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「再生」(1)

 静かに草を揺らす風は、まだ湿った雨のにおいを含んでいた。


 真夜中の美樽山……


 道路を歩いてのぼる人影の格好は、あまりこの場にふさわしいものではなかった。制服のスカートは風になびき、彼女の両手はそのポケットに突っ込まれたままだ。


 ふとホシカは、坂道から街に視線をうつした。


 ガードレール越しに広がる夜景は、漆黒の海に放たれた蛍のようにも見える。無数の家庭のあかり、ところどころに建つ高層ビルの屋上で、一定の間隔をおいて明滅する赤い障害灯。薄明るい空をへだててさらに上、きらめくのは満天の星々だ。


 そして、夜空にひときわ強く輝くあれは、うわさの彗星〝ハーバート〟か?


 たったひとつ目立って明るいせいで、彗星はまわりの星から仲間はずれにされているようにも思える。どこかのだれかと、あるいはよく似た境遇なのかもしれない。


 美しい眺めだった。


 だがホシカの歩みは止まらない。ホシカはもう知っている。


 じぶんがもう二度と、あの街の光に帰れないことを。


 ホシカは戻ってきた。すべてが始まったこの場所へ。


 終わらせにきた。なにもかも悟ったようなその瞳で。


「ホシカ」


 唐突に呼んだラフに対し、ホシカの口調はあいかわらず柄が悪い。


「あぁ?」


「じつはですね、私のデータベースには絵本も登録されていまして」


 まっすぐ歩くホシカの肩で揺られながら、ラフは穏やかに語った。


「ある砂丘の町から、祖母のたのみで、そのキツネのぬいぐるみは少女のもとへやってきました。少女はまだ赤ん坊でした。赤ん坊の遊び相手をしているうちに、キツネは手がやぶれてしまいます。キツネはひとりで砂丘の町へ戻って手を治そうとしますが、成長した少女もついてきます。とちゅうキツネは、汽車の中でドアにしっぽを挟まれて動けなくなったり、たどりついた砂丘で、野良犬にさらわれて砂に埋められたりします」


 突然、山の木々は葉ずれを鳴らした。少し風が強い。


 なびく髪を片手でおさえるホシカヘ、ラフは続けた。


「砂丘のむこうには、海がみえました。少女はけんめいに砂を掘り、キツネを助けだします。海に背を向け、少女は砂丘を降りました。キツネがぼろぼろになってほとんど喋れなくなっていることを悲しみながらも、少女はなんとか祖母のもとへ到着します。縫い直されてもとに戻ったキツネは、やがてまた、少女といっしょにもとの家へ帰りました」


 ラフはホシカの顔を覗きこんだ。


「以上。どうです? いいお話でしょう?」


「べつに。あんたやあんたの同僚なら、ドアに挟まれたしっぽぐらい平然と引きちぎって動くだろうし、第一、悪い野良犬はしっかり駆除しとかなきゃいけないよな」


「はは、ホシカらしい率直な意見です。話した私が愚かでした」


「いや、収穫はあったぜ。あたしははじめて、はは、あんたがちゃんと笑うのを聞いた」


 ふたりは初めて心の底から笑いあったが、同時にまたひどく空虚でもあった。


 どこか寂しげな声色で、提案を口にしたのはラフだ。


「ホシカにもぜひ降りてもらいたいんですよ、死と絶望しかないこの砂丘を。みすみすネイの罠にかかるまえに、どうか引き返してください。いまならまだ間に合います」


「そう、まだ間に合うんだ」


 ホシカの言葉には、いままでにない強い意志がこもっていた。


 その足取りは、まちがいなく美樽山のあの研究所へ向かっている。ほんの数日前に、自分という魔法少女を産んだ故郷への道のりを忘れるわけはない。そうでなくとも、ネイの残したこの呪力の足跡は、いまのホシカには見えすぎるほどよく見える。


