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「発生」(3)

 学校での長い長いお説教が終わるころには、日が暮れていた。


「やってくれたな!? ホシカ!? くそ! くそ! このろくでなし!」


「うおお!? 前! 前向いて運転しろ! ダメおやじ!」


 大きく揺れた車の中、ホシカは悲鳴をあげた。


 神経質そうに震える手でハンドルを切り回すのは、ホシカの父……伊捨 求則〈いすて もとのり〉だ。たえまない歯ぎしりにのせて、憎しみを声にする。


「前!? 前とはなんだ!? ああ、そりゃ後ろも向きたくなる! おまえが痛めつけた相手方のご両親に、学校に、そして世間様に向ける顔がない!

 ついでに明日は下だッ! 階をえぐって貫通するほど頭を下げ、会社に謝罪せねばならない! このたった一日の早退が、取引先との打ち合わせのドタキャンが、どれだけ明日の朝日をおぞましいものに変えると思う!?

 仕事を肩代わりしてくれるのか!? ええ、ホシカ!?」


「え、仕事!? またバイト始めてもいいのか、おやじ!?」


「いかんいかん、いっかああああん! 断じてならん! 遊ぶ金欲しさに、歳を偽ってまた水商売か!? 飲み屋の用心棒か!?

 なぜその体力を勉学に回さん!? なぜマジメに将来を見据えようとしない!? この親不孝者!」


「いやまったく、おっしゃるとおり! 親の顔が見てみたい! ってうあああ! 前、前、トラック!」


 ハンドルをばんばん叩いて、モトノリは怒号した。


「寝てるんじゃない! そこ!」


 ホシカのとなり、後部座席でびくっと反応した影がある。西日に照らされて、ついウトウトしていたらしい。


 寝ぼけまなこをこすりながら、母、伊捨 佳奈〈いすて かな〉はつぶやいた。


「ママがこうしてられるのも、パパの安全運転のおかげです、はい」


「ごまかすな! そして当然だ! 俺の運転はいつだって安全第一! じゃあ母さんの運転はどうなってる!?

 ホシカという暴走列車はレールを外れ、罪のない一般市民の住まいに突っ込む手前だぞ!? それでいいのか!? ハンドルを正すなら今だぞ!?」


 車の前になにもないのに、モトノリは思いきりクラクションを鳴らした。訴えるように何度も何度も。ふたり寄りかかって居眠りしていた母と娘は、はっと目を覚ました。


 あくびを手で隠しながら、ささやいたのはカナだ。


「ホシカ」


「なんだい、おふくろ」


「さっき先生に説明してたわね。ケンカの原因は〝なわばり争い〟でしたっけ? そんな下らないことが好きな子だったかしら、ホシカは?」


「……下らないのかもな、たしかに」


「当ててみましょう。そこまでボロボロになってまで、ホシカが奪いたいナワバリというのは……金持ちの男、偽札、武器の横流し、麻薬の密売ルート」


 次々と単語を口にしながら、カナは指折り数えた。最後の一本で止まる。


「友達、ね」


「…………」


 窓に頬杖をつきながら、ホシカは口を引き結んだ。絆創膏の痛々しい娘の横顔へ、カナは穏やかに笑いかけている。


「ホシカはね、昔から友達があまり多い子じゃなかった。たぶんその時代時代につき、たった一人だけ。その友達も、ホシカと同じで仲間の輪からはじき出されるタイプの子。

 生き物の本能とルールで大抵はいじめられてるその子を、強い、優しいホシカは絶対に見捨てられない。必ず救う。そこから深い親友になる。中学のときも、小学校のときも、保育園のときも、ホシカはずっとそうしてきた。でも……」


 ホシカはぼんやりと独りごちた。


「なんでみんな、どっか行っちゃうのかなあ」


「それはね、その子が強くなったからよ。ひとりでも生きていけるくらい、ホシカが強くしてあげたからよ。知らず知らずのうちに、ね。

 さなぎから出た蝶々も、いずれはどこかへ飛んでっちゃうでしょ? でもそれこそが〝成長〟〝進化〟〝未来への一歩〟……そのお手本になってるんだから、誇りに思っていいわ、ホシカ」


 ミラー越しに、唇をゆがめたのはモトノリだ。


「ふん。のけ者どうし、傷の舐め合いか」


「あらあ、ステキじゃない、パパ。傷口から血が流れるなら、そのまま舐め取ってあげるべきだわ。傷がふさがって、また濡れるまでずっと舐め合うのよ」


「な、なにを抜かす、この雌犬!? ホシカを何歳だと思ってる!? だいたいカナ、おまえは空想、妄想、夢物語ですべて片付ける癖がある!

 ホシカがそんな孤高のヒーローみたいな存在に見えるか!? このケンカっ早い小娘ごときが!?」


 動揺するモトノリを前に、カナは眉をひそめた。


「そうよねえ。だれかを傷つけて奪う友情というのは、かっこいいけど、ちょっとね。ねえホシカ。このとおり、パパも色々と困っちゃってるみたいだし……」


 しばらく間を置いて、ホシカはうつむいた。


「……悪かったよ、ごめん。もうケンカなんてしない。ちゃんと勉強もする」


 ホシカの頭を優しく抱き、カナはうなずいた。


「いい子いい子。まえまえから言ってるけど、何事もバレないように、静かに、ね。ケンカも浮気もワイロも、ぜんぶそう。バレさえしなければいい。

 でもバレたらおしまい。白でもない黒でもない。そんなグレーゾーンが、世渡り上手の正しいルート。大人になりなさい、ホシカ」


「おまえら!?」


 さすがのモトノリも割って入った。


「解せん! 腑に落ちん! 通じ合い方がおかしいぞ!? どこの汚職政治家だ!?」


「そんな政治家さんたちには感謝しなくちゃ。パパ、ママ、ホシカが家族団らんしてられるのも、日本を支えるその人たちのおかげなんだから……あら?」


 助手席の上でまたたく携帯電話を、カナは示した。


 モトノリが急ブレーキをかけ、路肩に停車するまでに一秒もかからない。


 とりこぼしそうな手つきで携帯を持ち、モトノリ自身も小刻みに震えた。


「し、しし知らない番号だ。とうとうきたか……ケンカ相手のどの親御さんだ? とにかく終わった……俺はもう、おしまいなんだ」


 自爆スイッチでも押すような気分で、モトノリは通話のボタンを押した。


「申し訳ございません! 伊捨です! このたびはお子様に、ホシカが大変なご無礼を……え? 丸瀬様?

 はい……はい。え? うちのホシカが、リンさんを? いえいえそんな、おえ!? お礼!?」


 夕陽を睨めつけながら、ホシカはかすかに舌打ちした。


「あいつ、余計なことを……」


 逆にカナは、おだやかに笑って告げた。


「ほーら、夢物語」

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