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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十六章 剣の影
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 謁見の間に轟き渡った轟音に、汪直の鼓膜は、ほとんど役立たずになって、きーんと甲高い耳鳴りを残した。

 こんな大きな音がするものだとは、思ってもいなかった!

 気付くと、首を絞め上げていた成化帝が身を捩って、汪直の手から逃げ出すところだった。

 慌てて絞め上げようと、力を込めた。だが、すでに成化帝は汪直の把握から、逃げ出してあたふたと遠ざかった。

 くるりと振り向き、成化帝は、口をパクパク開閉させている。何か叫んでいるのだが、今の汪直には、一言たりとも、耳に届かない。しかし成化帝の叫んでいる内容は、容易く推測できる。

 多分「この謀反者め!」とか、そんな内容だ。

 汪直の鼻に、きつい、刺激性の匂いが突き刺さる。金属製の厭な匂いに、嚔が出そうになる。

 それでも汪直は、必死に我慢した。

 火槍が火を噴いた結果だ。文字通り、火槍は、轟音とともに、橙色の炎を一直線に噴き出した。信じがたい恐ろしい光景を、汪直は、はっきりと、自分の目で確認した。

 まるで雷が、一本の棒のように、筒先から伸びたようだった。

 そうだ! 毒猿は、どうなった?

 汪直の痺れた頭脳が、ようやく目覚めてくれた! 汪直はきょろきょろと周囲を見回して、毒猿の姿を追い求めた。

 すぐ近くに、倭人がばったりと、俯せになって倒れている。

 では、朧の火槍は、太郎左衛門を倒したのか?

 いや、太郎左衛門は、衝撃に身を伏せさせただけらしい。俯せから、出し抜けにがばりと上体を起こした。

 汪直と同じように、キョトキョトと目玉を動かして、周りを探っている。

 太郎左衛門と、汪直の視線が合った。

「……直!」

 汪直の聴覚が、やっと元に戻り始めた。太郎左衛門の喚き声が、聞こえ始める。同時に、多数の人々が立てる騒音も、耳に届き始めた。

 猿は、猿はどこだ!

 汪直と、太郎左衛門は、同時に毒猿を見つけた。

 毒猿は壁に竦み上がって、ぶるぶる震えていた。全身の毛が逆立ち、倍ほどに膨れて見えた。真っ赤な両目が、燃え上がるように爛々と光っている。

 どうやら火槍は、猿から狙いが逸れたようだった。

 太郎左衛門が、毒猿に向かって刀を振り上げた。殺すつもりだろう。

 汪直は、自分の位置と、猿、成化帝の位置を測った。

 よし!

