四
「御所よりの使いが、直々儂の元へ参じ、口上を述べられた。宮中より失われた神器を、紫禁城より取り戻せ、とな。これは、秘中の秘であるから、文書などでは残せぬ」
父親の言葉に、久忠は黙って頷くだけだった。
あまりに重大な使命ゆえ、口を開けば、何を言い出すか、久忠自身、予想もつかない。ただ、息を詰め、じっと父親の忠行の口許を見詰めるだけだった。
忠行は淡々と続けた。
「失われたのは、剣じゃ。天叢雲剣、別名を草薙剣と呼ばれる、一振りの剣である」
久忠は眉を顰め、異議を唱えた。
「しかし、父上。天叢雲剣は、熱田神宮に奉納されておるはず。なぜ、失われたと?」
忠行は、そこで初めて唇を歪め、皮肉そうな笑みを息子に向けた。
「歴史上、神剣は何度も、盗難の憂き目に遭っておる。最も古い例では、天智天皇の御代に、新羅からの僧、道行の手によって盗まれたとされる事件じゃな。幸い、道行が乗った船が、大風で流され、本邦に戻されて発覚した。今から八百年も前の事件じゃ。その後も、何度も盗難、紛失が繰り返されておる」
忠行は唇を舐め、軽く目を閉じ、講義するかのような口調になった。
「壇ノ浦の戦では、源氏に追い詰められた平氏が、入水した時に失われたとされている。が、この時に失われたのは、神剣の形代であって、本来の剣ではなかった……と、『吾妻鏡』にはあるな。最も新しい例では、嘉吉三年の禁闕の変がある」
そこまで喋り終えると、忠行は目を見開き、意味ありげな笑いを浮かべた。
「妙とは思わぬか? なぜ三種の神器のうち、剣だけは、何度も紛失、盗難が繰り返されるのであろうか?」
忠行の笑いを見詰める久忠の胸に、ある考えが、ぽかりと浮かんで弾けた。
「まさか……神剣が、最初から偽物だったと仰せで? 熱田神宮に奉納されている剣は、本物ではない、と?」
「左様」
忠行はぐっと顎を引き、目を真剣にさせた。
「じゃが、間違えてはならぬ。熱田にあるのは、形代であって、偽物ではない。まさかの際に、控として収められておるものじゃ。実際、天皇の大嘗祭などでは、使用されておるからな。が、やはり、本来の剣が失われているのは、確かじゃ。そうでなくては、御所に三種の神器が揃わぬままなのじゃ。最近、紫禁城の宝物殿に、天叢雲剣らしき宝剣が収められておる事実が、遣明使節らの調べで、判明したのじゃ。しかし、明の皇帝に、返却を要請するわけにはいかぬ。まず、知らぬ存ぜぬを通されるであろうし、へたをすれば膺懲の軍を引き起こされるかも知れぬ」
膺懲──懲罰のための戦争を指す。事実、明を始めとして歴代の大陸帝国は、何度も周辺国へ、懲罰と称して侵略を繰り返している。
後世の実例では、二十世紀に入ってであるが、中華人民共和国が、ベトナムに軍を侵攻させた際、この言葉を使っている。
久忠は居住まいを正し、父親に向き直った。
「それで、拙者に白羽の矢を立てたので御座るか? 密かに明の宮廷から、神剣を盗み出すために」
忠行は素知らぬ顔で反問した。
「厭かな?」
久忠は憤然と答えた。
「拙者は、盗賊では御座らん! まず、できぬ相談で御座ろう」
忠行はちょっと手を挙げ、久忠の興奮を鎮める仕草になった。
「まあ、それは判っておる。実際の仕事は、別の人間が担当する手筈じゃ。お主は、その人物と一緒に、明に渡って貰いたい」
忠行の言葉に、久忠はあんぐりと口を開いてしまった。
「別の人間とは? 拙者が盗賊づれと、同行するので御座るか?」
忠行は腕組みをして、顔を左右に振った。
「いいや。盗賊ではない。それは──」
久忠の脳裏に、ある言葉が閃いた。
「もしや、忍びの者では?」
「ほ! なぜ判った?」
忠行は久忠の言葉に、唇を丸めて問い返す。久忠は、強いて無表情を装い、父親の質問に答えた。
「実は、ここに来る前に、峠で……」
と、峠道で出会った怪異を詳しく説明する。久忠の説明に、忠行は何度も「ふむふむ」と相槌を打った。
「まさしく、そ奴は御所からの、忍びの者であろうな。御所からの使いが、儂の元へ遣わされたとなると、当然、お主が呼び戻されると考え、待ち受けたのであろうよ」
久忠は屈辱感に、つい口調を荒げた。
「なぜ、あのような悪戯を仕掛けたので御座る?」
忠行は肩を竦めた。
「あ奴等は、独特の論理で動く。常の人間とは、懸け離れた理屈があるのじゃ。恐らく、いずれ自分がお主と出会う際、儂の口から、いきなり忍びの者と組めと言われれば反感ばかりが先に立つ。それよりは、わざと自分の存在を知らせておけば、お主の心構えが違うと考えたのじゃろうな」
久忠は苦り切った。
「何と、卑怯未練な考えで御座ろう!」
久忠の態度に、忠行は笑った。
「それよ! 卑怯者、臆病者とは、忍びの者にとっては、最大の賛辞となる。お主が奴を、卑怯、臆病と思うのが、奴の最大の狙いなのじゃ。大胆、勇気などは、忍びの者にとっては、馬鹿者と同じ意味を持つでな」
忠行は、久忠が考え込む仕草をするのを見て取り、狙い澄ましたように、もう一つの、久忠にとっては寝耳に水の真実を明かした。
「それより、知っておるか? お主には息子が──つまりは、儂にとっては孫がいるという報せを?」
「えーっ?」
久忠は驚きに顔を上げ、父の顔を見詰めた。




