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「再生」(2)

 その部屋はおそろしく広かった。


 だが暗い。真っ暗だ。なにもないし、なにも見えない。


 闇の中央部に、別のその闇はひとり佇んでいた。ゆるく組まれたその腕で、無骨な銀の腕時計だけが異彩を放っている。研究所のアンテナは完膚なきまでに破壊されており、通信機をかねた腕時計はいまだに沈黙したままだ。


 かすかな震動を、彼女……雨堂谷寧は聞き逃さなかった。習慣でかけっぱなしのサングラスの奥、つむっていた瞳をかすかに開く。


 またどこか遠くで、地響きが鳴った。


「きたわね、ホシカちゃん♪」


 ネイはつぶやいた。


「ここからでも呪力で視えるわ。聴こえるわ。すごい戦いっぷり。おっかしいなあ。ちょっとまえに食屍鬼で痛い目をみたから、もうすこしこう、苦悩にさいなまれるところを楽しめるかと思ったんだけど。剣式拘束装甲の中に、おめあてのお友達が混じってたらどうするつもりなの? もしかしてホシカちゃん、学習しない子?」


 轟音とともに、天井からかすかに埃がおちた。


 侵入者でもあり帰還者でもある何者かは、たしかにこの広間へ向かっている。たちふさがる無数の食屍鬼を、目にも留まらぬ速さで蹴散らしながら、まっすぐネイのもとへ。


 ネイはにやりとした。


「いえ、逆ね。しっかり学習してる。もう知ってるんだわ。めのまえにいる敵に、もう救いなんてないことを。いちど食屍鬼になってしまった人間が、ぜったいにもとへは戻れないことを。教えたわね、〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟……でもでも、こんなに才能を開花させたホシカちゃんだけど、先輩である私の指導も忘れちゃだめよ?」


 場合が場合だというのに、こみあげる笑いにネイは顔をおさえた。身をよじって悶えずにはいられない。


「ああ、なんて優秀なの、私! 富と名声と、背の高い青い瞳の彼氏待ったなし! 海と砂浜のみえる邸宅! 夢の外国暮らし! しあわせ!」


 ひとしきり暗闇に笑い声を響かせたあと、ネイはふうとため息をついた。


「だったら、ちゃんと説得しなきゃね、ホシカちゃんを。生かさず殺さず、この素晴らしい成果を組織にどう持ち帰るか……私のハンターとしての手腕が問われるときだわ。そうそう、手腕といえば、死にさえしなければホシカちゃんの手や足はいらないかも♪」


 飛来した食屍鬼の巨体は、轟音をひいてネイの真横を通過し、背後の壁を跳ね返っておとなしくなった。


 吹き飛んだ扉のむこう、最初にみえたのは金属製の拳だ。さしこむ明かりは、大広間中央のネイを照らした。


 いきおいよく吹き込む砂煙は、外で繰り広げられた死闘の凄絶さを物語っている。


 照明が逆光にするその鋭いシルエットは、静かにネイへ歩みをすすめた。もう片方の拳の翼刃を振り払うと、刺さっていた食屍鬼の亡骸は音をたてて床へ転がる。


 流れる風に髪を遊ばせながら、ネイは満足げに宙を嗅いだ。


 闇に香る血のにおい……ホシカの魔法少女の衣装は、すでにぼろぼろになっている。額からすじをひいた血は片目を隠し、痛めた片腕もなかば垂れ下がった状態だ。いったい何十、いや何百人の敵と戦えばこうなるのだろうか。


 にやついたまま、ネイはささやいた。


「おかえり、ホシカちゃん♪ しっかり恨んでくれた? 私のこと?」


「おまえの言ったとおりだよ、雨堂谷寧」


 すそをなびかせて、ホシカはネイの視線の先に立った。


「あたしは自分からここに戻ってきた。もう逃げるなよ。あたしも逃げねえ」


 ぱちんとネイの指は鳴った。


 同時に、おお。対峙するホシカとネイを中心に、広い部屋が一瞬にして赤く塗り替わったではないか。爆発的に燃え上がった炎もいまは鎮まり、静かに風に揺れている。数千のたいまつと蝋燭の輝き、不吉な香の薫る煙……そして、天井と床に大きく染め抜かれるのは五芒星の魔法陣だ。


 あの〝儀式の間〟だった。


 ホシカに初めて〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟が憑依した生贄の祭壇だ。


 すべての悪夢の始まり。


 炎のゆらめきに隈取られながら、ネイはささやいた。


「なにか足りないって? そう、ごぞんじ召喚士たち。全員、食屍鬼にしちゃった♪ ふだんはサイドビジネスで会社員や主婦をしてる人も多いんだけど、けっこう歯ごたえあったでしょ? ホシカちゃん、またいっぱい殺したわねえ、罪のない一般人を♪」


 ホシカに動じる様子はない。それでは、とネイは背後の石造りの祭壇に指をおいた。細長い指がいやらしく這った先、触られてひくついたのは何者かの首だ。


 祭壇に、だれかが寝かされている……


「〝星々のもの〈ヨーマント〉〟を喚び出す工程は、すでに完了しているわ」


 ネイが手でなでる先、リンにははっきり意識があった。


 その両手は頭の上で縛られ、口も猿ぐつわで封じられている。足も縄でくくられて動かない。リンにいま許されるといえば、頭を左右に振ることと、涙をためた眼差しでホシカに恐怖を訴えることぐらいだ。


 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ネイは言葉を継いだ。


「あとは軽く〝扉をノックする〟だけ。それだけで〝星々のもの〈ヨーマント〉〟は異世界の入口から喜々として現実に流れこむ。〝着地点〟であるリンちゃんさえしっかりしてれば、また新たな魔法少女の誕生に拍手拍手。もしだめだったら、そのときは、ね?」