 太郎左衛門が猿に向かって、たたたっ、と軽い足取りで進む。それに合わせ、汪直は袖の隠しから短剣を一本、指で挟んで投げつけた。

 狙いは、わざと外している。

 汪直の投げつけた短剣は、壁の装飾に当たり、きいーんっ! と澄んだ音を立てた。

 その音に、太郎左衛門はぎくりっ、と一瞬、躊躇を見せた。同時に猿も、呪縛から解けたように四肢を伸び上がらせ、跳躍した。

 太郎左衛門の顔に「しまった!」と言いたげな、後悔の表情が浮かんだ。さっと日本刀を振り下ろす。

 が、すでに刃の下に猿はおらず、逃げ去っていた。

 汪直の罠は、まだ終わっていない。

 投げつけた短剣は、壁で跳ね返り、猿の尻に、ぐさりと突き刺さった。

「ぎゃーっ!」

 猿は痛みに絶叫し、蜻蛉返りを披露した。猿が跳躍した先に、成化帝がいた。

「ひーっ!」

 すでに猿の恐ろしい姿をたっぷり、目にしている成化帝は、棒立ちになって、毒猿に向かい合った。両目を一杯に見開き、口をがばっと、大きく開いている。

 成化帝の表情は、毒猿にとって、挑発に等しい。

 毒猿は、ぱっと飛び上がり、成化帝の足首に、ぐわっと噛み付いた。

「あー……っ!」

 成化帝は大きく叫ぶと、ぴん、と身体を硬直させた。

「陛下っ……!」

 太郎左衛門が、喘ぐように、小さく叫んだ。

「父上……!」

 朱祐堂皇太子も、茫然と立ち竦んでいる。

 成化帝は、壁に張り付いたように背中を押し付け、声もなく身を竦ませている。

 と、いきなり成化帝の身体が、三尺も垂直に飛び上がった。助走なしで、どこにこのような、爆発的な力が秘められていたのか、不思議なほどだった。

 そのまま、床にばったり倒れると、再びむっくり起き上がり、ぴょん! ともう一度、飛び上がる。

 床に両脚が着地すると、さらに飛び上がった。

 ぴょん、ぴょん、ぴょんと、成化帝は、壊れた糸操り人形のように、謁見の間を飛び跳ねた。

 遂に、糸が千切れたように、成化帝は床に這い蹲った。

「ぐぐぐぐぐ……っ!」

 呻き声を上げ、成化帝は手足を奇妙な角度に、捻じっていた。巫士が猿の毒のため、死んだ状況と、全く同じである。

 ばきぼき、ぼきぼきと、成化帝の全身の筋肉が、自らの身体を捻り潰してゆく。

 成化帝の顔は、驚愕のために歪んでいた。今、成化帝の味わっている苦痛は、人間が耐えられる限界を越えているはずだ。

 限界を越えた苦痛ゆえか、成化帝の老いた顔に、恍惚といってよい、表情が浮かんだ。笑い顔を顔に張り付かせ、成化帝は息絶えていた。

「父上──っ!」

 皇太子が絶叫し、成化帝の遺体に取りすがった。背後に太郎左衛門が棒立ちになって、親子の悲劇を見詰めていた。

 さっと太郎左衛門は、猿を睨んだ。

 猿は「きっ、きっ!」と叫びながら、謁見の間を、無目的に走り回っている。

 太郎左衛門の顔に、怒りの色が差し昇った。のしのしと、大股に猿に近づき、日本刀を構える。

「許せぬ!」

 猿は近づく太郎左衛門に気付き、恐慌に陥っていた。大きく口を開き、べっ! と唾液を吐き出す。

 猿の唾液にも、猛毒が含まれている。

 太郎左衛門は、さっと猿の攻撃を躱すと、刀を下から斜め上へ斬り上げた。

「ぎゃんっ!」

 さすが猿の反応は素早く、太郎左衛門の刃を避けた。それでも太郎左衛門の刀は、毒猿の片腕を斬り落としていた。

 猿の腕から、どぼどぼと大量の血液が迸った。片腕から迸った血液は、なぜか、どす黒く、血にすら毒が含まれているようだった。

 太郎左衛門はとどめを刺すべく、再び日本刀を振り上げた。

 猿は残された体力を振り絞り、猛然と四つん這いに……いや、腕が一本少ないため三つん這いになって、逃げ去った。

 逃げ去った先に、アニスと小七郎がいた!

 毒猿の行動に、太郎左衛門は蒼白になっている。唇を噛みしめ、即座に太郎左衛門は、猿を追い掛け、走り出した。

 すでに太郎左衛門の頭には、皇太子も、皇帝も、汪直の存在もないのだろう。太郎左衛門の視線は、一途に、息子の小七郎に向けられていた。

 汪直は太郎左衛門の行動を確認すると、さっと立ち上がり、床に倒れている成化帝と、取りすがる朱祐堂に近づいた。

 朱祐堂は汪直の足音に、ゆるゆると頭を上げた。汪直と視線が合うと、皇太子の顔に、茫然とした表情が浮かんだ。

 汪直の正体に気付いていないのか? 皇太子の表情には、何の疑惑も浮かんでいない。

 そうだ。考えてみれば、汪直と皇太子は初対面であった。配下の者から、さんざん汪直の企みを聞かされていても、こうして面と向かい合っていないので、不審を抱く間もなかったのだ。

「父上が……い、医者は、どこにおるのか? 父上をお救い申し上げなくてはならぬ」

 皇太子は汪直に向かって、掻き口説いた。口調には一切、疑いが含まれていない。

「今、呼びに参りました。いずれ、参上するでありましょう」

 汪直が答えると、皇太子は「そうか」と呟き、父親に視線を落とした。

 皇太子が視線を逸らした瞬間を逃さず、汪直は背後に回り込み、皇太子の頭と、顎に腕を巻きつけた。

 そのまま、一気に捻り上げる。

 ごきっ! と、頚骨が外れる音がして、皇太子は「ぐぶっ!」と呻き声を上げた。気道が潰れ、皇太子は絶息して、ばったりと父親の胸に倒れ込んだ。

 汪直は薄ら笑いを浮かべ、振り向きもせず、その場を立ち去った。

 皇帝と皇太子、二人とも汪直自身の手で屠り、真実、明帝国を滅ぼせたのだ!

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