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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十七章 帰途
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 文明十八(一四八六)年、夏。久忠を乗せた船は、瀬戸内海を東へと進み、堺港へ近づきつつあった。

 堺を出港したのが、文明十六年の暮れであるから、丸二年も日本を留守にしたわけである。

「もうすぐ、堺が見えるな。懐かしいであろう?」

 久忠と朧は、船縁に並んで、前方の水面を眺めていた。久忠は朧の言葉に、無言で頷いた。

 久し振りの日本の海は、やはり大陸とは違った。波の色も穏やかで、寧波で見た、泥のような濁った海の色とは、大違いであった。

 久忠が黙っていると、朧は構わず、話を続けた。

「それにしても、お主の息子が、まさか、明国の、皇帝となるとはなあ! まあ、脇に控える鄭絽と李荘が、上手くやってくれるだろう。結構、名君となるかもしれぬな」

 久忠は海を見詰めたまま、口を開いた。

「やめてくれぬか? 小七郎は、もう、拙者の息子でも何でもないのだ。それに、今のような話を吹聴すると、お主の正気が疑われるぞ」

 朧は肩を竦めた。

「まあな。まさか、明の皇帝が、実は日本人などと、誰に話しても、信じてはもらえぬ。逆に不敬であると、誹られるのが落ちじゃ。まあ、儂らの胸に、納めておくのが、正解じゃろうな」

 朧の無神経な軽口がやんで、久忠は甲板を見渡した。

 堺へ向けた、明の荷物が満載した甲板には、朧が持ち込んだ荷物も混じっている。細長い包みを目にしながら、久忠は朧に話し掛けた。

「拙者は、お主に質したいのじゃが、なぜ例の〝火槍〟を置いてきたのじゃ? あれは、あの〝火槍〟では、ないな?」

 久忠の確認に、朧は苦い顔になって頷いた。

「左様。あの荷物は〝火槍〟ではない。ただの、古道具屋で見つけた、古代の剣を模した安物じゃ! まあ、古びておるのと、手入れされておらぬので緑青だらけなのが、逆に本物ぽく見えるので、買い求めたのじゃ。宮中では、真贋など判らぬ禰宜ねぎどもが、有り難がって、伏し拝むのが見えるようじゃわい」

 久忠は、もう一度しつこく質問した。

「だから、なぜ、と申しておる! お主の使命は、宮中より失われた草薙の剣を取り戻すとされておる。紫禁城で発見した〝火槍〟が、草薙の剣ではないのか?」

 朧は、そっぽを向き、怒ったように答えた。

「草薙の剣など、ないのさ! そもそも、最初から、この使命は、欺瞞だったのだ!」

 朧の告白に、久忠は心底、仰天した。

「何だと!」

 朧は静かな口調で話し続けた。

「最初から、儂は宮中の使命については、疑っておった。神剣など、元々あったのか? と。儂が紫禁城に忍び込み、古文書から〝火槍〟の存在を知ったとき、日本から神剣が大陸に奪われたなど、有り得ぬ話だと確信したのじゃ。良く聞くのじゃ、太郎左衛門」

 朧は真剣な表情になった。

「〝火槍〟は、火薬を利用して、小石ほどの弾丸を打ち出す兵器じゃ。火薬を利用して打ち出すため、威力は石弓など、比較できぬほど強い。十間も離れた場所の、樫の厚板を、貫くくらいの力がある。良いか、火薬じゃぞ! 古事記や、日本書紀に書かれた時代に、火薬が日本に伝来しておったか、考えても判る話じゃ!」

 久忠は呆気に取られた。

「では、では……! 総ては作り話であったと、お主は申すのか?」

「そうは、申しておらぬ。単に、遣唐使、遣隋使から持ち込まれた噂話に、尾鰭がついて広がったのじゃろ。その噂話が、失われた神剣に、結びついたのかも、知れぬ。じゃが、それは良い。問題は〝火槍〟を、お主は戦場で使いたいか、と聞きたい。どうだ、太郎左衛門。お主は武道家であろう。お主の精妙な技も、ただ一発の〝火槍〟で、何の修行もせぬ、雑兵に討ち果たされるような戦を、お主は望むのか?」

 朧の長広舌に、久忠は黙り込んだ。確かに朧の言葉には、一理がある。日本に〝火槍〟が持ち込まれ、全国津々浦々に広まっていく光景を、思い浮かべた。

「拙者には判らぬ。拙者は一武芸者に過ぎぬ。〝火槍〟をどうこうするなど、それは為政者の考えじゃ」

 がっくりと項垂れた久忠に、朧は分別臭く、頷いた。

「儂も、ただの忍びの者にすぎぬ。今は我楽多がらくたでも、宮中の腐れ禰宜どもに与えておれば良いのじゃ。もし〝火槍〟を必要な時代が来たとしても、儂らが死んだ後じゃろうよ」

 何かを思い出したのか、朧はニッと笑った。

「それに、あの臭い! 点火するための火縄には、火を長持させるため、硫黄が沁み込ませてあってな。火縄が燃える時の臭いは、堪らぬぞ! 多分、毒猿が悩乱したのも、あの臭いにやられたのじゃろう」

 朧は天を仰ぎ、乾いた笑い声を立てた。

 その時、水主かこが帆柱に掴まり、大声を上げた。

「堺が見えたぞ──っ!」

 水主の大声に、久忠は船端に身を乗り出した。

 視線の先に、ごちゃごちゃと雑多な建物が寄り集まった、堺の港が近づいてくる。建物の形は、明で目にした鋭い傾斜の屋根ではなく、日本らしい、なだらかな線を見せる屋根の形。

 久忠にとっては、心の休まる眺めであった。

 港の桟橋が近づき、船を認めて、境の町から、三々五々と、人々が集まり出した。

 人々の顔に、久忠は懐かしい顔を見つけた。

 小柄な身体つきに、丸い白い顔。目鼻立ちは控えめで、野の花のような、清潔な美しさがあった。

たが屋』の女主人、菊子の姿であった。

 菊子は久忠の顔を認めたのか、白い頬をぽっと赤らめ、大きく手を振った。

 久忠も、手を振り返した。

「太郎左衛門様──っ!」

 菊子の細い、高い呼び声に、久忠はさらに手を振り返し、叫び返した。

「今、帰参いたしたぞ! お互い、息災で目出度い……」

 久忠の声は、喉の奥で立ち消えてしまった。

 なぜなら、菊子の片方の腕には、小さな子供──二、三歳ほどであろうか──男児の手が握られていたからだ。

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