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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十七章 帰途
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 久忠と朧は屈み込み、倒れている皇帝の顔を近々と覗き込んだ。

 不気味に変色し、すっかり死体だと思えたが、微かに口許が動いていた。どろりと黄色く濁った瞳が、何かを追い求め、動いている。

「生きている……! 信じられぬ……」

 久忠が呟くと、朧は冷静な口調で、解説してくれた。

「多分、猿の毒が弱かったのじゃろうな。皇帝に噛み付く前、散々、沢山の敵に毒を振るっておった。元々、体内に溜め込んでいた毒は、皇帝に噛み付く以前に、大部分を消費していたのかも、知れぬ……」

 久忠は希望を込めて、朧に尋ねた。

「助かるか? お主の解毒薬は……?」

 朧は渋い表情になって、首を横に振った。

「無理じゃろう。皇帝は老齢じゃ。身体もそう、丈夫ではなさそうであるし……」

 皇帝が、ごろごろと鳴る喉の奥で、何事か呟いている。久忠は、慌てて耳を近付けた。微かな息のした、皇帝の声が届いた。

「三平……息子は……無事か……?」

「陛下、皇太子様は……」

 殺された……と答えようとした久忠を、朧は遮った。ぐいっ! と久忠の襟元を掴み、朧は久忠の耳に囁き掛けた。

「よせ! 死んだと告げて、どうなる?」

「し、しかし……」

 言い返そうとした久忠は、とぼとぼとした歩きで近づく、小七郎に気付いた。

 小七郎は、すっと成化帝の側に膝を下ろすと、恭しく話し掛けた。

「陛下……朱三平で御座います……陛下にあらせられましては、お健やかで、息子として欣快至極……」

 久忠は呆気に取られ「何を言い出すのか!」と言いかけた。

 が、朧は再び、久忠の襟元を掴み、細かく顔を左右に振った。指を一本、ぴたりと唇に当てている。

「黙っていろ!」と命じているのだ。

 小七郎は、まるで感情の入らない棒読みで、汪直が教え込んだ皇帝に謁見する時の台詞を口にしている。

「三平……!」

 皇帝の目尻に、涙が溢れた。

 ごろごろと、皇帝の喉が鳴った。

 ぐあっ、と倒れている皇帝の身体が、大きく波打った。驚いて、久忠は、皇帝の身体を押さえ込もうとするが、皇帝の口許から、真っ黒な液体が溢れ出た。

 げぼーっ、と真っ黒な液体を口から溢れさせ、成化帝は全身を硬直させた。真っ黒な液体は、腐ったような悪臭を放っていた。

 その間にも、小七郎は淡々と、汪直に叩き込まれた台詞を、口にしていた。

「よせ!」

 堪らなくなり、久忠は小七郎の口を押さえた。それだけで、小七郎はピタリと、棒読みの台詞を終わった。

 朧と久忠は、顔を見合わせた。

「どう思うかね?」

 朧が、ぼそりと、呟くように久忠に尋ねた。久忠は無感動に、返事をした。

「どう思うかとは、何をだ?」

「決まっている。成化帝は、最後に、小七郎を息子と思ったか、それとも偽物と見破ったのか……」

 吐き捨てるように、久忠は答えた。

「それがどうした! 陛下は死んだのだぞ」

「いいや、儂は知りたい。陛下が、今際に、どうお思いになられたかを!」

 別の声が聞こえ、久忠は「えっ?」と声の方向を見た。

 そこには、魚林軍師範の鄭絽と、皇太子の護衛を勤めていた李荘の姿があった。

 久忠は、ゆっくりと立ち上がり、二人に向き直った。

「なぜ、そうお思いになられるのかな?」

 李荘は慎重な口振りになり、一言一言、ゆっくりと答え始めた。

「なぜなら、陛下が小七郎殿を、我が息子とお思いになられた場合には、跡継ぎは小七郎改め、もう一人の朱三平となられるからだ!」

 鄭絽が、ずいっ、と一歩前へ出た。鄭絽は、李荘と対照的に、性急な口調になった。

「皇太子様は亡くなられた! これはもう、取り返しのつかぬ! しかし、この重大事を知っておるのは、我らのみ! ならば、我らが口を拭っておれば……」

「待て待て!」

 久忠は愕然となって、手を振った。

「お主らの主張は、聞こえぬぞ! それでは、偽物の皇太子が……いや! 小七郎が、明の次代皇帝となる理屈じゃ!」

 李荘は目を据えた。

「それが、どうした? このままでは、内紛が起きる! 明帝室を守るために、我らは小七郎殿を、朱三平様と奉じる覚悟! 幸い、小七郎殿は、朱三平君と瓜二つ! 黙っておれば、誰も看過できぬ」

 久忠は頭を抱えた。帝国を守ると称して、こいつらは何を企んでいるのか!

「いいじゃないの。あたしも、小七郎を守ってあげる!」

 出し抜けに、アニスが口を開いた。

 久忠が呆れてアニスを見ると、アニスは青い目を一杯に見開き、元々色白な顔をさらに蒼白にさせ、決死の覚悟を表情に上らせている。

 朧が肩を竦め、鼻の奥で、ぐずぐずとした笑い声を上げた。

「面白いな! いや、儂も色々な陰謀をこの目で見、また、関わってきたが、これほどの大掛かりな陰謀は、経験がないぞ!」

「朧っ!」

 久忠は、猛烈な怒りに駆られて朧を見た。朧は余裕綽々といった態度で、小七郎に顎をしゃくった。

「どうだ、この際、小七郎に尋ねてみては? まだ、小七郎の意見は、誰も耳にしてはおらぬぞ」

 朧の言葉に、久忠は驚いて、小七郎に目をやった。

 小七郎は、ぼんやりとした表情で、アニスを見ている。

 久忠は小七郎に向き直り、真剣な口調で話し掛けた。

「小七郎。お主は、どう、したいのじゃ?」

 小七郎の瞳が微かに動き、アニスを見る。唇がぶるぶると震え、何かを言いかけた。久忠は、息を呑んで、小七郎を見守った。

 感情の喪失した小七郎の表情に、何かが表れようとしている!

「私は……」

 ごくりと唾を飲み込み、小七郎は、もう一度アニスを見詰めた。

「私は……アニスと一緒に……」

 震える手が、アニスの方向に差し伸べられた。アニスはそっと、小七郎の手を取った。

 手を握り合い、アニスと小七郎は、お互いの目を見詰め合った。

「決まりだな」

 朧が宣言し、久忠は、がっくりと、肩を落とした。

 なぜか敗北感が込み上げた。同時に、不思議なほど、解放感も伴っていた。それはなぜだろうかと、久忠は自問した。

 が、答はなかった。

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