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「融合」(1)

 ホシカをとりまく日常は、意外なほど平穏だった。


 朝はいら立ちまぎれに父親と喧嘩して家を飛び出し、午前中は授業そっちのけで平然と居眠りする。昼休みになったらリンと下らない笑い話をして、寄り道しながら下校。夜はささいなことから父親と言い争いになり、自室の扉を思いきり強く閉めて眠りにつく。


 その繰り返しだ。おかしなことは何も起こらない。いつどこでだれが襲ってくるかという警戒の日々を送っていたホシカだが、その不安もいつしか薄れつつあった。


 厳密にいえば、やはり奇妙なことはふたつ。


 ひとつは、断りもなくポケットやカバンの中にいるかと思えば、部屋のすみや肩にとまるコウモリのぬいぐるみの存在だ。ラフトンティスと名乗るそれは、基本的には物静かに澄ましている。ときおり口ずさむ呪われた説明と嫌味は、いかんせん内容が難しすぎてホシカにはよくわからない。水や餌をやった記憶はないが、特に問題はなさそうだった。組織の研究所がもたらした悪夢と現在をつなぐのは、いまのところこいつだけだ。


 そう、こいつだけ。


 もうひとりの魔法少女、苛野藍薇の消息がぱったり途絶えたのがふたつめの疑問だった。


「あの体育館裏でもめたのが最後だよな。あれいらい学校にも来てない。まじで郵便局でも襲って捕まったか、それとも東南アジアにでも飛んだか? 美樽山からの電車代と柔軟剤の代金、まだ借りたままなんだが」」


 質問したホシカの制服のポケットで、ラフは瞳を輝かせた。


「わかりません。私はホシカ、あなた専属の安全装置ですから。アイラは自分の担当ラフトンティスを早期に破壊してしまっており、通信を取る手立てはありません」


「ちょろいもんだな、組織の情報網ってやつも」


「その情報網がいまだ麻痺しているおかげで、ホシカはいまの自堕落な生活を続けていられるんですよ。組織の運営体制が正常にもどったあかつきには、ホシカにはしっかり働いてもらいますからね。この休暇は、美樽山で危険に遭った分の手当とでも思いなさい」


「就職、ね……親がうるさく言うのはぜんぶ右から左に聞き流してたが、あたしもそろそろまじめに考えなきゃあれなのか。すげえでかい会社なんだよな、あんたんとこ。給料はどんなもんなんだ?」


「ほう、ようやく耳を貸す気になりましたか。おまかせください。ラフトンティスは、人事関係の業務にも精通しています。まずは給与体系ですが……かくかくしかじか」


「まじか!? ぱねえ! でもあたし、体育いがいは補修の常連だぜ。ペンとパソコンと頭は使わず、力作業だけでも構わないかい?」


「条件をチェックして検索中。一件、該当しました。組織の〝魔法少女〟部門が人手不足のようですね。ここなら引き算ができれば事務能力は必要ありません。それに、世界の異常を管理するのはまさしく力作業です。力は力でも呪われた力ですが……いかがです?」


「……なんかうさん臭いんだよなあ。そっくりなんだよ、あんたのしゃべりかた」


「私がですか? どなたとです?」


「あのキャバクラの店長とだよ。前に歳をごまかして働いてたら、あの野郎、あたしを泡風呂に沈めようとしやがった。あやうくはめられて、ナンバーワン泡姫にされるとこだったぜ。店と野郎への恩返しは、金属バット一本で事足りたが」


 テーブルに頬杖ついたまま、ホシカはものうげに溜息をついた。


 行き交う従業員や他の客の喧騒で、ホシカの独り言に気づく者はいない。テーブルのカップで揺れるコーヒーの水面を眺めながら、ホシカはポケットのラフにたずねた。


「魔法少女はいやだ、このままあたしを見逃してくれ、って言ってもだめかな?」


「だめです」


「そっか……」


 ここは赤務市駅前の大型ショッピングモール。


 いつか学校の屋上で、リンと約束した買い物の日だった。いまは交差点の見える三階の有名チェーン店舗の喫茶店で、リンと待ち合わせしている。


「おまたせ~!」


 アパレル店の紙袋を騒々しく鳴らしながら、さっそくホシカの前に座ったのはリンだった。リンもホシカも名目上は下校途中で、まだ制服のままだ。


 じつはついさっきのゲームセンターまでは、もうひとり女子の同級生がいた。ぐうぜん鉢合わせしたその同級生はひどく塞ぎこんでおり、事情を聞くと案の定、彼氏に振られたばかりだという。そのままでは美須賀湖〈みすかこ〉に入水でもしかねない傷心ぶりだったため、ふたりとしても放っておけない。それではということで、とむらい合戦として三人でUFOキャッチャーに挑戦したのだ。ホシカが単独で獲得したのは、電動の小イノシシのぬいぐるみだった。が……


