「増殖」(5)
アイラはもともと、今後の人生設計、将来、希望などという単語とは無縁だった。
不良集団の頭を張っているという立場上、仲間も、教師までもがアイラに一種のカリスマ性と華のような雰囲気を認め、いつかは幸せの軌道にのると考えている。親とは忘れるほど昔からまともに会話していないため、娘にどんな意見をもっているかはわからない。
ただ、日々アイラの胸中を支配するのは、虚無感と失望と、わずかな悲しみだけだ。
まともに物心つく以前に肉親には見捨てられ、うさばらしのすえに悪質な不良のレッテルをはられる。学校では〝狂犬ミサイル〟に力負けしたあげく、その流れかどうかは不明だが妙な組織に誘拐され、改造されて〝魔法少女〟になるときた。ほかにも不幸自慢を挙げ始めたらきりがない。
現に今も、上辺だけの付き合いだったとはいえ、恋人に裏切られていたという事実を知った。新たな不幸を運んできたのは、キッチンにいる実体ある黒い死神だ。
だれも自分を助けてくれないし、見てすらいない。
自分の身を守れるのは自分だけだ。
だから、組織の与えた魔法少女の力に、アイラはほんのかすかに期待していた。
一般人とはかけ離れた異世界の力。強い呪いの力。想像を絶する拷問の苦痛に耐えた代償に、呪力はきっと自分の未来に明るい光を照らしてくれるはずだ……
その光をさえぎる最後の黒い一欠片、雨堂谷寧は邪魔で邪魔でしかたがない。
「覚悟して、雨堂谷寧。あんたの心臓は、ゆっくり凍って鼓動をやめる」
つぶやいたアイラの両手は、すばやく交叉された。唐突に二本の小太刀は消滅する。
かわりに、凍結音とともにアイラの両手に現れたのは、おびただしい氷の手裏剣だ。両手の指と指の間すべてに計八つ。低く腰を落とすや振られたアイラの両手から、凄まじいスピードで無数の氷刃が飛ぶ。
ネイの指は、眼前に十字を切った。現れた空間の裂け目と衝突し、手裏剣たちはまとめて砕け散る。舞い落ちる白い氷片の向こう、ネイはささやいた。
「さあ、観測させてもらうわよ。アイラちゃんの絶望の限界を♪」
ネイの腹から、氷の刃が生えるのは突然だった。そのすぐ後ろ、忽然と背中合わせに現れたアイラが、逆手持ちにした小太刀で背後のネイを貫いたのだ。
いや、違う。串刺しになったのは、ネイの着けていたエプロンだけだった。
どこへ?
気づいたときには、ネイはアイラの真横に出現している。アイラは攻撃によるフェイントと超スピードだが、こちらは正真正銘〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の空間転移だ。ネイの空間切断の手が一閃した下で、首を刎ねられたアイラの影は力なく崩れ落ちた。
おお。まっぷたつにされたアイラの体は、とたんに大量の霧と化して部屋中を覆ったではないか。瞬間的に生み出された氷像の分身は、煙幕の役割も兼ねていた。
アイラの姿はどこにもない。濃い霧の中を、ネイの瞳は用心深く探った。虚空を舞ったエプロンが、静かに床へ落ちる。
部屋の一部分、かすかな景色のゆがみをネイは見逃さなかった。
「凍った大気でまわりの光を屈折させ、透明になった……氷の光学迷彩! 次から次へと芸が尽きないわね、アイラちゃん!」
ネイの切断は、ななめに空間を走った。テーブル、イス、壁等が広範囲にわたって吹き飛ぶ。内側から外側へむかって砕け散るガラス。衝撃でベランダの壁に叩きつけられ、見えない何者かは舌打ちした。空間切断の刃はなんとか受け止めたが、ダメージで透明化の効果が解ける。ネイと目があうや、アイラはベランダから跳んだ。
地上五階……
猫のように一回転して、アイラは夜空に現れた。
その背後、空間を裂いて飛び出したのはネイだ。
顔をひきつらせて、アイラは毒づいた。
「空も飛べるのか!? 〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟は!?」
「もちろん♪ 正確には、空間の裂け目と裂け目を渡ってるんだけどね♪」
ふたすじの光跡を残して、アイラの小太刀はネイを挟み撃ちにした。
