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「発生」(10)

 轟音は、さほど遠くない場所から聞こえた。


 さっきホシカの出てきた隔壁が、はでに崩壊したのだ。


 内側から、外へむけて。


 硬く目をつむったホシカの頬には、冷たいものが散っている。


 血、ではない。ホシカ自身の体温ですぐに蒸発したそれは、固体化した冷たい水。


 そう、氷。氷の粒だ。ただ今日の気温からして、雪が降るとはとても思えない。


 異常な現象は、同時にもうひとつ。


 砂塵をまいて崩れる岩壁の方角から〝それ〟は飛来した。鋭いそれは高速で回転しながら、ネイの指先、見えない空間切断の刃をはじき、粉々に砕け散っている。ホシカの顔の前、きらめく氷の粒と化して。


 壊れる寸前、一瞬だけ見えたその形状に、ホシカは少し心当たりがあった。


 うすい円盤状の本体に、多くの刃を生やした投擲武器……時代劇で見たことがある。


 手裏剣?


 ただし、その素材は〝氷〟でできているらしい。


 かたわらの木の枝で、小さく飛び上がったのはラフだ。


「この強大な呪力値! まさか、この冷気は!?」


「あっはは! びっくりだわ!」


 嬉しそうに叫ぶや、ネイは手刀を一閃した。


 ふたたび飛来した手裏剣が、またもや氷の破片になって爆発する。あぜんと見守るホシカの眼前で、続けざまに爆発、爆発、爆発……何者かが絶え間なく凶器を撃ち放つスピードは、とても常人の目に追えるものではない。現にネイは防戦一方で、あの〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の足が、わずかずつだが後退しているではないか。


 ラフの声が割って入った。


「ネイ! もっとまじめに取り組みなさい!」


「あは♪ ばれましたか♪」


 ここで初めて、ネイは両手を使った。


 交叉した両腕を、いっきに打ち払う。その単純な一動作だけで、十本まとめて襲いかかった氷の手裏剣は残らず粉々になった。同時にその直線上、空間ごと砂になるまですり潰されたのは、すでに瓦礫と化した隔壁の跡だ。この威力では、正体不明の襲撃者も無事ではいられまい。ひときわ激しい破壊の連続に、おもわず顔を守るホシカ……


 その手をどかしたとき、ホシカの前に幻のごとく〝彼女〟は現れていた。


 ホシカから見えるのは、冷たい風になびく髪、そしてその背中。


 つまり〝彼女〟はネイの前に立ち塞がっている。


 徐々に消えてゆく呪力の吹雪を前に、ネイは唇をつりあげた。


「凍えた子猫ちゃんは、とっくに別ルートから逃げたとばかり思っていたわ。ねえ? カテゴリーFX44〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟……苛野 藍薇〈いらの あいら〉!」


「!」


「…………」


 ネイの威嚇にも、アイラと呼ばれた少女は無言だった。


 かわりにその背後、かすれた声を漏らしたのはホシカだ。


「苛野……? 苛野、藍薇?」


 すこし前、高校の体育館裏で、丸瀬 鈴〈まるせ りん〉をめぐって喧嘩したあの苛野藍薇? 美須賀大付属きっての不良集団のリーダーが、なぜこんなところに? いや、それよりなにより……


「苛野、おまえ、その血……」


 ホシカの疑問はもっともだった。


 アイラ自身の格好もホシカと同じ白い寝間着だが、すこしデザインが違う。寝間着の表面を汚すのは、おびただしい血痕だ。つまりアイラは血まみれだった。


 では次に、それはいったい誰の血か?


 ホシカの疑問には、ネイが歌うように答えた。


「た~っくさん聞きたいことはあるけど、とりあえず及第点よ。見事な合唱だったわ、アイラちゃんに皆殺しにされる、警備員たちの断末魔♪」


「!」


 ホシカの中で、謎めいた多くの線がひとつにつながった。


 研究所内の数えきれない死体、不気味な氷の武器、もうひとりの〝魔法少女〟……


「あれは、おまえがやったのか……苛野」


 短い沈黙ののち、アイラは背中越しに答えた。


「まだ生き残りがいる、そこに」


 その氷の呪力と同じで、霜の張った冷たい声音だった。


 あれほど激しくネイを襲った凶器らしきものは、いまはアイラの手にはない。まったく素手の状態だ。見えない。見えないが、しかしなにかを持っている。アイラの視線は無感情にネイを見据え、いつでもその喉首を掻っ切る自信のようなものに満ちていた。


 うってかわって、自分が標的にされたことで喜んだのはネイだ。


「アイラちゃ~ん♪ なんで逃げ出しちゃったの~? 私にはぜ~んぜん理由がわからないんだけど? うしろのホシカちゃん同様、あなたも〝星々のもの〈ヨーマント〉〟の洗礼に合格したシンデレラ・ガールなのよ?」


