「融合」(4)
火の玉と化していっせいに降り注ぐヘリの残骸を、ホシカはぼうぜんと眺めた。
その正面、くるくる回転したあと地面を柄で打ったのは、空間切断の大鎌だ。
ニット帽を脱ぎ捨てると、少女は片手で顔を覆った。
手が離れたあとに着けられていたのは、どす黒いサングラス……
いっきに剣呑な顔になって、ホシカはうなった。
「てめえは……」
戦慄した声で続いたのはラフトンティスだ。
「〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟……雨堂谷寧」
大鎌をかついだまま、ネイはいつもの笑顔をふるまった。
「ようやく気づいてくれたわね♪ ホシカちゃ~ん♪ 私ってもしかして、このグラサンが本体!? あはは! いつ私だってバレるか緊張してたけど、楽勝! 影がうすい! さみしい!」
「ちくしょう、ふざけやがって……」
他のビルや地上に落下するヘリの爆発音を聞きながら、ホシカは血が出るほど唇を噛みしめた。きしみをあげて金属の拳を握りながら、語気も荒くうなる。
「また大勢殺しやがったな……絶対許さねえ。てめえ、本物をどこへやった?」
真剣に、ネイは眉をひそめた。
「へ? なにプンスカしてるの? 私怖い!」
「とぼけんじゃねえ。下の交差点で、鎧の化け物にさらわれたドジな女のことだよ。そうか、ビルを上がってくるときに入れ替わったな? ごていねいに、おんなじ普段着まで用意しやがって」
「ドジ? 入れ替わる? 普段着?」
自分で自分の私服を見回したあと、ネイはぽんと手を打った。
「あ、わかった。ホシカちゃん、さらわれた女の子を助けにきたのね? ついでに、じぶんの故郷の街でいっぱい人が殺されたから、すっごくすっごく怒ってる。正解?」
「百点満点だ。景品に、いまおまえがぶち落とした警官と同じ高さから、道路とキスする権利をくれてやる。だから落ちるまえに、とっとと人質を返しやがれ」
「どこにもいないわ、人質なんて。だって、さっき交差点でさらわれたのは私だし、食屍鬼たちを操ってビルをのぼってきたのも私だもの。けっこう迫真だったでしょ? 私のおびえ方、ふるえ方?」
必死で笑いをこらえるネイに、ホシカはいよいよ不気味さをあらわにした。
おそらく雨堂谷寧は、この状況で嘘偽りをいう性質ではない。確かにこいつなら、さらった人質を隠すなどという面倒なことをするぐらいであれば、もっと面白おかしく少女の命をもてあそんでいるはずだ。
人質の少女と思われていたものは、最初から雨堂谷寧だった。
では、彼女の本当の目的とはいったい?
低い声で、ホシカは問うた。
「なにがしたい、おまえ?」
「ん~、そうね。ひとつは、そ・れ♪」
呪力の装備で全身固めたホシカを指さし、ネイはおおげさに感嘆した。
「期待以上よ、〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟……まるでミサイルね。ミサイルの魔法少女。とんでもないスピードだったわ。一瞬、私の目でもあなたの動きは追いきれなかった。スピードだけならアイラちゃんを抜いて、私の中でも歴代一位。そう、スピードだけなら」
消えた知人の名前をちらりと聞いた気もしたが、殺気と敵意が耳に栓をして、いまのホシカには聞こえない。
こいつを好きに語らせるのも、野放しにしておくのももうやめだ。
あのご大層な鎌みたいなものが振るわれる前に、先手を打って倒す。以前の美樽山では屈辱を味わったが、いまの自分ならなにも怖くない。
そんなホシカの意思を知ってか知らずか、ネイは底光りのする瞳で観察を続けた。
「残念だけど、いまいち攻撃性に欠けるかしら。なんていうか、こう、まだまだなにか隠された力を秘めてるみたいな? あそっか、ホシカちゃんにはずっと安全装置〈ラフトンティス〉がついたままだっけ。なら仕方ないわね。それじゃあ限界ぎりぎりの真の呪力を使うことはできないし、〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟になることもまずない」
これみよがしに拳と首の骨を鳴らしながら、ホシカは威嚇した。
「ごちゃごちゃよく喋る口だな、おい。あたしがパンチ力不足だってんなら、そこでじっとしてろ。その顔をマシン代わりにして、いますぐ点数を測ってやる」
「ホシカちゃんの本気の暴力かぁ。天国まで飛んじゃうロケット味ね、きっと。だからこそ気になるんだけど、ね? ホシカちゃんのお父さんとお母さん、娘から暴力を振るわれてなんて言ってた? ね?」
