にした久忠に、菊子はさりげなく口を開いた。一口、久忠は啜ると、菊子に向き直って答えた。

「野州まで足を伸ばしたところで、父上から使いが来て、引返した。本当は奥州まで行きたかったのだが」

「それは、大変でしたね」

 菊子は目を逸らす。

 久忠はちょっと上体を傾け、菊子の顔を見つめた。

「関東で争いがあるか、と聞きたいのであろう? 戦があれば、箍屋の商売に関係するからな」

「まあ」と、菊子は目を細め、薄く笑った。

 久忠は肩を竦めた。

「まったく、お主は油断ならぬ。片言隻句の切れ端から、天下の情勢を判断し、商売の種にしてしまうからな」

 菊子は大袈裟に両手で頬を押さえた。

「あらまあ! あたくし、そのように怖い女だと愛洲様に思われているのでしょうか」

 仕草に、意識しているのかしないのか、自然な色っぽさが滲み出ている。

 久忠が箍屋と親しくなったのは数年前で、その頃、菊子の夫は存命だった。やがて夫が流行り病でぽっくり逝くと、後を菊子が継いで、商売を繁盛させている。

 普通、店を守るため、菊子が後釜になる聟を迎えるのだろうが、どういうつもりか、独り身を通していた。

 夫が逝った頃、菊子はまだ二十代で、かなり歳が離れている。久忠はそのまま箍屋を利用していたが、ここ二、三年、菊子の態度が変化している。

 久忠が店に顔を出すと、菊子は何かと口実を付けて、滞在する離れに渡ってくる。世間話の合間に、久忠に対し、全身で好意を示していた。

 お互い、独り身同士で、久忠もその気はなくはないが、何となく曖昧な関係で通している。まあ、あと一年、二年も経てば、この関係に変化があっても良いと、久忠は思っていたが。

 久忠は湯飲みを置くと、菊子に対し、目を真剣にさせた。

「それより、箍屋に儂は聞きたい。wの聞いたところによると、最近、堺へ向かう荷が、盗賊に頻繁に襲われていると聞くが?」

「はい。それは、本当で御座います」

 久忠の態度に、菊子は笑顔を引っ込めた。次いで、少し小首を傾げる。

「盗賊の噂、なぜ、愛洲様が知りたいので御座いましょう?」

「それは……」

 久忠は苦渋の表情になった。

「もしかしたら、その盗賊一味に、拙者の息子が加わっているかもしれぬのだ!」

 今度は、菊子が絶句した。

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