 きょろきょろ窓の外を眺め、リンは残念そうにつぶやいた。


「やっぱり帰っちゃったみたいね、久灯〈くとう〉さん。ちょっと探してみたけどいなかった。なんだか急用みたいだったけど、ひとりにしちゃって大丈夫なのかしら?」


「すんごい慌てっぷりだったな。でもまあ最後のほうは、ちっとは血の気がよくなってたぜ。さいしょ出食わしたときの顔色ときたら、青を通り越して海の底の藻みたいな緑色だったからな。それにあいつ〝またあした〟って大声で言ってたろ? 心配すんなって」


「それもそうだね。私たちの元気、すこしは分けられたんだ。でもでも久灯さん、イノシシちゃんまで持って帰っちゃったわ」


「たかが三百円だ、快気祝いにくれてやる。だいたいあれな、おまえが変なとこ触ってスイッチ入れちまったから、久灯に飛んでったんだろ。しかしよくできてたな、あの電動イノシシ……あたしのぶんも欲しいぜ」


「ところで、彼氏ってだれだれ? だれだと思う? あんなに綺麗で成績優秀な久灯さんでも振られることってあるんだ?」


「そっちも問題なさそうだぜ。さっき帰り際、なんか浮足立ってたろ、あいつ? ありゃな、へへ、これから別の獲物を狙いにいく女の面だ。電話かメールでも入ったのさ。軟弱なタコでも装ってかわいこぶってるようだが、あたしの目はだませねえ。あいつはきっと魔物だよ、魔物。なんとなく直感でわかる」


「だいぶ悪い顔してるわ、ホシカ。別のひとって、もしかして水吉〈みずよし〉君? 褪奈〈あせな〉君? いやまさか凛々橋〈りりはし〉君なんてことは……う~ん」


 テーブルに身をのりだして、ホシカは真顔で問うた。


「どいつにする?」


「ドイツ? そういえばしばらく行ってないわ、ヨーロッパ旅行」


「んな遠いとこまで探しにいかなくたって、この国にも男は六千万人いるぜ。さっき言った三人の中にいるんだろ、おまえの好きな男が」


 ホシカはドーナツを食べ、リンは上品に紅茶をすすった。


 いきおいよく沈黙をやぶったのはリンだ。


「ちがう!」


「照れんなよ。ほっぺたが赤いぜ。そいつはF1レースの信号だ。そしておまえはスタートラインでエンジンをふかすレーシングカー。信号の赤色が五つ消えると同時に、おまえは相手に向かってまっしぐらにスタートを切る……だいたい、さっき買ったその服」


 手元の買い物袋を指さされ、リンはおののきに首を振った。


「やめて、言わないで」


「ぎりぎり着れるが、ちょっとサイズが細すぎやしないか? 胃に悪そうだ。デート前とデート中に、喉に親指突っ込んで吐いとくのも悪かないけど、ありゃきついわ。ま、好きな相手にいい格好したいんだから仕方ないが」


 観念したように、リンはがくりとうなだれた。


「どんな生活してたら、そんな荒業を習得できるの。嘔吐案、ボツ。無理。ほんと歯に布着せずに言うよね、ホシカ。そのうち友達なくすよ?」


 二個目のドーナツに手を伸ばしつつ、ホシカは不思議な顔で首をかしげた。


「もとからいないが? 友達なんて?」


「そんな一匹狼とお喋りできる私、すごく光栄な気がしてきた。ゆいいつの友達を、もっと大切にあつかって?」


「狩りのやり方なら、いつでも懇切丁寧に教えてやるよ。どうせおまえも、じきに一人前のライオンになる。なら先生としては、前もって生徒を崖から突き落としとかないとな」


「決めたんです、私。体に服を合わせるんじゃなくて、服に体を合わせるの。歴史の教科書にも、戦時中はそうだったって書いてある。そう、これは戦い……やせなきゃ、きたえなきゃ」