準備運動に屈伸しつつ、ホシカはいまいましげに吐き捨てた。
「くそくらえ。あたしは親に殴られはしても、殴り返したことだけはねえ。生まれてこの方、いっぺんたりともな」
「またまた嘘がお上手で。私ほんとに嬉しいのよ、ホシカちゃん。だって私、ここまで心底、人に心配されたのはたぶん初めて。とらわれの不幸な私を救うため、さっそうと空を飛んでピンチに駆けつける魔法少女。燃えるような正義の心で、なんのためらいもなく殺しちゃうホシカちゃん。〝ご両親〟を、ね?」
「はあ?」
すっとんきょうな顔をするのは、こんどはホシカの番だった。
「なにほざいてやがる。せいせいしたぜ。反吐のでるてめえの手下どもを、気持ちよく二匹も退治できてよ」
ネイがぱちんと指を鳴らすのは唐突だった。
異変は、地面で倒れる食屍鬼ふたりに生じている。
なんだこれは。鎧の仮面が、ひとりでに外れたではないか。
自然とそちらへ目をやったかと思うと、ホシカの時は止まった。
満面の笑みを浮かべて、ささやいたのはネイだ。
「はい、絶望のお時間ですよ~♪」
「え? おふくろ?」
そう。
仮面の外れた向こうにあったのは、母、伊捨佳奈の見慣れた顔だった。
顔中を血に染めるばかりで、母はまばたきひとつしない。ちなみにこちらは、ホシカの刃に頭部を串刺しにされたほうだ。けっして大柄とはいいがたい母を、あそこまで大きく強くした剣式拘束装甲のからくりは驚きの一言につきる。
もちろん、もう片方の騎士の仮面もなくなっていた。こちらも予想どおり、父である伊捨求則の顔そのものだ。あんな物騒な剣をたずさえて飛びかかってきたのだから、背中から心臓をひと突きにされても文句はいえない。
父と母の無惨きわまりない遺体……つまり、それを作り上げたのは実の娘であるホシカ自身ということになる。
すこし悪くなったホシカの顔色は、またすぐに怒りの紅潮をとりもどした。
「雨堂谷寧……てめえは油だ。あたしという火にそそがれる油。呪力の幻だかなんだか知らねえが、こういう凝った嫌がらせにあたしは耐性がなくてね。これからてめえを終わらせるのにどんなひどい手を使うか、もうあたし自身にも想像がつかねえ」
「まだ実感がないのは当然だわ。これはどっちかといえば、時間がたつごとに徐々に効いてくる時限爆弾みたいなもの。それでいい。それがいい。けっこう大変だったのよ。アイラちゃんにめちゃくちゃに壊された研究所で、剣式拘束装甲を掘り返して、ご招待したお二人に召喚の儀式を行うのは」
無言でホシカの肩にとまる存在へ、ネイはちいさく片目を閉じてみせた。
「種明かしは私とあなた、どっちからする? ね、ラフトンティス♪」
「この狂った行為……組織への明らかな反逆ですよ、〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟」
「おい、ラフ」
裏返った声で割り込んだのは、ホシカだった。不安をごまかそうと、その口元には薄い笑みのようなものさえ浮かんでいる。
「あの化け物ふたりの顔……なんで親父とお袋にそっくりなんだ? 呪力のせいでそう見えるだけだよな? な?」
「ホシカ……」
無駄を嫌うラフにめずらしく、その言葉は歯切れが悪い。かたかた拳を震わせ始めたホシカを、妙に気を遣った口調でなだめる。
「落ち着いて。どうか落ち着いてください、ホシカ」
「どうなんだ……さっさと答えろよ、ラフ。あれはそうなのか? ほんものなのか?」
「…………」
ラフの沈黙が答えだった。
ホシカの両手から勢いよく生える翼刃、爆発的に燃焼するブースターの炎。
「~~~~~~ッッッ!!!」
言葉にならない叫びとともに繰り出されたホシカの拳は、しかし空を切った。光のごとき素早さで肉薄したホシカだが、ネイの姿はほとんど〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の異空間に飲まれてしまっている。
「ホシカちゃん、いい歌声……それが聞きたくてしょうがなかったの」
完全に消失するまでの間、ネイは恍惚とつぶやいた。
「感じるわ……きっとホシカちゃんは、自分からあの研究所に戻ることになる。充分な量の呪いと絶望をたくわえて、ね。それまで私の鎌は、あなたの希望という希望をすべて刈り取らないといけない。まだ足りない。もっと絶望すれば、もっと強くなれる。ひとかけらの希望も残さない。楽しみに待ってるんだから♪」
ホシカの逆の拳が貫いたのは、すでになにもない虚空だった。
