五
赤々とした焚き火が、村の中央に開けた空き地を照らし出し、周囲に集まった男女の顔を浮かび上がらせている。地面に直に腰を下ろした男女の前には、各々酒器と、肴が用意されていた。
空を見上げれば、一面の星空で、雲はなく、夜空は晴れ上がっていた。
「若君、まずは一献」
座り込んだ久忠の隣から、村で若衆頭を勤める若い男が酒器を傾ける。久忠は一つ頷き、手にした茶碗に酒を注いで貰う。
後世にあるような、透明な液体ではなく、どろりと白濁している。酒精分も少なく、文字通り、鱈腹がばがば飲まないと、酔いは回ってこない。今の濁酒に近く、口当たりは粘っこい。
久忠は明に渡った時に、胡人がもたらした葡萄酒を、口にしている。西域からは色々と珍しい品物が明に流れ込んでくるが、葡萄酒の味だけは、今でも忘れ難い。
あれは旨かったな……と、久忠は久し振りの故郷で飲む酒を前に、思い出に耽っていた。
「小太郎様、何を考えておられる?」
興味津々に自分の顔を見詰める村の若者たちの顔に、久忠は我に返った。
「いや……何でもない」
「また、旅に出られるのであろう?」
問い掛ける若者たちの口調には、憧れが滲んでいる。
「うむ、父上の御命令でな」
「羨ましいのう……。儂も、若君のように、旅がしてみたいものじゃ!」
嘆声を上げた一人に、向かい側から声が掛かる。
「よせよせ、お主が旅に出ても、すぐに行き倒れるのが落ちじゃ! そうでなくとも、山賊に身ぐるみ剥がれるか、山犬に噛み殺されるか。若君がこうして、我らに旅のお話をして下さるだけで有り難いと思わなければな」
分別臭い声に、久忠は苦笑した。
この時代、村人が、江戸時代のように、気軽に旅を楽しむなど不可能であった。まず、あちこちに国持ち大名や、門徒宗によって設けられた関所があるし、今の旅行という概念すらない。国境を越えれば、そこは他国であり、身の安全など保障されるものではない。
久忠が武者修行の旅に出られるのも、神職の家系に生まれたおかげだ。他の念流、神道流の開祖が、久忠と同じく、宗教家の家系であるのも、偶然ではない。
というより、剣法などを極めようとする物好きは、神職や僧侶に限られていた。
当時は槍、弓矢が正式な武器であり、刀は身分を表すもので、戦いを決する武器とは考えられていなかった。
茶碗を手に、久忠は考えている。
最期に父親の忠行が口にした「お主の息子が生きておる」という言葉は、久忠の胸に突き刺さっていた。
心当たりは、ある。
まだ修行に出て間もない頃、久忠は旅の途中に、ある娘と只ならぬ関係を持った。若さゆえ、娘の肉体に溺れ「これでは修行の妨げになる」と反省し、去ったのだったが、息子がいるとすれば、あの娘しか考えられない。
別れの際、久忠は自分の名前を告げ、もし子供が生まれたら名乗り出るよう言い残したのだが、その後の連絡は一切なく、ほぼ忘れ去っていたのだった。
忠行の言葉によれば、久忠の息子は、堺の近くで暮らしていると聞かされた。
堺。
これから久忠が向かう町だ。
生きているとすれば、十四、五歳になっているはず。もう息子は元服しているのだろうか? もしそれなら、元服を執り行った仮親は誰だろう?
久忠は、自分がまだ見ぬ息子に会うのが心躍る事態とは、どうしても思われなかった。どう言い訳しても、久忠が娘を捨てたのは、明らかだ。
考え込んでいる久忠に、周囲の若者たちは言葉を掛けるのを控えている。
誰かが小声で、歌を口ずさんだ。
それを切っ掛けに、何人かが唱和し、歌声は徐々に大きくなった。どこにでもあるような、農作業の際に歌われる田植え歌である。
手拍子が加わり、久忠を置き去りに、酒宴は盛り上がる。
男も女も、ぐいぐいと酒を飲み干し、酔いが態度を大胆にさせる。
一人が立ち上がり、娘たちの輪に近づいて、意味ありげな仕草をする。娘たちは恥らっているが、それでも一人が若者の差し出した手を取って、立ち上がった。
「おうおう! お主、その娘が狙いか?」
冷やかしの声にめげず、若者は娘の手を取ったまま、闇に消えて行く。
農作業の歌は、次第に卑猥な内容に変わってゆく。
ぽつり、ぽつりと男女の姿が、闇に消えて行く。残っているのは、夫婦となっている連中か、すでに酔い潰れてしまっている者ばかり。
久忠は黙然と杯を重ね、闇を見詰めていた。