「ついさきほど、私の通信は回復しました」


 ラフはいよいよ焦りを濃くした。


 道路を外れ、ホシカがついに山道へ踏み込んだではないか。茂みをかき分け、樹の枝をつかんで山の斜面をのぼるホシカヘ、ラフは早口に訴えた。


「確認したところ、ここへはすでに、海外の本部から別のハンター……マタドールシステム・タイプSが向かっています。目的はまずホシカの保護。それから、暴走した雨堂谷寧の制圧です。ほら、ホシカが戦う必要はどこにもないじゃないですか。自分から命を捨てにいくなど、この私が絶対に許しません。だから、だから……どうか立ち止まってください、ホシカ。お願いです」


「それはどっちに言ってるんだ? 組織が後生大事にしてる魔法少女か? それとも人間としての本当のあたしにか?」


「そんな……」


「うそだよ。ふだんは澄ましてるけど、根は優しいんだな、あんた。嬉しいよ、意外な一面ってやつを知れて。さっき家で、ぶっ潰そうとして悪かった」


 ホシカはうっすら微笑みを浮かべた。みずみずしいせせらぎを鳴らす小川を、飛び石をみつけてはテンポよく渡ってゆく。


「ひとつだけ、残ってるんだ」


 月の木漏れ日を浴びながら、ホシカはささやいた。


「なにもかも失って、ばらばらになったあたしの心のかけら……ひとかけらだけ、この手で拾えそうなんだ。そいつはきっと、まだあたしを待ってる。孤独な暗闇の中で、震えながら。まだ間に合う」


 森の向こう、見覚えのある岩の壁が見えたのはそのときだった。


 研究所への入口だ。


 悪夢への再入場。


 だが、岩塊にみせかけた隔壁は以前、ある魔法少女によってずたずたに破壊されたはずだ。にもかかわらず今、あたりの瓦礫はきれいに掃除されて跡形もない。闇ばかりが詰まった入口だけが、文字通り奈落へいざなうがごとく森の風を吸い込んでいる。


 この奥底に棲むものは、ホシカを賓客として扱うつもりらしい。


 ポケットに手を入れたまま、ホシカは暗闇の前に毅然と立った。


「聞きにきたぜ。あの歌のつづきを」


 つぶやきとともに跳ねあがったホシカの右肘は、巨大な剣が届くより早く背後の仮面を貫いていた。鎧の破片をちらして吹き飛ぶ巨体、ホシカの片肘から突き出した鋭い翼刃のかがやき……


 微細なきらめきと金属音を残して、ホシカは瞬時に姿を変えた。まとった衣装は鳥のようにはためき、全身各所で火を吹くのは呪力のロケットブースターだ。


 第三関門〈ステージ3〉……完全なる魔法少女への変身だった。


 そのときには、おお。入口の闇から、そこらじゅうの樹の陰から、剣式拘束装甲の食屍鬼が群れをなして現れている。ホシカを包囲するその数に、思わずうめいたのはラフだ。


「多すぎる……! たった数日間で、ネイはいったい何人の命を生贄に!?」


 統制のとれた動きで振るわれるノコギリ状の刃は、左からひとすじと、同時に右からひとすじ、うしろと斜め前からふたすじ。素早く姿勢をかたむけたホシカの上と下、かわされた大剣どうしは奇跡的なタイミングで激突して絡みあう。


 戛然……


 鋭いターンとともに止まったホシカの背後、食屍鬼たちは数珠つなぎに崩れ落ちた。


 見よ。ホシカの片足で、爪先とかかとから双方向に生じた翼刃、さらには左肘と右拳でそれぞれ月光を照り返す輝きを。つごう五本追加された〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟の鋼の爪は、食屍鬼たちの急所を正確に一撃で射抜いたのだ。


 重量感たっぷりの鎧の足音は、なおもホシカめがけて殺到している。


 ブースターの炎を虹のようにひいて、ホシカは跳んだ。


 その片目で燃え盛る五芒星は、残り二角。

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