うつむいたホシカの体から、きらめく金属片が羽毛のように散ってゆく。それらが闇の一点にあらかた吸い込まれて消えたとき、ホシカはもとの制服姿に戻っていた。
しめった響きを残して数滴、地面を叩いたものがある。それが、どこからかこぼれた涙か、降り始めた雨だったかはだれにもわからない。
雨にけむるホシカヘ、ラフは押し殺した声をかけた。
「もうしわけありません、ホシカ」
「なにが?」
「その、なんとお詫びしたらいいか。私としたことが、鎧の中身を感知することができませんでした。ネイの仕組んだ罠だと気づかず、ホシカを戦いに炊きつけた責任もあります」
「気にすんな。さっきずっと、あたしが呪力の力に酔ってたのも事実だ」
答えるホシカに表情はない。すぐそば、雨に叩かれる騎士のかたわらにひざまずく。救急車、消防車、パトカー等の合唱がうるさい。
濡れそぼりながら、ホシカはうつろな声音でつぶやいた。
「さっきは取り乱して悪かった。言うとおり落ち着いて考えたら、おかしな話だよな。まずあたしは、これが本物の親かどうか自分でちゃんと確認してない。毎日のようにケンカしてる顔だから、いやでもひと目でわかるよ。どうせあれだ。家に帰ったらいつもみたいに、やかましい親父とお袋が待ってるに決まってる」
倒れ伏す騎士の顔を、ホシカが軽く動かしたそのときだった。
うめき声のようなものを、騎士がかすかに発したではないか。
声は、だれかの名前を呼んでいた。
「ホシカ……」
「!」
疲労に隈取られたホシカの瞳は、めいっぱいまで瞠られた。
「お、おやじ……?」
「そこにいるんだな、ホシカ。やけに真っ暗だが、いま何時だ? 出社の時間ではなさそうだな。しかしこの体の重さ、俺もそろそろ年か。まったく動けん。ちゃんと勉強はしてるんだろうな、ホシカ?」
「あ、ああ。ごめん、あんまりしてない。おやじこそ、宴会の帰りか? 情けねえ。なんでこんなとこで寝てんだよ?」
「おお、すまん。インターフォンが鳴ったから、母さんのかわりに出たんだ。そしたら玄関先に、そう。ちょうど、おまえぐらいの歳のサングラスの娘が立ってて……だめだ、そこから先が思い出せん。ところで晩飯はまだか? 台所に母さんがいたはずなんだが」
なにかを探すような仕草をする鎧の手を、ホシカはそっと両手で握った。すこし向こうに転がる別の騎士を一瞥して、痛みでも走ったかのようにすぐに視線をそらす。
「お……」
ひきつる顔をむりやり笑顔にして、ホシカは答えた。
「お袋ならそこにいるさ。晩飯、もうすぐできるって」
「そうか、ありがとう。にしても、ひどく眠い。寒気もする。もうすこし横になっててもいいか?」
「晩飯ができたら呼ぶから、ちゃんと起きろよ。絶対働きすぎだって、おやじ。疲れがたまってるんだ。たまの休みぐらい、家でのんびりしたらどうだい?」
「おまえに心配をされるとは、俺もとうとう焼きが回ったな。そういえば、ホシカ、こんなふうにまともに口をきくのは久々じゃないか?」
「ああ、そうかもしんねえ」
「なら今日という今日は、我慢せずにきっぱり言わせてもらうぞ」
ホシカの手を握り返す力は、意外なほど強かった。
人ではない食屍鬼が、なぜこんなに伊捨家の事情にくわしい?
こんなときにかぎって、どうして父親の声は温かいのだろう?
「昔の父さんにそっくりだな、ホシカ。悪ぶって不良してるところも、自分で言うのもなんだが、たまにみせる優しさも。まるで鏡を見てるみたいだ。だから心配で心配で、ついいつも厳しくあたってしまう。だけどどうか……」
雨は強まった。
「どうか、こんな父さんを嫌いにならないでくれ」
父の手はホシカを離れ、いつしか地面に落ちていた。
動くものはもういない。突風に吹かれる雨だけが、屋上にあるいくつかの人影を無慈悲に打ちすえている。
ガラス球のように無感情なホシカの瞳は、なぜかべつの光景を見ていた。
ホシカがまだ肩車できるほど小さかったころ、乗せられた父の髪の毛を操縦桿がわりに引っぱって、よく近所の公園を冒険したものだ。母はベンチで小さく手を振っている。
〈いけいけGOGO! いざかや! じゃんそう!〉
〈こらこらホシカ、どこでそんな施設名をおぼえてきた……あ、父さんからか〉
へたりこんだホシカの表情は、ぬれた前髪が邪魔して隠れている。泣いているのか笑っているのかすらも、この大雨ではよくわからない。
寒さに震える声は、血の気を失ったホシカの唇からこぼれた。
「大っ嫌いだよ、あんたなんか……!」