 うわごとのように単語を繰り返すリンの手は、ホシカの脇腹へのびた。三個目のドーナツをくわえながら、眉をひそめたのはホシカだ。


「よせよ、くすぐったい。金とるぞ?」


「うわ、あいかわらず細っそ……こんなによく食べるのに、ホシカ、なんでそんなにスタイルいいの? 隠れてジムでも通ってるとか?」


「隠れてるっちゃあ隠れてるな。あれだ、路地裏とか、地下とか、体育館裏とか。道端でやったらパトカーが来ちまう。そこじゃなくて、こっちだ。背筋だよ背筋。パンチ力は背筋からだ」


「うわほんとだ、すっご。ケンカって痩せるんだ。メモしとこう。これだけ引き締まってたら、どんな服でも似合うんだろうな」


「地味な服しか持ってないんだよ、これが。おやじの趣味と性癖さ。服を買うときゃ、おやじかおふくろ、かならずこのどちらかが付いてきやがる。小学生のガキかっつうの。とにかく目立たせるな、ってのがうちの方針だそうだ」


「親御さんもよくわかってるんだね。ホシカが喧嘩をまねく人間灯台だってこと。親子で買い物かぁ。ちょっとうらやましいな、ホシカのうち」


「そうやって、隣の芝生は決まって青く見えるもんなんだ。うっとうしいだけだぜ? とくにおやじ。いつかうしろから刺してやろうと思ってる」


「私なんか、お小遣いを渡されてお終い。というより毎月家にカタログが届くから、その中から適当に選んでメイドさんに言うだけ。そしたら次の日ぐらいには届いてる。あこがれだったんだ。今日みたいに友達と色んなお店を回って、ああでもないこうでもないって言いながら服選びすること」


「なに? メイド、って言ったか? あんなのは作り話の中だけの存在だろ。メイドってのは大金持ちの家にしかいない生き物だ。ってことはそうなのか、おまえんち。超うらやましいぜぇ」


「青く見えるんだねえ、隣の芝生が」


「不良連中が、おまえにカツアゲの行列を作ってたのも納得だ。おい、ちょっとジャンプしてみろよ、リン」


「カード払いでもよろしい? それともお金貸そっか? 十日で1%の利息ね?」


 悪い友人から悪い影響を受けるという典型例が、そこにはあった。ホシカの意地悪げな笑みと同じく、リンにもまた悪意のこもった笑みが浮かんでいる。


 両親が見たら泣いただろうか。いや、逆かもしれない。呆れたホシカに頭をなでられるリンの顔は、ようやく歳相応の学生の幸せに満ちていた。よいも悪いも彼女の人生に灯りをともしたことには気づかず、嘆息したのはホシカだ。


「強くなったよ、ほんと……いてッ!?」


 片目をおさえて、ホシカが飛び上がるのは突然だった。


 不気味な圧迫感が、ホシカの瞳を急にしめつけたのだ。


 まわりに異常らしき異常は見えない。見えないが、そのどす黒い触手に似た気配は、たしかにホシカの瞳の奥になにかを訴えかけている。


 喫茶店のざわめきを縫って、その声ははっきりホシカのポケットから警告した。


「これは……呪力! それも膨大な量の!」


 冷や汗を浮かべて顔をおさえるホシカを、リンは驚いた表情で覗きこんだ。


「だいじょうぶ? コンタクトレンズがずれた?」


「ま、まあそんなとこだ。いててて」


 片目の視線がひとりでに下方の交差点を意識するのを、ホシカは感じた。


 指と指の間からのぞいたホシカの瞳には、気づかぬうちに呪力の五芒星が浮かび上がっている。ホシカの耳にだけ届くように、ささやいたのはラフだ。


「お気をつけください、ホシカ。あの交差点にいる何者かは、広範囲に対して無差別に呪力をまき散らしています。それも非常に強い。ここからは、なにが起こっても不思議ではありません。すみやかに避難の準備を」


