表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

「発生」(7)

 研究所の廊下は死体だらけだった。


 出口を求めてさまよい歩く〝なにか〟を必死に止めようとしたらしい。倒れた警備員の姿は進めば進むほど数を増していき、同時にそれらすべてに息がないという確認もはかどる。


 呼吸を止め、できるかぎり目を細めてホシカは走った。そうしないと今にも吐き気とパニックに負け、その場にうずくまってしまいそうだったから。


 だがさすがのホシカも〝それ〟を目にしては足を止めざるを得なかった。


 まずは、ゆっくりと水滴の落ちる響き。


 次に、昆虫の標本……そうとしか表現できない。ひとりの警備員の胸を深々と貫き、体ごと壁に縫い止めるのは奇妙な〝針〟だ。


 そう、針。それは長く鋭く、むこうの景色が見えるほどに透き通っていた。


 その透明な針の先端から、水の粒はいまも静かに滴り落ちている。震える指先をそちらへ伸ばしながら、ホシカは誰にともなく尋ねた。


「なんだよ……なんなんだよ、これ?」


「触れてはいけません、ホシカ」


 ラフの忠告は、少し遅かった。小さな悲鳴とともに、ホシカは針状の凶器から手を引き離している。


 皮膚がはがれ、血の珠を浮かせ始めた指先を、ホシカは恐ろしげに見つめた。


「痛っ……つ、冷たい? 凍ってやがるのか、この針?」


「正確には、針じたいが極超低温の水分で形成されています。わかりやすく言えばこれは〝氷でできた武器〟……呪力は抜け、すでに溶け始めてますね。もはや、もとの形がこうだったのかも怪しいものです」


 白い凍気を放つ武器を前に、ホシカは押し殺した声で分析した。


「〝殺したあと〟〝溶けて消える〟〝武器〟……そうか。信じられないが、それで、そこらじゅうの妙な死体の説明もつく。でも」


 廊下の左右をそっと見て、ホシカは首をかしげた。


「どこにもないぞ、冷凍庫なんて?」


「もしここに〝いれば〟ホシカはとっくに始末されているでしょう。とはいえ、氷の溶け具合から、それがそう遠くない場所に〝いる〟ことは確かです」


「からかうのもいい加減にしろよ。あんたの組織にある冷凍庫はじぶんの足で歩いて、おまけに人殺しが大好きだってのか?」


「おおむね正解です。その人型の冷凍庫の力が、非常に強いという点もふくめて。おそらくは軍事兵器と同等か、それ以上に」


「人型の、兵器……〝魔法少女〟か?」


「はい。しばらくは慣れないでしょうが、これからホシカの身辺に起こる現象は、あなたの知るありとあらゆる常識を超えているとお考え下さい。異世界そのものが人の形に凝縮されて独り歩きするのが〝魔法少女〟なのです」


 ホシカの肩に舞い降りると、ラフは目を閉じて考え込んだ。


「ホシカ」


「なんだ?」


「どうか冷静に聞いて。とても悪いお知らせです」


「も、もったいぶってんじゃねえ。いまより悪い状況なんてあるもんか」


「すこし検索しました。所内のセキュリティの破壊は、前方三十七メートル先で止まっています」


「ああん? いまさら、あんたん家の事情を言われたってな? つまりどういうこった?」


「〝彼女〟はすぐそこにいます」


 文字どおり、ホシカは凍りついた。肩のラフを、ぎこちなく横目にする。


「……冗談だろ?」


「これまでの破壊のルート、行動パターン、経過時間等々、複数の要因から導き出された結論です。不可解です……シュミュレーションでは〝彼女〟はもうとっくにホシカの背後にいて、その命を奪っているという結果まで出ているのに」


 かすかな水滴の音にも、ホシカは過敏に反応した。


 思わず振り返った先にあるのは、闇、照明、闇、遺体。断続的にしたたる水の響きは足音のようにも聞こえ、わだかまる暗闇はじわじわと這いずっているようにも見える。


 必死の形相で、ホシカはラフに訴えた。


「どうすんだよ……!? なんとかしろ……!」


「周囲の大気の動き、殺気、呪力その他を総計……危険値が三八七%を超えました。規定には反しますが、やむをえません。おさがり下さい」


 早口に告げると、ラフはあさっての方向に視線をとばした。


 響いたのは、扉の開く駆動音だ。


 差し込んだまばゆい光に、ホシカは顔を覆っている。


 ゆっくりなびくホシカの髪、吹き流れる清らかな自然の空気。かすかな鳥のさえずり。


 手のすきまから覗いたホシカの瞳は、限界まで瞠られた。


「そ……外!?」


 つぶやくなり放たれたホシカの拳をかわして、ラフは抗議した。


「なんですか、いきなり?」


「ちょっとこっち来い! 出口があるなら、なんでとっとと開けない!?」


「正規のルートを外れるからです。予定では私は、ホシカをすぐそこの避難所まで誘導するはずでした。隔壁の開放も、緊急事態だからこそ許される特例です」


「このうそつき! 逃がすって言ってたじゃねえかよ!? 外に!」


「言ってません、一言も。たしかに〝外部〟とは言いましたが、ホシカ。魔法少女が一般社会に出るということは、すなわち世界の異常を意味します。

 管理外行動中の、それも危険な魔法少女が二人もつまったパンドラの箱を、組織がそうやすやすと開け放つと思いますか? あなたに出口は用意されていないのです」


「あーそーかい! 残念だったな! あたしが素直なモルモットじゃなくて!」


 怒りにまかせて噛みつく中、ホシカは知らなかった。


 闇の中から現れた青白い両手が、自分の首筋にそっと触れつつあるのを。


 薄く冷気を漂わせるその指は、触れた先からホシカの髪を凍らせてゆく。


「なにが安全だ! なにが保護だ! あたしは帰る!」


 外の光の中にホシカは消え、氷の手は空を切った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