ひとつは左下から脇腹へ。もうひとつは右上から首筋へ。
見えない空間切断の手と激突し、小太刀は二本とも粉砕される。瞬時に再生される氷の刃。アイラの手を支点に宙返りしたかと思いきや、ネイが放ったのは鋭い踵落としだ。足すらも空間をゆがめながらアイラの頭頂を襲い、クロスされた二本の小太刀にすんでのところで防がれる。粉微塵になった小太刀が、ふたたびアイラの両手に結晶するのは早い。
落下しながら戦うふたり。切れ味鋭い光と剣戟が、めくるめく夜空に連続する。
呪力の火花を散らしてネイの手刀を食い止めながら、アイラは逆の手をあらぬ場所へ向けた。その指先から放たれた氷のワイヤーは、となりのマンションの屋上をつかむ。
ワイヤーが伸縮する勢いを利用して、アイラはマンションの屋上に着地した。
「はあ、はあっ……」
息を乱しながら、アイラはがくりと片膝をついた。
全身の切り傷が、赤い粒で点々と地面をまだらに染めている。
屋上の反対側、空間のゆらぎを縫って歩み出たのはネイだ。手元の銀色の時計をひと目見たあと、平然とたずねる。
「休憩は十分間でよろしいかしら? さあ、どんどんアイラちゃんの形勢が悪くなってまいりました。〝魔法少女の忍者〟お得意の罠や不意討ち等、汚い手はもう使えない。この開けた場所で正々堂々、真っ向からの正面衝突で私に勝つつもり?」
「うるさい!」
怒号したアイラの体は、鮮烈な輝きに包まれた。
ネイを叩いたのは、呪力でできた激しい吹雪だ。またたく間に、アイラの衣装は魔法少女のそれへと早変わりしていた。同時に五芒星のもう一角を行使し、体じゅうの傷を治癒する。〝第三関門〈ステージ3〉〟……完全な魔法少女への変身だった。
アイラの片目の五芒星は、残り二角。
強い呪力の風に髪を遊ばせながら、ネイはつぶやいた。
「では説得を再開するわ。というよりは警告ね、最後の。このまま続けたら、あなた間違いなく〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟よ。ひどく後悔しながら死ぬことになる。そうなったらもう、だれもあなたを救うことはできない。なのでこのあたりで和解して、いっしょにお家に帰りましょ?」
「家、ね」
光り輝くダイヤモンドダストの中心、アイラは鼻であざ笑った。
「私にはもともと、生まれたときから帰る場所なんてなかった。屋根と壁はあっても、くぐる扉はいつだって他人のもの。ついさっき、そのひとつも雨堂谷寧、あんたがズタズタに引き裂いた。私の心ごと。それに、手首の〝それ〟」
アイラが指さした先、ネイは自分の片手の腕時計をしめした。
「これ?」
「研究所の資料は読んだわ。盗聴器、発信機、通信機その他と、ずいぶん便利な機能がつまった時計ね。でも、その時計のほんとうの役割はもっと別のところにある……〝自爆装置〟なんでしょう、それ?」
アイラの質問に対し、ネイは邪悪な笑みで答えた。
「正解♪」
「どこまでいっても世界が魔法少女を信用していない証が、それね。雨風をしのぐ犬小屋を与えられた猟犬が、鎖と首輪と、洗脳薬入りのエサなしで済まされるはずがない。そんな胸糞悪いものは断固拒否よ。私を闇とつなぐのは、この呪いだけでもう充分。あるはずのない帰る家を探して、私は自由にこの世界をさまよう……」
発射寸前の弓のごとく全身をたわめ、アイラは叫んだ。
「しりぞけなきゃね! 帰り道で襲ってきた野良犬を!」
霞のごとくかき消えたかと思いきや、次の瞬間、アイラの姿はネイのすぐ頭上に跳んでいる。降下しながら二条の銀光を描いたのは、両手に握る氷の小太刀だ。
刃ふたつを、ネイは片手で打ち砕いた。勢いそのままに回転。空中で身動きできないアイラを、胴体からまっぷたつに切り離す。
両断されたアイラの影は、粉々の氷と化して砕けた。そのときには、こんどは地面から跳ね上がったアイラの手が、ネイの腹へ小太刀を突き入れている。ネイの空間切断がそのアイラを斬り伏せた直後、背中側からネイの延髄を狙ったのは三人目のアイラだ。大きく首を傾けて刃をかわし、その反動を殺さず、ネイの後ろ回し蹴りは空間ごと三人目を氷片に還した。四人目を唐竹割りに断ち、横薙ぎに五人目の首を切り飛ばす。六人目と七人目の刃を両手で受け止めた時点で、ネイは自分の頬を伝う血に気づいた。
