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「発生」(11)

 時計を見上げると、まだ朝の五時過ぎだった。


 真っ暗な衣料品売り場を照らすものといえば、緑色の誘導灯ぐらいだ。


 かすかに動力のうなりを漏らす自販機のかたすみ、ホシカはぼうっとベンチに座っていた。天井近くで渇いた音をはなつ時計の秒針だけを、魂が抜けたように見つめている。


 なかばアイラにさらわれる形で美樽山を脱出し、最初に忍び込んだのがこの麓のスーパーだった。いなかの古い建物らしく、ろくな監視装置の類はついておらず、年配の警備員が居眠りしていることもさっき確認済みだ。


 ホシカの前に、かつんと足音が立ち止まった。


 アイラだ。新しい服に着替えている。衣料品売り場から借りた品なので、地味、流行遅れといったキーワードは厳禁だ。研究所の寝間着姿のままでは、外を歩くことすらままならない。なにせふたりのそれは、いずれも極端に血まみれか切り刻まれている。


 ぽかんとしたままのホシカヘ、アイラは早口にうながした。


「さっさと着替えなさい」


「なあ、なんでだ? なんでなんだ?」


 うわごとのようにホシカはたずねた。無理もない。状況が状況だ。


 反対に、アイラの無表情はかたくなに崩れなかった。年齢に似つかわしくないこの冷静さと度胸こそが、美須賀大付属の不良連中のリーダーに祭り上げられた所以だ。


 心底肌寒げに、ホシカは自分の肩を抱いた。


「なんでもう治っちまってるんだ、あたしの傷? さっきあんなに切られたのに。けっこう深い傷だったはずなのに……」


「…………」


 小さくため息をつくと、アイラは横の自販機にもたれかかった。腕組みをして答える。


「便利でしょう。糸で縫う必要も、包帯を巻いてじっと待つ必要もない。すべて終わったあとの〝結果〟がその綺麗な肌。途中、過程、理論。そういう人間的なあらゆる行いを差し出した対価に、悪魔は〝治った〟という結果をくれた。そして、めんどうなことを飛び越えて結果だけをもたらすのが〝呪力〟……本当になにも聞かされてないの?」


 アイラの視線は、ホシカのポケットを冷たく射た。ポケットからもそもそと顔をのぞかせて、言い返したのはラフトンティスだ。


「やや誤解を招く説明ですね、苛野藍薇。呪力はたしかに恐るべき効果を魔法少女に与えますが、そう安易に考えてもいけません」


「あらそう? そのわりには、伊捨の傷を治すのに、瞳の五芒星の一角を安易に使ってしまったみたいだけど?」


「命にかかわる重大なダメージだったため、緊急の措置です。ホシカの五芒星は、これで残り一角。本来であれば、安全装置を司る私が使用を許しません。さきほどの変身で、アイラ、あなたの星も残り一角です。これ以上の呪力の行使は絶対におやめ下さい」


「どうせ一晩寝れば、もとの五芒星に戻る。ところで気分はどう、伊捨? あんたに取り憑いたモノは、どんなおぞましい姿だった? そいつはいま、あんたの耳になにを囁きかけてる?」 


「と、とりついた?」


 ひきつった顔で、ホシカはアイラを見た。


「とりついた、って、どこに、なにがだ?」


「組織の連中は〝星々のもの〈ヨーマント〉〟とか言う名前で呼んでたわ。召喚の儀式のとき、私に襲いかかったのは〝光って地響きをあげる毛むくじゃらの大きななにか〟だった。それ以上は覚えていない。ただひとつわかるのは〝そいつ〟がこちらとは別の世界から来たなにかだということだけ。〝星々のもの〈ヨーマント〉〟がどうやって私〝たち〟に憑依しているのかまではわからない。脳や心臓や魂、もしかしたらこの五芒星の瞳の奥に寄生しているのかも」