 ラフの催促とは裏腹に、ホシカの視界は急速に拡大した。


 まるでカメラのズーム機能。呪力を捉える魔法少女の視覚が、自然に発動している。人や車といった無関係な障害物を矢継ぎ早に越えて、ホシカの目はあるものに辿り着いた。


 見えたのは、交差点のある場所で立ち止まるふたつの背中だ。


 ひとりはなんの変哲もないサラリーマン風の男。


 もうひとりも、いたってふつうの主婦らしき女。


 だが、ホシカに見えているものは少し違った。


「あ、あいつら……人間じゃねえ!」


「まずい!」


 ラフの叫びを皮切りに、異変は生じた。


 呪力と瘴気でできた突風をまとい、例の男女が別のものに変貌したのだ。


 衝撃でなぎ倒された歩行者たちの中心に、そいつらは静かにたたずんでいた。


 頭頂から爪先までその巨体を覆うのは、ぎざぎざで真っ黒な鎧と兜だ。その体躯は両方とも、軽く二メートルを超えている。


 中世のそれでも、現代のそれでもない。あんなノコギリを千倍も邪悪にしたような大剣を、この世界の歴史は人には持たせなかったはずだ。


 眠りから覚めたがごとく閃いた騎士たちの双眸は、血のように赤かった。


「え? え? え?」


 異常に気づいたリンが窓外に振り向いたとき、それは始まった。


 殺戮が。


 肉色の雨と化した市民五人分の体をまとめて浴び、歩行者の女は悲鳴をあげた。片手の大剣を、漆黒の騎士がただ軽く振っただけでそれだ。さほど切れ味を感じさせない形状であるぶん、その刃は凄まじい力と痛みを予感させる。


 夕方のスクランブル交差点は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄へと変じた。鎧の歩く重い金属の響きに、耳を覆うような切断音と絶叫が重なる。


 ほのかに輝く彗星〝ハーバート〟も、いつしか現れた不吉な黒雲に隠れていた。


「あの鎧はいわば、呪力でできた拘束具……」


 ラフの声にも、めずらしく戸惑った響きがある。


「中に捕らえられているのは〝食屍鬼〈グール〉〟にまちがいありません。そしてあれは、組織の剣式拘束装甲。食屍鬼の制御と戦闘能力の向上を両立した武装です。しかしただの市街地にあれを送り込むとは、一体なんのつもりだ? やつらの行動を完全に停止させるには、軍の一個大隊クラスの兵力あるいは……魔法少女の力が必要です」


 ホシカはそれどころではない。


 とんでもない光景を目にしてしまった。無差別攻撃にいったん区切りをつけると、騎士がひとりの市民を捕らえたではないか。ニット帽のその少女が、騎士のいちばん近くで腰を抜かしていたのだ。少女の年齢は、たぶんホシカとそう違わない。


 必死に抵抗する少女を、騎士は人形のように軽々ともちあげた。そのままもよりの高層ビルの入口を粉砕し、けたたましい足音を残して内部の闇に消えてゆく。


 急行した警察官が銃を撃ったが、弾丸はかんだかい音をはなって鎧の表面を跳ね返るだけだった。おそろしい強度。警官ふたりの体を、もうひとりの騎士の大剣が一閃した。


「ちくしょう!」


 ひとこえ叫ぶや、ホシカは喫茶店の出口に身をひるがえした。


「ちょ、ホシカ……いきなりどうしたの!?」


「見りゃわかるだろ! 頭にきた! あいつら絶対許さねえ!」


「あいつらって、あの鎧のお化けのこと!?」


「あたりまえだ! あたしの平和を一瞬でぶち壊しやがった!」


「近づいたら殺されるよ! いかないで!」 


 リンの手は、ホシカの手をつかんで止めた。喫茶店の店内は騒然とし、その場で動かず案内に従うよう従業員が声をはりあげている。


 鋭い眼差しで出口を見据えたまま、ホシカは背後のリンに問うた。


「いまから軍隊が到着するまでに、いったい何時間かかる?」


「え?」


「殺られるまえに助ける。それができるのは今のところ、このあたしだけらしい」


「助ける? まさか、連れて行かれたあの女の子を? なに言ってるの!? じゃあホシカ自身を助けるのはいったいだれ!?」


 つかまれた手を、ホシカは振り払った。リンの鼻先に指を突きつけ、冷たく告げる。


「ここにいろ」


 立ちすくむリンを置いて、ホシカは駆けだした。

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