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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十六章 剣の影
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 それは汪直の錯覚だろうか。出入口から差し込む光を背中に受け、凛然と立つアニスの背後には、輝く背光を戴く、神々しい姿が……。

 汪直は息を呑んだ。

 いや! あれは、神の御姿などではない! ただの人間だ。

 ひょろりとした痩身を粗末な衣服で包み、頭には一本も毛髪はない。そのため、一見したところ修行僧に見えるが、背中には大きな青銅製の筒を背負っている。背中に背負う、青銅製の筒が、光を反射し、背光に見えたのだ。

 顔の真ん中に、ぶらりと下がった巨大な鼻に、皮肉そうな目つきは、断じて俗世を脱した僧侶などでは有り得ない。

 あいつは、朧という、太郎左衛門の仲間だ。アニスと小七郎を見つけ、ここへ連れて来たのだろう。

 汪直は、朧が背負っている青銅製の筒を、まじまじと見詰めた。

 記憶が確かなら、あれは紫禁城の、書物庫で目にした〝火槍〟そのものだ。やはり、宝物殿に潜み〝火槍〟を盗み出した犯人は、朧に間違いなかった。

「ぎいいいっ!」

 毒猿が、猛然と歯を剥き出し、充血した真っ赤な両目を見開いて、唸り声を上げた。完全に興奮していて、巫士は悲鳴を上げるように、猿に話し掛けていた。

「こら! 何を怯えておるのじゃ? あれは、ただの人間じゃぞ!」

 汪直は、巫士の言葉を聞き咎めた。

「怯えておる? 儂には、猿が大層、怒っておるように思えるが」

 巫士は大きく、頭を振った。

「いいえ。儂には判ります。この猿め、あの痩せた人間に、怯えております」

 毒猿は頬を膨らまし、「ふーっ! ふーっ!」と何度も呼吸を繰り返していた。

 猿の息には、毒が含まれている。汪直は、猿の毒を吸い込まぬように、慌てて身を引いた。

 その時、太郎左衛門の刀に巻きつかせたままの鞭を、解いた。この状態では、太郎左衛門を捕えている有利さが、逆に身に危険を及ぼしかねなかった。

 猿を押さえ込もうと、巫士は背後から首筋に、片手を伸ばした。巫士の両手は、分厚い皮手袋で覆われ、毒を受けぬように工夫されている。

「ぎゃんっ!」

 背中に巫士の手が触れた途端、猿は絶叫し、くるりと身体を回転させた。振り向きざまに、巫士の手首に、がぶっと噛み付いていた。

 毒猿の巨大な犬歯は、巫士の分厚い服地を、深々と貫いていた。

「わあっ!」

 噛まれた手首を押さえ、巫士は狼狽を隠せない。

「か、噛まれた……毒猿に、儂が噛まれた……!」

 よろよろと身体を揺らし、ぶるぶると震えながら、汪直に顔を向けた。仮面で表情は判らないが、全身で絶望感を表していた。

 そのまま、ばったりと、無言で俯せに倒れ込んだ。倒れ込んだその場で、巫士は四肢をくねくねと、奇妙な角度に痙攣させる。

 ぼきっ、ぼきっと、背筋が寒くなるような音が、巫士の全身から聞こえていた。毒の効果で筋肉が急激に収縮し、関節が外れている音だった。

「ぎいいいいっ!」

 御する巫士があっさり死に、毒猿は統御不可能となってしまった。猿は興奮したまま、ぴょんぴょんと飛び跳ね、辺り構わず攻撃を繰り返している。

 太郎左衛門は、毒猿から皇帝親子を守る位置に立ち、必死の表情になって刀を構えている。しかし、猿の動きは予測不可能で、太郎左衛門は戦いあぐねている様子だ。

 猿の動きに、汪直も戸惑っていた。

 充血した両目を見開いて、毒猿は汪直の僅かな身動きにも、敵意を剥き出しにする。うっかり逃げようと背中を見せた途端、猿は襲い掛かってきそうで、汪直はうかうかと逃げられない。

 どすん、と誰かが身体にぶつかり、汪直は相手に振り向いた。

 何と、成化帝が顔色を蒼白にさせ、後じさりした所だった。成化帝は猿にすっかり注意を取られ、背後の汪直に気付かない。

 しめた!

 汪直は素早く鞭を使って、背後から成化帝の首を締め上げた。

「ぐえっ!」

 成化帝は押し殺した悲鳴を上げた。

「陛下っ!」

 猿と対峙している太郎左衛門が、首だけ捻じ向け、叫んでいた。

「父上っ!」

 息子の朱祐堂も叫んでいる。駆け寄ろうとするが、暴れ回る猿が邪魔で、踏鞴を踏んで留まった。

「く……来るでないっ!」

 汪直の鞭で首を締め上げられ、成化帝は必死に朱祐堂を制した。

「死ねえ……!」

 汪直は、成化帝の首を、渾身の力を込めて絞め上げた。見る見る成化帝の顔は鬱血し、汪直の手を掻き毟る手から力が抜けてゆく。

「しょうがないなあ……やれやれ、加勢するか……」

 朧は平然とした表情で、大股に謁見の間に踏み込んできた。背負った青銅の筒を、ひょいと持ち上げ、肩に担ぎ上げた。

 筒先が、毒猿を狙っている。

「太郎左衛門! その猿を狙うぞ! 下がっておれ!」

 汪直は歯を食い縛り、去就に迷った。どうする?

 朧は謎の武器〝火槍〟を使用するつもりだ。〝火槍〟の威力は未知数だが、書物で知った内容から、恐るべき破壊力を持つはずだった。

 猿は、目の前にいる。朧の〝火槍〟の威力に、巻き込まれるわけにいかない。

 汪直は成化帝を絞め上げた姿勢で、じりじりと後ろに下がってゆく。

 それを見た太郎左衛門が、成化帝を救うために、大回りをして汪直に近づいてきた。

「やるぞ!」

 朧は大声を上げた。

 汪直の位置からは、遠すぎ、細部は見えないが、朧は担ぎ上げた〝火槍〟の根本あたりで、何かを動かした様子だった。

 恐ろしい轟音が、謁見の間に轟き渡った!

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