「ちょっと待った。わたし〝たち〟だって?」


「さすが伝説の伊捨星歌、〝狂犬ミサイル〟の二つ名は伊達じゃないわね。うわさに違わぬ頭の悪さ……雨堂谷寧に呪力で対抗したとき、耳元でなにかが囁いたでしょう? 人間の声でも超音波でもないなにかが、知りもしない戦い方をあんたに教えたでしょう? ほとんど勝手に、でも物凄いスピードで体が動いたでしょう?」


 アイラの質問は、ホシカにとってどれも図星だった。片目の奥にときおり走るにぶい〝痛み〟は、呪われた何者かがホシカに発するメッセージだったのだ。


「おい、ラフ」


 震える声で、ホシカは問うた。


「ラフ、教えてくれ。あたしにも取り憑いてるのか? あの真っ暗な燃える部屋で、あたしめがけて降ってきた〝光る大きな鳥の化物〟が?」


 一拍おいて、ラフから恐怖の事実は返ってきた。


「はい、そのとおりです。ホシカに宿った大いなる存在の名は〝翼ある貴婦人〈ヴァイアクヘイ〉〟……組織からのカテゴライズはFYの71号目にあたります」


「うそだ、信じられない。なんであたしに……そうだ、あたしじゃなくたって、他にだれでも憑く相手はいるだろ?」


「他のだれかが地獄を味わっても、自分さえ無事ならそれでいい……嫌いじゃないわ、その利己的な考え方」


「だれもそんなことは……」


「そうね。もしかしたら魔法少女に〝なれなかった〟百人、いや千人こそが安堵してる側かもしれない。研究所に運び込まれた赤務市民の中に、今回、素質ある魔法少女の〝卵〟は私たちしかいなかった。わかる、この意味?」


 哀れみをこめて目を伏せながら、アイラは続けた。


「私が組織に拉致されたのは、そう。ちょうどあんたに仲間ごと叩き潰されて、学校から停学をくらった直後。あんたより数日目覚めが早かったぶん、いろいろ面白いものを見学させてもらったわ。あの生贄の祭壇に縛られた人間が、失敗して次から次へと獣以下の存在……〝食屍鬼〈グール〉〟に変質するのを」


「ぐ、ぐーる? 魔法少女じゃなくて?」


「〝星々のもの〈ヨーマント〉〟の憑依に成功したのが魔法少女。憑依に失敗した反動で、大量の呪力に心と体を腐敗させられたのが食屍鬼。読んで字のごとく、ただ死体をむさぼるだけの下等な存在よ。食屍鬼には、尊厳や思考能力はほとんどない。目についたエサがもし生きていたときは、そのヒグマみたいな馬鹿力でむりやり獲物の首を引きちぎるだけ。食屍鬼の行動原理は〝屍を食う〟〝食うために屍を作る〟の二点に尽きる」


「脅かすのはよせよ。そんな化物はいなかったぜ、研究所に」


「当然よ。エサ代ばかりがかかる役立たずの食屍鬼を、組織が飼っておく理由はどこにもない。即座に処分される。資料を少し見た限りでは、食屍鬼に特別な拘束具をつけて手駒の兵士に仕立てたり、また半分以上機械にして兵器化する〝マタドールシステム〟とかいう計画であったり、リサイクルの方法はそれなりに考えられてるらしいわ。そうね、私の観察によると、いい歳の〝大人〟への憑依はまず確実に失敗する。サラリーマン、どこかの死刑囚、浮浪者……儀式が終わってそいつらが目覚めたとたん、別世界の形相になって石の祭壇をかじり始めるのを、いったい何人、何匹分見送ったことか」


 黙って手で顔を覆うホシカを、アイラは細い視線で横目にした。


「伊捨星歌。うまく魔法少女になった自分を、幸運と思うか呪うかはあんたの自由よ。結論的に、魔法少女に〝なれるか〟〝なれないか〟の境界線は、十八歳までという年齢制限と、呪力の〝器〟としての資格。適齢期を過ぎ、適性もない大人への〝儀式〟はそのまま食屍鬼の量産を意味する。そして、たとえ若さと才能に恵まれて魔法少女になったとしても、その存在が組織にとって不都合や無駄であれば、はい残念。イカと大根の煮物みたいな姿でガラス瓶につめられ、次の実験に活かされるだけね」