傷は浅い。いずれかのアイラの刃がかすめたようだ。
空間切断の刃と、呪力の氷刃。二対一で鍔迫り合いながら、ネイはささやいた。
「ただの身代わりの術じゃないのね、この氷の分身。それぞれの分身を独立してコントロールし、しかもこんなに複雑な動きまでさせるなんて。そしてそのひとりひとりは、正確に私の急所を狙っている。これは太鼓判を押すしかないわ。変身〈ステージ3〉からのさらに強力な呪力の顕現〝第四関門〈ステージ4〉〟……あなたは間違いなく天才よ、アイラちゃん」
ネイの動きは封じられた。
その間にも、ネイの周囲に続々と生み出されるのは、あらたなアイラの氷分身だ。ひとり、ふたり、三人、四人、増える、増える、まだ増える。
数えきれぬ刃のきらめきを残し、アイラたちはいっせいにネイを襲った。
「凍え死になさい、〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟」
「警告はしたわよ♪」
呪力の爆発は、夜空を白く染めた。
おお。氷でできた分身はまとめて粉砕され、本体のアイラは血しぶきをまいて屋上の壁に叩きつけられている。なにが、なにが起こったというのだ?
倒れたまま、アイラは見た。
実体化するほど深く傷ついた風と空間の悲鳴。
こちらも妖艶だが〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟とはまた違う真っ赤な衣装。そう、赤い。
空間切断の細やかな輝きとともに現れたその禍々しい武器は、ぞっとするような風鳴りと歪みをひいて、持ち主の腕の中で回転した。それは、所有者であるネイ本人の身長さえ上回る〝死神の大鎌〟……
ネイが変身したのだ。
魔法少女の〝第三関門〈ステージ3〉〟へ。
「〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟は痩せて渇いている」
つぶやいたネイの片目で、五芒星は邪悪な輝きを放った。
大鎌は右で轟々と風を切って旋回し、また持ち替えられて今度は左側で旋回する。大鎌から無造作に飛んだ空間切断の刃は、床をえぐり、壁を削りつつ、アイラの前髪をかすめて音をたてた。なんという呪力の重圧、殺気、鋭さ……未知の戦慄に自然と指先が震えるのに、アイラはまだ気づかない。動けぬ蛙をなぶる蛇のように、全身を使って凶器をもてあそんだあと、ネイはアイラへ歩みを向けた。
「さ、立って。絶望が大きければ大きいほど、魔法少女の呪力はより高まる。私の本気をなんとも思わないなら立ち向かってくればいいし、絶望したなら〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟の力のさらにその先を見せて。つまんない人生を歩んできたぶん、その話で他人を楽しませるぐらいはできない? もっともっと仕事を楽しみたいのよ、私は。趣味と実益を兼ねてってやつ? あはははは!」
ネイの高笑いを聞きながら、アイラは心の中でうめいた。
「く……」
狂っている、完璧に。
組織の任務を大義名分にして、雨堂谷寧は戦いと殺しそのものを楽しんでいる。おそらくこいつはずっと探していた……自分の力を全力でぶつけられる遊び相手を。戦闘機でもこの世の軍隊でもない玩具を。強い呪力に裏打ちされた自分と同等の獲物を。
人間が推測したこともない深淵が、そこには確かに存在した。
壁に片手をついて身を起こしながら、自嘲げに告げたのはアイラだ。
「たったいま、はじめて社会常識ってやつと気が合ったわ」
「!」
足元で鳴った凍結音に、ネイは一拍遅れて気づいた。
ネイの両足に大量の氷が張り巡らされ、動きを捕らえている。凍結の開始地点は、アイラが壁についた手からだ。いったいどこから、こんな大量の水分がいつの間に?
