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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十七章 帰途
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 毒猿が、まっしぐらに、小七郎に突進する光景を見て、忠久の背筋に、悪寒が駆け登った。

 しまった! 今の小七郎は、木偶の坊そのものだ。あれでは、毒猿に一瞬で殺されてしまう!

 無我夢中で、忠久は毒猿を追い掛ける。もう、眼中には、汪直も皇帝親子もなかった。恐怖に視界は狭まり、忠久は必死になって、駈け続けた。

「小七郎──っ! 逃げよ!」

 無駄だと知りつつ、忠久は叫んだ。

 アニスは、近づく毒猿を、無心に見詰めていた。恐怖で、身動きできないのだろう。

 アニスの横に立つ小七郎は、表情には何も浮かばず、ぼんやりとしたまま、立ち竦んでいた。

 朧は肩に担ぎ上げていた〝火槍〟を壁に立てかけ、二人を守る位置に進み出た。

 なぜ、〝火槍〟を使わないのか……。朧に向かって叫びたい。

 だが、多分、〝火槍〟は、たった一度、使用できるだけで、再び激発は無理なのだ。

 あれほど朧に対し、恐怖の感情を剥き出しにした毒猿が、今は一散に突撃している。

 ぽたぽたと、忠久が切り飛ばした腕の付け根から、毒猿の血が流れ落ちた。驚くほど大量の血液を失いながら、毒猿の動きには、何ら変化はなかった。

 朧は懐に手を入れた。出すと、掌に何かを握っている。

 さっと腕を振り上げ、握り締めた何かを、毒猿の目の前の床に、叩きつけた。

 ぱあーんっ、と炸裂音がして、毒猿の目の前で、ぱっと白い煙が上がった。

「ぎゃっ!」

 毒猿は、散った白い煙に、目をやられ、横っ飛びになって、その場を逃れた。今のは、目潰しだったのだ!

 飛んだ真正面に、小七郎がいた!

 小七郎は無感動に、毒猿を見下ろしている。

 逃げろ、小七郎!

 忠久が心の中で叫ぶ。

 が、小七郎は、忠久の思いも寄らぬ行動に出た。

 気がつくと小七郎は、忠久が与えた脇差を腰に差していた。小七郎は、自然な動作で、腰の脇差を抜き放ち、見事な太刀筋で、一太刀に毒猿に向かって斬り下げた!

 びくんっ、と毒猿が、身を直立させ、動きを止めた。

 ぐら──、と上体が揺れた。ぱくりと、首の付け根に、裂け目ができた。ぶらりと、猿の頭が、逆さまに後ろに落ちる。

 小七郎は、首のわずか一筋残し、毒猿の首を切断していたのだ!

 びゅっ、びゅっと、毒猿の首から、血液が噴出し、ようやく猿は仰向けに倒れた。首を切断されても、四肢は反応を続け、びくびくと何度か、痙攣を繰り返した。

「見事!」

 久忠は賛嘆の声を上げていた。

 駆け寄ると、小七郎は久忠の言葉に何ら、反応を見せない。自動的に手が動き、握った脇差を、ぱちりと鞘へ納めた。

 久忠は膝を床に着き、小七郎の顔を覗き込んだ。

「小七郎……父が判るか?」

 小七郎の瞳が、僅かに動いて、久忠の目と合った。だが、未だに何の表情も浮かんではいなかった。

「父上……?」

 呟き、小七郎は首を傾げた。

 久忠は、小七郎の言葉に、急に勇気付けられた。もしかすると……?

「左様じゃ! 拙者が、お主の父じゃ! 儂が判るかっ?」

 急き込んで声を掛けると、小七郎の表情が歪んだ。眉を顰め、顔色が見る見る、真っ赤に染まる。

 何かを堪えているようで、思い出す行為が、苦痛らしい。

 ぽん、と久忠の肩に、朧の手が置かれた。

「無理じゃ。そのように焦っては、治るものも、治らぬ。今は、黙って、見守ってやるのが、上々」

「そうか……」

 急速に、気分が醒め、久忠はぎくしゃくとした動きで、立ち上がった。

 だが、今、小七郎が見せた剣技は、忠久が船でさんざん、教え込んだ技だ。薬の影響で人格が押さえ込まれていても、無意識に出たのだろう。

 希望はある!

 朧が無責任な口調で、忠告してきた。

「それより、皇帝親子だが、殺られたぞ」

「何っ!」

 朧の言葉に、久忠は慌てて背後に目をやった。

 床の真ん中に、皇帝と、皇太子が二人、折り重なるように倒れている。汪直の姿は、ない。

 まさか?

 朧と忠久は、急ぎ足になって近づいた。

「やられているな。見事な手際だ」

 朧は、平板な口調で寸評した。

 仰向けに倒れている皇帝の胸に、首を有り得ない角度に捻じられた皇太子が、凭れていた。

 皇太子は息をしていない。完全に、息絶えていると、見て取れた。

「汪直か、あいつが殺ったのか……」

 真っ黒な絶望感に駆られ、久忠は呟いた。

「他には、おらぬよ」

 朧の、太平楽な返事に、忠久はかっとなった。

「お主は気楽過ぎるぞ! 考えて見よ! 明帝国の、皇帝が殺されたのだぞ! しかも、皇太子が一緒にだ! この重大事の意味を、考えるべきだ!」

 朧は、まるっきり、動揺を見せなかった。

「それが、どうした。殺したのは、儂らではない。宦官の汪直と、判明しておるではないか。第一、儂らは、日本の民じゃ。明の臣民でもなければ、王室に仕える官吏でもない。いわば、ただの通りすがりじゃ」

 久忠は「ぐう」の音もなかった。まさに、朧の言い分は、正しい。

 朧が、じろっと、倒れている皇帝の死体に目をやった。

「それより、皇帝だが、死んだと思うのは、早計だぞ」

「何だって……?」

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