「はは、あんたも冗談を言うんだな、ちくしょう。夢なら覚めてくれ……」


「この赤務市が呪力の集結地になった時点で、とっくに悪夢は始まってる。何百年ごとだったかしら? 地球上のほんのわずかな一点が、めったにない星の位置関係で呪力の条件を満たし、魔法少女を生み出す最適の地になるのは。たしかモロッコ、パラグアイ、南アフリカ、アメリカ、そして日本、というのが最近の順番ね。そう、それそのものが地球上に描くのは、おぞましい大きな五芒星」


「組織の監視下におかれながら、よくそこまで調べあげたものです」


 驚嘆を口にしたのはラフだ。


「まずアイラ。いったいどんな手を使って、洗脳前に実験室を脱出したのです? それも体に銀の時計……〝自爆装置〟も取り付けられず」


「雨堂谷寧も言ってたでしょう。私はやつらの目から〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟の呪力をずっと隠してた。とんでもなく苦労したわ、無能を演じるのは」


 アイラの無表情に、殺意めいた色が走ったのは気のせいか? 美樽山において〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟が何食わぬ顔で述べた彼女への拷問の数々は、ごく一部にしか過ぎないのだ。じっと自分を見つめるコウモリの瞳を睨み返しながら、アイラは続けた。


「ご覧のとおり、私の呪力は滑稽な忍者ごっこ。監視の目をごまかしては、気づかれないように何度も研究所の中を行き来させてもらったわ。儀式で喚ばれる〝星々のもの〈ヨーマント〉〟の多様さから、魔法少女の〝関門〈ステージ〉〟の突破方法まで、膨大な情報を調べた」


「そこまでの隠密能力をもちながら、なぜぎりぎりまで脱出しなかったんです?」


「ラフトンティスの根底が〝いやみ〟だということはよく知ってるわ。わかってて言ってるでしょう……研究所のそこかしこには、いつも雨堂谷寧をふくめたハンター〝魔法少女を狩る魔法少女〟が何人もうろついてた。私は待っていたのよ。邪魔な壁の配置が、なにか特別な事情があって乱れる瞬間を」


「特別な事情……〝もうひとりへの憑依の成功〟はおっしゃるとおり特別です。組織のホシカに対する評価は一時は不適切なものでしたが、きょうはたしかにハンターたちの視線は〝新たな魔法少女の誕生〟に集中していました。そのわずかな穴を狙って〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟は脱出を決行した。そういうことですね?」


「ああはなりたくないものだわ。研究所の同類たちときたら、ほんのささいな緊急事態にもろくに対応できない。どいつもこいつも、心臓が完全に凍りつくまで組織の指示を待ってたわ。まあ? 私にとっての緊急事態は、ターゲットである雨堂谷寧と、伊捨星歌が下らない小競り合いを始めたことだけど?」


 非難がましいアイラの視線から目をそらし、ホシカはつぶやいた。


「そういえば、助けてもらった礼がまだだったな。あんたが助けてくれなきゃ、あたしは絶対にあの場でくたばってた」


「助ける?」


 アイラの声音に、めずらしく呆れた雰囲気がまじった。


「雲ひとつない脳天気ね、伊捨星歌。私は今後のことも考えて、すくなくとも美樽山の支部は壊滅させておくつもりだった。その仕上げが、あの厄介な雨堂谷寧の始末。それがあんたの中途半端な登場のせいでご破産よ。あの金持ちで大人しい丸瀬鈴のときもそうだった。いつもいつも肝心なところに飛び込んできてスケジュールを狂わせる」