そう。これは、ここまで破壊されたアイラの武器や分身の残骸だった。だれにも知られることなく、罠の下準備はすでに終わっていたらしい。超低温の顎はみるみるうちに成長を遂げ、いまやネイの半身を覆っている。氷には当然強い呪力が通っており、ちょっとやそっと暴れたていどではまず壊れない。
「雨堂谷寧。あんたみたいな人型の腐敗物は、陽の光も月も浴びちゃいけない。いまこの場であんたを始末することが、どう考えても世間と自分のためだ……行くぞ」
油断をついたまさかの大逆転……
アイラの傷という傷が凍り、氷が弾けたときには全身の治癒は完了している。
アイラから離れて駆け出した分身は、跳躍と同時に消えた。なおも右にふたり分身、左と正面から四人分身。まだ分身を続けるそれらさえもが氷の光学迷彩を帯び、本体を除いた全員が透明になる。こんどの攻撃は目に見えない。おまけにネイは、凍結して動くこともままならない状態だ。
地面を蹴ると同時に、両手の小太刀の柄と柄を、アイラは胸の前で連結した。ひときわ強烈な呪力が走ったかと思いきや、激しい凍気をまとって小太刀どうしは融合し、それは一本の長大な〝槍〟へと変じる。
「はっきりしたな、雨堂谷寧! やっぱり〝獲物〟はおまえだった!」
加速をつけて、アイラは跳躍した。
無数の分身が放つ不可視の刃は、大がかりな囮に他ならない。本命は、渾身の呪力をこめて振りかぶったこの氷槍だ。とっさに展開された〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の空間転移の防御を貫いて、次の瞬間、長大な氷の牙はネイの心臓を串刺しに……
ぱりん。
アイラの頭の中に、なにかの割れる音が響いたのはそのときだった。
またたく間に氷の分身たちは水に戻り、アイラは地面に激突している。
大鎌を肩にかついだまま、ネイは皮肉げにほほえんだ。
「はい、〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟」
「……!?」
冗談のように震える自分の両手を、アイラはこわばった顔で見つめた。頑強な武器はただの水分と化し、なさけなく掌を滑り落ちている。いや、それだけに留まらない。彼女自身までもが、魔法少女からただの学生姿に戻ってしまっているではないか。たったいま地面に打ちつけた胸がひどく苦しい。どれだけ願っても、呪っても、なにも奇跡が起きないのはなぜだろう。
それよりなにより、片目が痛い。痛すぎる。片側の視界は割れたステンドグラスのごとく砕け散り、瞳から滴る汁は鮮血にしてはやけにどす黒い。そして、地面の水たまりと月光のいたずら……水面に反射する自分の片目を、アイラはよつん這いのまま見た。瞳の五芒星はいまやすべての角が黒く変色し、中央の五角形に走るのは無残な亀裂だ。
また、これはなんだろう。ひび割れた片側の視界に、ときおりうごめく形容しがたい影は。その醜悪な怪物は、よだれを垂らして唸っていた。地鳴りを残して歩いていた。風を切るたくましい肩、巨大な頭。自分の瞳の中なのにおかしな話だが、そいつはまっすぐこっちへ向かっている。
原因不明の震えは、アイラの全身にまで広がった。動悸も激しい。片目からとめどなく黒い液体を滴らせながら、歯の根を震わせて尋ねる。
「そ、そそそんな、なに、これは?」
白い月光を背景に、答えたのはネイだ。
「ごめんねえ。遊んじゃって♪」
「え……?」
「最初から私は、アイラちゃんの内に棲むものに興味があったの。魔法少女の〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟を実戦で見れる機会なんて滅多にない。だから色々と舞台を整えさせてもらったわ。挑発に挑発を重ねて、いともあっさり応じてくれるアイラちゃん。ノリがいいんだから、もう。ああ、職務上、ちゃんと警告もしたわよ? だいたい、私がもとから本気なら、つまらない罠になんて引っかかるわけないじゃない。五芒星の一角も使わせずに瞬殺よ、瞬殺」
