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「発生」(2)

 話は数日前にさかのぼる。


 近頃、世の中はある話題で盛り上がっていた。


 宇宙の果てから長い旅をしてきた彗星〝ハーバート〟が、ぎりぎりまで地球に接近するというニュースだ。


 直径百メートルを超えるそれがもし地表に激突した場合、世界地図の形はほんのすこし変わり、へたをすれば小さな氷河期がおとずれる。


 というのは残念ながら、よくあるオカルト好きの希望にすぎない。〝ハーバート〟が成層圏をすこしだけかすめて地球のそばから去ることは、発見者のハーバートさんをふくめた偉い学者たちの計算ではっきりしている。


 よく目をこらせば、普段はなにもない空の一点に、かすかな輝きが。うわさの彗星は昼でもよく見える。


 そんな空の下、雲を突き抜け、下の下のさらに下。


 赤務市、美須賀大学付属高等学校……


 ひとけのない体育館裏。


 べこべこにへこんだ金属バットを片手に、彗星を見上げるひとりの学生がいる。


 打ち返すつもりだ。


 その馬鹿のなまえは、伊捨 星歌〈いすて ほしか〉。姿形だけは一応、制服を着た学生だ。


 なにがあったのだろう。ホシカの顔には数か所の青あざができ、くちびるの端にも血がにじんでいる。


 そして、おお。ホシカの足もとに倒れて苦悶する五、六名の男女。校内でも札付きの不良グループである彼らだが、ホシカに勝つにはまだ色々と力不足だったらしい。


 いままで宙を舞っていた折り畳みナイフは、地面に刺さってようやく止まった。その持ち主……こちらもうつ伏せに倒れた苛野 藍薇〈いらの あいら〉の目の前に。


 不良のリーダー格として最後まで健闘した彼女だが、ナイフを弾いたホシカのバットが反転、その柄尻で素早くみぞおちを一撃されてしまったのだ。


 そのため、アイラのうめきは息も絶え絶えだった。


「き、狂犬……」


 それを最後に、アイラはがくりと力尽きた。


 同時に、地面で金属音。


 金属バットを杖代わりに、ホシカが片膝をついたのだ。このケンカ、さすがのホシカにも堪えたらしい。


 自身も呼吸を荒くしながら、ホシカはぽつりとつぶやいた。


「なにも見なかったことにして、そのまま帰りな……丸瀬 鈴〈まるせ りん〉」


「い、いい伊捨さん!?」


 ホシカの提案に逆らって、物陰から飛び出した彼女は丸瀬鈴という。


 アイラのグループにからまれていた彼女を見かねて、ホシカが単身この場に躍り込んだというのが今回のいきさつだ。


 アイラたちのグループも極悪非道で他校にまで名を売っているが、真の危険人物とは静かに日常へ隠れ潜むもの。


 美須賀大付属に上がる以前〝狂犬ミサイル〟と恐れられた伝説の不良、伊捨星歌が同じ屋根の下にいることを知らなかったのは、アイラたち最大の誤算だった。


 ハンカチを取り出したはいいが、リンはホシカの周りであたふたしている。


「ボロボロだわ! 血も出てる! クラスも違う、話したこともない私のために、なんで伊捨さんがこんな目に……私が素直にあいつらにお金を渡すのを、ただ黙って見てればすんだことなのに、なんで、どうして」


「…………」


 唇の血をぬぐった手で、ホシカは三本、指をあげてみせた。


「みっつ、質問だ」


「な、なに!?」


「丸瀬、あんた、彼氏いる?」


「なんでいま、そんなことを……」


 戸惑いながらも、リンは答えた。


「いません」


「そうか」


 うつむいたまま、ホシカはにやりと口の端をまげた。


「そりゃよかった。毎日毎日こんなにタカられてるあんたのこと、知ってて助けに入らない男がいたら、あたしはそいつもブン殴らなきゃならない。

 このまま行けばあんた、この連中の誰かに、もっと大事なものまで奪われてたかもしんないよ。あたしはそんなのを黙って見てられる性分じゃないし、前々からこいつらのことも気に入らなかった」


 重々しい動きで、ホシカは体育館の壁にもたれかかった。殴られてすこし腫れた目のまま、片手のバットを眺める。


「あ~あ、まいったね。野球部の道具をこんなにしちゃったよ。背番号五か……謝らなきゃ。ま、たかが体育会系の脳みそ筋肉だ。一回ぽっきり寝てやれば許してくれるだろ」


「ね、寝!?」


 仰天するリンを尻目に、ホシカは肩を揺らして笑っている。冗談か本当かわからない人物だ。


 負傷した脇腹を急に襲った痛みに、顔をひきつらせて深呼吸するホシカへ、リンはおずおずと声をかけた。


「あの、なんてお礼を言ったらいいか……ほんとにありがとう、伊捨さん」


「ホシカでいい。あと、なにも言わなくていいよ。あんたはもともとこんな場所にはいなかったし、なにも見ちゃいない。

 あんたがあたしに話しかけていいのは、この連中がまたちょっかいかけてきて、手助けがいるときだけだ。わかるね、リン?」


「やめて。誰も助けてなんて言ってない」


 さみしげな風が、木の葉を揺らした。


 震える声で続けたのはリンだ。


「だって、私のせいで伊捨さん……ホシカがひとり傷つくなんて我慢できない。見てられない。私、決めた。強くなる。ホシカみたいに」


 あいかわらず覇気はないが、それでもリンの瞳はまっすぐだ。疲れた眼差しでそれを見つめ返しながら、ホシカは告げた。


「マネしちゃダメだよ。あたしのぜんぶ、マネしちゃダメ」


 そう首を振るホシカへ、リンはそっと片手をさしだした。


「助けはいらない。そのかわり、いろいろ教えて、ホシカ。強くなる方法を」


「先生と親の仕事だ、そいつは」


 皮肉げに微笑みながらも、ホシカはリンの手を小さく握り返した。


 そこでふと、思い出した表情になったのはリンだ。


「そういえば、みっつあるって言ってなかった? 質問?」


「ああ、そうそう」


 リンの手を握るホシカの力は、とつぜん強まった。リンの顔を、自分の顔のすぐ横までぐいと近づける。


 真っ赤になったリンの耳に、ホシカは甘くささやいた。


「質問ふたつめ……退学になりたくはないだろ?」


 引き寄せたリンの体を、ホシカは今度は強く押した。手近な植栽の中にいきおいよく突っ込み、リンの姿は見えなくなる。


 野太い声が聞こえたのは、その刹那だった。


「な、なななんだとォォォッ!?」


 生活指導担当の教師の叫びに間違いなかった。べこべこの金属バットをかつぐ傷だらけのホシカ、あと地面で悶絶する不良たちを交互に見比べ、蒼白になっている。


「お、おまえは伊捨!? 伊捨星歌!? おまえがやったのか!?」


「いやそーなんだよセンセ。みんなで元気に野球してたらさ、ほら、よくあるじゃん。ファールチップとかデッドボールとか。気づいたらあたしひとりだけ生き残ってて。

 バットを勝手に持ち出して壊したことはとーぜん謝るし、弁償もする。だからね、ちょっと聞きたいんだけど」


 質問みっつめ、とホシカの口が動くのを、リンは草葉の陰から確かに見た。


「野球部の背番号五ってさ、何年何組?」


 真昼の空にひとつ、その流れ星はずっと輝いていた。

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