「金輪際、リンには手を出すなよ。あと、あたしを呼ぶならホシカでいい。アイラ……あんたなら勝てるんだな、雨堂谷寧に」


「さて、どうかしら。〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟は、その性質といい能力といい、他の雑魚とは一味違う。正面からの激突でも負ける気はしないけど、まずは様子見ね。あいつの立ち寄る先々に罠を仕掛けて、返り討ちのチャンスを狙う予定。絶対に、暗がりで息の根を止めてみせる……それが組織との因縁を断ち切る唯一の手。そういう段取りだから、追いつかれないうちにさっさと服を着替えてほしいんだけど、ホシカ?」


「わかった、わかったよ」


 手近なリングハンガーから無造作に服を選び、ホシカは試着室にこもった。衣擦れの音をもらしながら、たずねる。


「なあ、アイラ」


「なに?」


「あたしら、これからどうするんだ?」


「逃げるに決まってるでしょう、追手から。魔法少女のチカラがあれば、もう世界中どこでだって生きていけるはず。銀行強盗をすれば取り囲んだ警官と、おまけに応援に来た軍隊だって楽に相手にできる。どこかの発展途上国で女神様扱いされて、一生優雅に暮らすというのもありね。現に歴史の教科書に出てくる何人かは、私たち同様〝憑かれてた〟と組織の資料で読んだわ」


「そして例外なく〝女神〟たちは不可解で残酷な死を遂げたのです」


 ラフの低い声音は、アイラのかすかな舌打ち招いた。


「アイラ、もう一度だけ忠告します。あなたが考えているほど、呪力は便利で都合のよい代物ではありません。〝時間切れ〈トラペゾヘドロン〉〟がおとずれたとき、あなたを襲う結末は想像を絶するものとなるでしょう」


「へえ、どんな?」


「機密です。私はアイラにただ、力の使いすぎを抑制するようにとしか言えません」


「焦らすだけ焦らしておいてそれ? 逆効果よ、それ」


 小さくウィンクしたアイラの片目に、瞬間的に現れたのは欠けた五芒星だった。


「残り一角。よくしゃべるコウモリ人形と、そこでお着替え中のお荷物を口封じするには十分ね。機密とやらの種明かしは、そのあと自然についてくる」


「痛って!?」


 試着室のカーテン越しに、ホシカの影が身を折るのが見えた。人影は、苦しげに片目をおさえている。反射的にアイラの呪力に反応したらしい。


 おお。そのアイラの鉄仮面も、戦慄の表情に塗り替わっているではないか。自分ではない別の誰かから放たれた呪力の風が、凄まじい加速をもってアイラを叩いたのだ。


 だがそれも束の間のこと、闇はすぐもとの静寂を取り戻している。


 ぶぜんと腕組みしたまま、アイラは独りごちた。


「ほんと、目にも留まらぬ速さで現れて消える呪力ね……どういう原理なの?」


「ミサイルの砲門の前に立たされた気分、だったでしょう?」


「さっきのは冗談よ、ラフトンティス。こんな寂れたところで貴重な呪力を使うほど、私も無能じゃない。伊捨星歌という目立つ痕跡は、さっさと市内に送り届けることで完全に消す」


 まばたきひとつで瞳から五芒星を消したアイラへ、ラフは囁いた。


「ありがとうございます、アイラ。ところで、さきほどの変身〈ステージ3〉を見るに、あなたの呪力の妨げとなる安全装置はすでに外れているようですね。その様子なら、変身からのさらなる固有能力の発揮〝第四関門〈ステージ4〉〟まで到達することも可能です。いやはや、優秀だ」


「なにか言いたそうね?」


「使い慣れぬ呪力による暴走、負傷等を防ぐため、儀式後間もない魔法少女にはひとり一機、かならず専任のラフトンティスがつきます。いわば魔法のランプを塞ぐ栓。では苛野藍薇。あなたを担当するラフトンティスはいったいどこへ?」


 小さく肩をすくめて、アイラはただこう答えただけだ。


「始末した」

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