最初からアイラは、ネイの手の上で踊っていた……
がくがく震えるばかりで、アイラは声もない。
うっとり吐息をつきながら、ネイは続けた。
「体じゅうが熱いでしょ? 冷凍庫に放り込まれたみたいに寒いでしょ? とんでもない頭痛と吐き気がするでしょ? それはアイラちゃん、あなたに憑依した〝星々のもの〈ヨーマント〉〟が宿主の血管や神経を食い破り、血と生気をすすってる証拠。呪力の五芒星による五段階の封印は解けた。ほうら、もうすぐ産まれるわよ。〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟が、アイラちゃんを繭がわりにして」
狂気と悲愴の入り混じった表情で、アイラは乞うた。
「たすけて……もう悪いことしないから。ちゃんと家に帰るから」
アイラは笑顔でウィンクを返した。
「いまさら手遅れよ♪」
片目を始点にアイラの体はひび割れ、粉々の氷片と化して散らばった。
同時に、割れた五芒星から飛び出し、地響きとともに降り立ったもの……
なんだこれは?
体長はゆうに五メートル超。その全身はぶあつい毛と、岩石のような筋肉にまんべんなく覆われている。歩くたびに地面につららを生やすのは、生物の牙から垂れる超低温の唾液だ。そこだけ血のように真っ赤な瞳は、現れたときからネイの姿を捉えて離さない。
この〝星々のもの〈ヨーマント〉〟こそが、儀式によってアイラへ憑依した異世界の存在だ。それはいままさに、多重なる五芒星の封印を破って現実に降臨した。本来は神話の書物内だけで人間をむさぼり食う獣……赤務市にも、掃いて捨てるほど人間はいる。
魔物の咆哮は、夜の街を震撼させた。
それは、歓喜と呪詛と、とてつもない凍気を混ぜあわせた轟き……
餓えた鮮紅色の視線を見つめ返しながら、慇懃無礼に会釈したのはネイだ。
「ようこそ〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟。その麗しい趣味はかねてから聞いてるわ。こうでしょ。人間をさんざん連れ回しておもちゃにしたあと、食うか、さもなくば高いところから地面に投げて落下死させる……あら、意外と気が合うんじゃない、私たち?」
口の減らないネイの姿は、巨大な拳に吹き飛ばされた。たやすくアフリカ象の首をもぎ取り、戦車の装甲にすら大穴をうがつ一撃だ。かよわい少女の体など、原型もとどめずに肉の雨と化すに違いない……
鋭い音がした。
縦横無尽に回転しながら、ネイは怪物のうなじに着地している。
右に左に死神の鎌は回転を続け、反対に怪物はそのままの姿勢で動かない。
大鎌の柄がネイの肩で鮮やかに止まるのと、怪物の顔に切れ目が走るのは同時だった。
斬跡は縦にひとすじ、横にひとすじ……見よ。正確に十文字に断ち割られた怪物の頭部が、ゆっくりずれて地面にばらけたではないか。
ネイの〝無を切って空間を開く〟という特性は、変身による呪力の解放によって〝開いた状態の空間で無を切り進む〟現象へと強力に反転していた。無から切断を生んで準備するより、すでにある切断で無を生むほうが圧倒的に速い。実体化した破壊の概念……それこそが〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の大鎌の正体だ。
月に妖しく髪を揺らしながら、ネイは背中でささやいた。
「楽しいディナーだったわ♪」
木っ端微塵の氷片と化して、怪物は夜風に散った。