 閃光に、轟音が重なった。


 ホシカが稲妻のごとく通過した道筋にそって、遅れて床に落ちたのは踏み抜かれた石畳の破片だ。目にも留まらぬスピードで放たれたホシカの右拳は、ネイの両手に食い止められている。ホシカの肘のブースターは、なおも火を吹いて全開を知らせた。圧倒的な力に押され、ネイの腕も震えを隠せない。


 中央部のふたりから放たれる呪力の渦に、炎の海はひときわ強く波打った。


 ホシカとネイの目と目が合ったとき、ふたりの瞳には五芒星が輝いている。


 片方はくすんだ一角とおよそ半分。もう片方はきれいにそろった五角。


 おそろしい切断音とともに、ホシカは吹き飛んだ。壁にぶちあたる寸前、手足のブースターをふかして空中で姿勢を制御。鋭く裂かれたその片脚が、いきおいよく血を吹く。


 見よ。あたりの血と炎を吸ったがごとく、ネイのスーツはまったく異なる真紅の衣装へと変貌している。変身〈ステージ3〉……異世界と現実をつなぐその扉の名は、魔法少女。ななめに掲げられたネイの両手、空間のゆがみをひいて現れたのは長大な死神の鎌だ。


 背後の壁を蹴るやいなや、ホシカは瞬時にネイに肉薄した。思いきり身をひねったホシカの体から、いっせいに翼刃の輝きが飛び出す。そのまま独楽のように回転。肘、拳、かかと、そして爪先……縦横無尽に銀光をひくホシカの刃を、その場で素早く旋回して受け止めるのはネイの大鎌だ。


 火花を散らしてホシカの拳を弾き、ネイの大鎌はさらに反転した。身をかわしたはずのホシカの肩が、鮮血を吹いて裂ける。〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の空間切断の刃は、目に見える大鎌よりはるかに射程が長い。ネイを軸にして、フラフープのごとく水平に回転する大鎌。腹部を切り裂かれ、ホシカは床をバウンドして転がった。へし折られた全身の翼刃が、細かい金属音を鳴らしてネイの足もとに散らばる。


 うつぶせから立ち上がるホシカの頬を、不可視の刃がかすめた。ネイの大鎌がひるがえるたび、あきらかに離れているのにホシカの体は傷を負う。手、足、背中……もてあそぶようにホシカを切りつけてなお、ネイの大鎌は回転をやめない。ネイおきまりの挑発のひとつだ。砕けた翼刃のかけらを爪先で蹴って、ネイは余裕の笑みを浮かべた。


「しょせんはただのチンピラね。どれだけがむしゃらに手数を増やしたって、私の目にはちゃんと全部見えてる。このとおり、もう戦うための武器もない。痛いでしょ? 怖いでしょ? さっさと一角使って回復する、これオススメ♪ ほらほら、はやくしないと、いけにえのリンちゃんが取り返しのつかないことに……」


 一歩前進したネイへ、ホシカは中指を立てて答えた。


「かかったな、サイコ野郎」


「!?」


 自分の体じゅうから吹き出す血を、ネイは不思議そうにながめた。


 ネイの頭でも、まだなにが起こったのかわからない。下から上へかすかな輝きをひいて吹き上がった風が、ネイの全身に切り傷と激痛を生んだのだ。自分の体を切り裂いたなにかが存在するのは確かだが、まわりにはなにも見えない。これでは……これではまるで〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の不可視の刃ではないか。


 いや、すこし違う。


 答えは空中にあった。火の海を照り返して、ネイの頭上に滞空するのは無数の小さな輝きだ。輝きたちはそれぞれ、その尾部からブースターの火を吐いて自ら飛行している。それらはどこからどう見ても、さきほどへし折られたホシカの翼刃だった。


 そう、ホシカの翼刃は折れたわけではない。ホシカ自身がわざと体から分離させ、ネイの周囲にばらまいたのだ。高層ビルでの両親との戦いで、翼刃たちが自由に空を飛べることをホシカは覚えていた。


 さながらそれは、金属の翼の結界。


 中指立てられたホシカの手は、こんどは親指を下にして突きおろされた。


「踊りな!」


「~~~~~~ッッッ!!!」


 声にならない雄叫びをあげて、ネイは大鎌を振り上げた。


 まとめて何本かの翼刃を薙ぎ払うが、すべては処理しきれない。〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の空間のゆがみをすり抜けた翼刃が、ネイの肩を、頬を、ふとももを食いちぎる。大鎌の防御を天井に集中させれば、こんどは床から跳ねあがった翼刃が自律的にネイを襲った。こんなに小さく、多く、そして速い敵を相手にした記憶はいまだかつてネイにもない。ひとつひとつの威力はさほどでもないが、呪力での肉体治癒にも回数制限がある。


 どう防げばいい? どのタイミングで回復すればいい?


 その一瞬の混乱こそ、ネイにとっての命取りだった。


 気づいたときには、ホシカはネイのすぐ眼下まで踏み込んでいる。正真正銘の超至近距離だ。絶対に外さないし、空間転移して逃げる暇もない。狙いは、がら空きになったネイのみぞおち。限界までうしろに引きつけられたホシカの右拳に、残ったブースターの推進力が一点集中でチャージされる。


 深く息を吐いたホシカヘ、ネイは苦しまぎれの笑みをよこした。


「ちょ、ちょっと待……♪」


 大鎌の一閃と交差して放たれた鉄拳は、その威力でネイの体をくの字に浮かせた。

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