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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第二章 神領奉行
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 坂道を登り、館の玄関に久忠は立った。

 建物は後の時代のような山城ではなく、むしろ、神社の形式に近い。正面から、階段を登って入って行く。

 父親に面会といっても、そのまま、づかづか室内に踏み込んで「父上。只今、帰りました」などと挨拶するわけにはいかない。何しろ、父親は神領奉行なので、取次ぎ役に久忠が帰着した旨、伝える必要がある。

 取次ぎの舎人に案内され、控の間で久忠は旅装を解いた。着替えをして、髪を梳き上げる。さらに念入りに、洗顔をして、ようやく面会の用意が整う。

 本当なら、月代や、髭まで手入れをするべきなのだが、そこは急な帰着という理由で、簡単に済ませる。

 ひそひそと足音を忍ばせ、舎人が久忠に「御館様がお待ちになられております」と伝えに来たので、久忠は立ち上がった。

 建物と建物を繋ぐ渡り廊下を歩き、久忠は父親が待つ母屋へと急いだ。

 その頃には、すでに夕日が西の空に傾き、山嶺に赤々とした太陽が半分ほど隠れ始めていた。鋭い赤光が縁側を照らし出し、室内を染めている。

 縦横五間ほどの板敷きに、父親の忠行が真っ直ぐ前を見て、座っている。背中には神職らしく、神棚が設えてあった。

 三宝に「天照大神」の掛け軸。掛け軸の下には、銅鏡が鎮座し、夕日を受け、輝いている。注連縄に、両側に榊の枝と、いかにも、神職の住まいらしい体裁をとっている。

 父親の忠行は、息子の久忠とは、あまり似ていない。いや、久忠が父親に似ていないというべきか。

 久忠がひょろりと手足が長く、どことなく茫洋とした印象なのに対し、父親の忠行は、見るからに剛毅、重厚な印象を与える。

 がっちりとした身体つきに、ごつごつとした岩を刻んだような顔つき。神職というよりも、どこかの侍大将と紹介されたほうが、腑に落ちそうだ。

 久忠は縁側に腰を下ろし、父親に向けて慇懃に挨拶をする。

「太郎左衛門、只今、帰着致しました。父上には、お変わりもなく、祝着至極……」

 皆まで言わせず、忠行は煩そうに手を振って、久忠の言上を終わらせた。

「よい! そんな挨拶は終わりにして、近く寄れ。話があるのだ」

「はっ」と、短く答え、久忠は腰を上げて室内にするすると踏み込んだ。三尺ほど近寄り、胡坐を掻く。

 対面して着座すると、忠行は右手に持った白扇を使って、久忠をぴしりと指し示した。

「まだ、修行か? そろそろ、落ち着こうとは、思わぬのか。全く、お主の剣法道楽にも、困ったものよ」

 出し抜けの小言に、久忠は眉を上げただけだった。顔を会わせると、いつも同じ小言で、これが挨拶のようになっている。

 忠行も、久忠が答えると思っていないらしく、肩を竦めただけで、この話題も早々に切り上げた。

「まあ、良い。話と言うのは、それではない。お主、先年、明に渡った経験があったな?」

「はい。勘合船では御座いませんでしたが、明の寧波ニンポーまでは……」

 当時、明と日本の間には勘合船と呼ばれる、貿易が為されていた。勘合、つまり正式な朱印を持った貿易船は、そう頻繁ではないが、取り交わされている。

 が、正式な朱印船以外の貿易も、密かに取り交わされていた。この場合、正式な貿易ではないので「密貿易」とされる。この貿易は、海賊行為と、明からは見做されていた。

 海賊行為──つまり「倭寇」。

 倭寇という呼称は、当時の口語としては使われていない。あくまで、明政府の、文書に現われる名称である。日本と大陸で行われる密貿易もそうだが、朝鮮人、明人が関わった密貿易も、一括りに「倭寇」とされていた。

 というより、当時は、日本人だけの倭寇はほとんどなく、朝鮮人、明人が主体となった海賊行為が、通例だった。これは当時の文書からも、確認できる。

 愛洲氏は、伊勢と熊野に跨って勢力を占めている。この内、熊野愛洲氏は、水軍を持っていたと記録にある。即ち、海上貿易が、愛洲氏の力の源だった。

 久忠も、愛洲氏の一員として、度々、海上に身を運んだ経験があった。愛洲久忠は海賊である──後の世に、長く伝来される伝説の淵源が、ここにある。

 忠行は久忠の返答に、気短そうに頷いた。

「うむ、近々、遣明船が、堺から出発する運びとなった。これは正式な朱印船じゃ。我が愛洲家でも一枚、加わる約束じゃ。お主、これに同乗して、明へ旅立って貰いたい」

 久忠は即答を避け、無表情のまま、じっと父親の顔を見詰める。そうしていると、他人の目には、いかにもぼけっとしているように見えるのは、承知だ。

 だが、久忠の思考は、忙しく回転していた。なぜ、選りに選って、今? それが最大の疑問だった。

 明との貿易は、巨大な利益を生む。一度の貿易で、巨額の利潤を手にでき、当時の実力者は参加の機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた。従って、愛洲一族が加わるのは不思議でもなんでもない。

 しかし、そこに久忠自身がどう関わるのか、さっぱり読めなかった。

 久忠の疑問を承知しているように、忠行は頷くと、説明を始めた。

「お主は、唐土もろこしの言葉を解する。さらに朝鮮の言葉も堪能じゃ。お主には、寧波から北京へ上り、紫禁城を目指して貰いたい。この任務を果たせるのは、愛洲一門を見渡しても、お主しかおらぬ」

「紫禁城ですと! つまりは、王宮を目指せと仰せでしょうか?」

 意外な父親の言葉に、久忠は耳を疑った。

 忠行は頷くと、さらに言葉を重ねた。が、ひそひそ声に近く、久忠は父親の口臭を嗅ぐほど近寄らないと、聞き取れない。

「実は内々に、大内裏だいだいりから密命が下った」

 大内裏──京の宮廷を指す。天皇の座所を内裏というが、この時代では、京都御所全体を指す言葉であった。

 久忠はあまりの展開に、つい、小声になった。

「では、帝が……?」

「左様」

 父親は重大さを強調するように、顎を引いた。

 天皇直属の命令、即ち「勅命」が下った、と忠行は言うのである。息子の顔を見詰めたまま、父親は懐に手を入れた。

「よいか、決して他言してはならぬぞ」

 懐から取り出したのは「杓」だった。公家が宮中に上がる際、手に持つ道具である。

 が、忠行が取り出した杓には、ある文字が書かれてあった。

「令」ただ一字。

 その文字を見詰める久忠の額に、ふつふつと汗が噴き出す。恐ろしいばかりの感動に、久忠は全身に粟立つのを覚えていた。

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