「なるほど。組織の洗脳は、この有様をラッキーと信じ込めるほど完璧なのね。ついでに組織は、シンデレラのグリム版もしっかり読んでるようだわ」


「え、ステキな王子様と結ばれてハッピーエンドよ? 話が通じないなあ、もう♪ じゃあじゃあ質問を変えるけど、その呪力、なぜ研究所でパパっと見せずに隠してたの? お薬の注射とか、電気ショックとか、爪はがしとかで、あれだけたくさんアイラちゃんには〝お願い〟したはずなんだけど?」


 もともと切れ長のアイラの瞳は、さらに鋭さを増したようだった。あいかわらず平板な声で言い放つ。


「今日ここで、あんたを殺すために決まってるでしょう。雨堂谷寧」


「へえ~♪ 色々と考えなおしてもらうために、また〝お願い〟しちゃおっかしら♪」


 ネイは両手の指を動かしてその感触を確かめ、アイラは低く腰を落として身構えた。


 檻から逃げ出した獣と、それを追うハンター……どこからどう見ても状況は爆発寸前だ。


「おふたりとも、落ち着いて下さい。このまま交戦すれば〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟と〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟いずれも無傷では済みません。平和への第一歩は、冷静な話し合いですよ?」


 台詞を棒読みしながら、ラフは木の枝からホシカの横に舞い降りた。そのまま、流れ弾を避ける動きでホシカのズボンのポケットに潜り込む。利口な彼は、有事の際の隠れ場所をすでにここに決めていたらしい。


 ポケットの主であるホシカといえば、まだアイラのうしろで腰を抜かしたままだ。背中で殺気を語るアイラへ、小声で囁きかける。


「おい、苛野! べらぼうに強いぞ、雨堂谷寧は! 勝てるのか!?」


 眉ひとつ動かさず、アイラは告げた。


「当然よ。そしてあいつの次に始末するのは、伊捨星歌、あんただ」


「ええ!?」


「ほほえましいわねえ♪」


 楽しげに口を挟んだのはネイだ。


「アイラちゃん、わかるわよ。そのまま一人で逃げときゃよかったところを、ホシカちゃんの可愛い悲鳴を聞いて、助けに戻ったんでしょ?」


「は? この私が? 伊捨なんかのために? 馬鹿らしい」


「いいのよいいのよ、隠さなくたって。ま、もとはといえばホシカちゃんがここに迷い込んだのも、アイラちゃんの脱走&暴走が原因だしねぇ。責任を感じるのもわかるわ。ところでこんな話、知ってる?」


 口の端をきゅうっと吊り上げ、ネイは続けた。


「ある種の頭のいい肉食獣は、仕留めた獲物にすぐには止めをささず、半分生きた状態で狩場に放っておくのよ。あえて、ね。なんでかわかる? ね?」


 まっすぐ横に伸ばされたネイの片手で、降り注ぐ木の葉は異様に歪んだ。


「鳴き声を聞いて助けにきた仲間を、さらに狩るためよ♪」


 ネイと、アイラの片目に、それぞれ呪力の五芒星が現れたのはそのときだった。


 ネイの四角残った瞳の星に対し、アイラのそれは残り三角。


 おお。急速に周囲の温度が下がったかと思いきや、アイラの両手に収束したのは輝く風だ。風は細かくきらめきながら、瞬時に鋭い刃を形成する。空気中の水分を自在に凝結して操り、武器を生み出す……アイラ特有の呪力の一端を、ホシカが目の当たりにした瞬間だった。


 気づいたときには、アイラの両手には今まで存在しなかった武器が握られている。


 ナイフが二本。素材は見ての通り、氷だ。だがその薄さと鋭さが、金属製のそれをはるかに超える切れ味を有しているのは間違いない。


 そして見るものが見れば、気づいたはずだ。その二振りのナイフが〝小太刀〟と呼ばれる大昔の軽武器を模していることに。


 ネイは小さく口笛を吹いた。


「忍者ね。魔法少女の、忍者♪」


 ネイが指を鳴らすのと、アイラの手が跳ね上がるのはほぼ同時だった。


 なにもない空間から響いたのは、かんだかい破砕音。


 細氷と化して砕け散ったのは、アイラの小太刀のほうだった。


 すかさずひるがえったアイラの逆の小太刀は、これも粉砕されている。強い呪力をまとった氷刃が、かろうじてネイの空間切断に対する盾になっているらしい。間を置かず、アイラの両手に生まれる氷の小太刀。ネイの指先から三度放たれた不可視の刃を、アイラは旋回しながら二本の小太刀で受け止めた。破裂した両の小太刀が、吹雪のごとき氷の粒と化してアイラの手から消える。


