「再生」(4)
呪力の炎を尾のようにひいて、美樽山からその光は飛び立った。
ホシカの足もとから、街の明かりはどんどん下へ遠のいてゆく。
ブースターの推進力を全開にし、ホシカは上へ、ひたすら夜空へ。その飛行速度は、最新鋭の戦闘機と同等かそれ以上に達している。
どれだけ遠く、高い場所まで来てしまったのだろうか。ホシカの耳には、通り過ぎる風の音だけが強く響いていた。
下は見ない。ホシカの視線は、赤務市へ落下する巨大な彗星だけをとらえている。
摩擦熱を残して燃える彗星の規模感は、さしずめ野球の広いグラウンド。あんなものがこの星にぶつかれば、大津波や氷河期どころの話ではない。
だが、ホシカの瞳の奥で〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟はたしかに囁いていた。
ホシカならあれを止められる。ホシカにしかそれはできない。
魔法少女の〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟を恐れるな、と。
一角残ったホシカの瞳の五芒星は、頂点から徐々に薄れつつある。
「……!?」
衝撃とともに、ホシカの動きが止まるのは唐突だった。
高度はすでに数千メートルを超えている。しかしどれだけブースターをふかしても、ホシカの体はまったく上へ進まない。
手だ。何者かの手が、ホシカの足首を掴んでいるではないか。
空間のゆがみから不気味に現れたのは、ふたたび魔法少女に変身したネイだ。瞳の五芒星は一角減っている。とどめかと思われたホシカの一撃を、呪力で治癒するのが間に合ったらしい。暴れて抵抗するホシカの足は離さず、ネイは笑った。
「逃がさない♪ ぜったいに♪」
「てめぇ……!」
とっさに両手の翼刃を展開するホシカだが、もう遅い。
一閃した〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の大鎌は、ホシカの胴体を深く切り裂いている。
「あ……」
かすれた声をもらし、ホシカの顔からとたんに血の気が引いた。ブースターの輝きがぷっつり途絶える。治癒にまわす呪力も、また空を飛ぶ燃料ももう残っていない。
大量の鮮血をひいて、ホシカはもときた空をまっさかさまに落ち始めた。うつろな瞳で前にのばされた掌は、いったいなにを求めたのだろう。かすかな希望? 失った命? 星の輝き?
つかめるものは、なにもない。力を失い、落ちる、落ちる、落ちてゆく。
勝ち誇ったネイの哄笑も、みるみる夜空に遠ざかっていった。
「ホシカ……ホシカ」
じぶんの名を呼ぶ声に、ホシカは聞き覚えがあった。ラフトンティスだ。
「いろいろとお困りのようですね。相談にのりましょうか?」
この状況でも、ラフの口調はあいかわらず落ち着き払っている。もっとも、あまりの傷の深さに、ホシカになにか言い返す余裕はない。轟々と風を切って落下するホシカにしがみついたまま、ラフは告げた。
「ホシカの瞳の五芒星は、もう残り一角の四分の一もありません。このままではおよそあと十数秒で〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟になり、ホシカは人としての存在意義を失います。そうなるくらいなら、あるいはこのまま落下死するのも一案かもしれません。ですが、ホシカ。あなたのおっしゃるとおり、選択肢は三番まで存在するんですよ?」
「……?」
「私を破壊してください」
「!」
強く目を見開いたホシカへ、ラフはやけに穏やかに続けた。
「ホシカ。あなたにはまだ、私という安全装置がかかったままです。安全装置はホシカの呪力を、いまだ約八割ていどに制限している。つまり、私を外すことによって、はじめてホシカのフルパワーは発揮されるのです。みずから担当ラフトンティスを破壊した苛野藍薇の力を見たでしょう?」
落ちながら、ホシカはかすかに首を振った。
「い、いや、だ……あんたまでいなくなったら、あたしはこれからどうすればいい?」
「だいじょうぶ、私は大量生産型のラフトンティスの一機にすぎません。ご希望でしたら明日にでも、かわりの者がホシカの担当に参ります。そんなささいなことより、いまのホシカにはもっと大切な使命があるでしょう? 救ってください。守ってください。私を破壊すれば、すこしですが私自身の呪力を使って、ホシカの〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟を先延ばしにすることもできるはずです」
「むりだよ……できない」
「研究所ではじめて目覚めたのは、ホシカではなく私だったのかもしれません。実験台になってこの世を呪い、恨んで消えてゆく少女たちをただひたすら見送る日々の中、ホシカに出会ったことで、私もようやく人助けに貢献できたのですから。こう言うと、またホシカを怒らせてしまうかもしれませんが……ほんの短い間でしたが、非常に興味深く、やりがいのある任務でした。ホシカの担当ができて、ほんとうによかったです」
もういちどラフはうながした。
「さ、やってください」
真上にせまる彗星。
真下に近づく地面。
雨堂谷寧の高笑い。
涙まじりの絶叫とともに、ホシカの翼刃はひらめいた。