 あらまあ、と口をおさえたのはネイだった。


「よく見えてるのねぇ、〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟の牙が」


 手から氷の破片を払いながら、アイラは答えた。


「わかりやすいわ。あんたが空間をいじるたびに、風が悲鳴をあげるから。〝痛い、痛い〟って……そして私は、傷ついた風たちの怒りを代弁する」


 つぶやいたアイラから、まばゆい光と風と音がほとばしった。


 強い呪力の奔流を手で防ぐホシカに対し、ネイは軽く目を細めただけだ。その間にもアイラの片目の五芒星は、尋常ならざる輝きを放って震えている。


 見よ。アイラの腕から、足から、体から、血で汚れた服が魔法のごとく消滅したではないか。直後、代わりにアイラの全身を覆ったのは、異次元の衣装だ。


 濃い青色を基調とした衣装は、身軽だが露出も多い。


 服が変わっただけ? いや、違う。


 白く冷気をあげて凍る周囲の森、うずまく強大な呪力……


 恐ろしい答えを放ったのは、ネイだった。


「〝第三関門〈ステージ3〉〟突破……文句なしの魔法少女への変身ね、〝風を歩むもの〈イタクァ〉〟」


「い、いつの間に着替えたんだ? 前の服は?」


 動揺のあまり的外れな質問をするホシカヘ、ラフはポケットの中から解説した。


「以前の服なら、変身を解けば異次元から戻ってきます。魔法少女とは、世界という体内に発生した異質な腫瘍と同じ。そのさらなる悪化と進行を示すのが、あのような外見の変化です。あの衣装そのものが強烈な呪力で織られ、呪力の制御、攻撃への耐性、また異世界から現世に呪力を流入させるパイプの強化・円滑化等をもになっている。つまりあの衣装は〝あちら〟と〝こちら〟をつなぐ扉であり、魔法少女の皮膚と言っても差し支えはありません」


 呪力の吹雪が舞う中、前に進み出たのはネイだ。完全に魔法少女と化したアイラへほほえみかける。


「とゆーことは? ほうぼうから期待の声が聞こえるわ♪ 私も〝なれ〟と。〝角度の猟犬〈ハウンド・オブ・ティンダロス〉〟ひさびさの本気よ!」


 軽く振られたアイラの両手、指と指の間に鋭い光が生まれた。右手と左手あわせて、計八本のナイフ。これらのナイフも〝苦無〈くない〉〟と呼ばれる大昔の暗殺武器だ。


 両手の苦無を振りかぶりながら、アイラは告げた。


「はっきりさせましょう、どちらが〝獲物〟か!」


 爆発音とともに、森を濃い煙が飲み込んだのは次の瞬間だった。


 アイラが両手を振ったかと思いきや、地面に突き刺さった苦無は粉々になり、そこを支点に猛烈な〝霧〟が生じたのだ。熱と冷却の関係を把握した〝氷の魔法少女〟ならではの芸当だった。


 静寂……


 しばらくして、霧の一点はまっぷたつに裂けた。


 現れたのは、腕を振りきった姿のネイだ。


 周囲を見渡すが、アイラとホシカの姿はどこにもない。


 逃げられた。


「マジかぁ~~そうきたかぁ~~♪」


 苦笑する顔をおさえて、ネイは空をあおいだ。霧を透かして、彗星〝ハーバート〟の輝きが見える。


 顔をおさえる手、その手首、銀色の腕時計をネイは見た。闇の組織〝ファイア〟お手製のそれは、通信機能も兼ねている。時計の表面を指で叩き、ネイはしゃべった。


「ちょっと本部ぅ~、がっかりなんだけど。ひとつ心の健康相談に乗ってくれない?」


 通信機の向こうから流れるのは〝不通〈オフライン〉〟の音だけだった。そう。美樽山支部のアンテナは、アイラによって事前に残らず破壊されているのだ。また間の悪いことに、情報漏洩を病的に警戒し、組織との連絡にこの極秘回線以外を使うことは固く禁じられている。


 ネイの笑顔に、邪悪ななにかが混じった。うつむきながら、サングラスをかけ直してすぐにそれを隠す。


「無視? 無視? なんだか泣けてきたわ。それはつまり私に〝自己判断で動け、任せた〟ということかしら? OK、OK。指示を仰げないんじゃ仕方ないわよねぇ。どこの国の裁判でも、応答なしは〝はいそうです〟と同じなんですよ。うふふ、ではこういう時のハンターのマニュアルは、と」


 いずこからか現れた手帳を、ネイはさらさらと読み流した。


 いったい何が書いてあったのだろう。くく、とネイの肩は含み笑いに揺れた。


「とりあえず獲物たちには順番に〝絶望〟してもらうことになるわね。絶望こそが魔法少女の呪力の源、絶望だけが魔法少女を覚醒させる。できあがった魔法少女たちを説得して連れ帰れば、私の昇進待ったなし。ああ、海外の本部へ引き抜かれて、まっさおな海でバカンスする光景が目に浮かぶわぁ~。責任感と使命感に胸が燃えるわぁ~♪」


 狂っている。文字通り猟犬が、システムの枷を外れて暴走を始めた瞬間だった。


「まあ獲物が言うことを聞かなかったそのときは、かわいそうだけど、ね?」


 霧の森のむこうに、やがてネイの姿は溶けて消えた。

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