ラミアとチョコバット
この小説には、魔物娘成分が含まれます。
毒舌、蛇、人外娘などのジャンルが苦手な方はご注意ください。
ジャージ姿の少女、マリア・カーマインが帰宅したのは、午後三時ごろのことだった。
散歩に出かけたのが午後一時を過ぎたくらい。コンビニに立ち寄る時間も考慮に入れると帰宅は四時を過ぎると思っていたのだが、意外と早く散歩を切り上げてきたらしい。
「帰ったぞ、辰磨」
「あー、うん。おかえりー」
寝転がっているぼくは、首だけを玄関へ向けて気のない返事をする。
そこでは、コンビニのビニール袋を持った少女が一人、真っ赤なジャージを脱ぎ始めているところだった。
またか……と呆れつつ、ぼくは半ばお約束となっている台詞を口にする。
「一応言っておく。玄関でジャージを脱ぐな」
「おや、ずいぶん慣れたものだな。初めの頃は顔なんぞ赤くして、可愛らしい反応をしておったというのに」
「う……そりゃ、そうだったけど」
「けど? なんだ、言ってみろ」
マリアは長い銀髪を揺らし、人差し指をチャックに引っ掛けつつ、妙にもったりとした手つきでジャージの前を開いていく。続いて前かがみになり、胸元を堂々と見せ付けながらズボンを脱いだ。
この上なく妖しくて艶かしい所作ではあったけれど、ぼくの理性の耐久値を削りきるには至らない。せいぜいがクリティカルヒットの大ダメージ程度だ。
理性の残滓を守るため、ぼくはさりげなくマリアの身体から視線をそらす。
「なんというか、マリアは確かにいい身体してると思うぞ?」
「む、ずいぶん直接的な言い方だな」
「お前が言えって言ったんだろう?」
「ふむ、そうだったな。まあいい。続けろ」
「まったく……で、どれだけよくても、その、何度も何度もこれ見よがしに脱がれたら、さすがに慣れるぞ。多少は」
なんだか段々と恥ずかしい告白のように思えてきて、最後のほうは自分でも声に出せていたかどうかわからないくらいになってしまった。
確かに、マリアの肢体はどこをとってもすばらしい。
形のよい乳房は大きくて張りがあるし、細くくびれた腰には思わず触れてみたくなる。
魅惑的な身体を支える足はモデル顔負けなくらいに細くて長いので、どう頑張ってもいやらしい目で見てしまう。
ましてや今は、ジャージ半脱ぎで直立不動状態なのでなおさらだ。
そんな抜群のプロポーションを持つ美少女が、自分の目の前で着替えをしている。
シチュエーションを考えれば、健全な男なら誰だって興奮して当たり前なのだが、そう頻繁に脱がれてはありがたみの欠片も感じられなくなるというものだ。
ちなみに、他にも髪、耳たぶ、まつげ、鼻、唇、あご、鎖骨、肩、二の腕、指、へそ、ひざ、足首、くるぶし、かかと……と、ほめるべき場所は数え切れないくらいにあるけれど、語りだしたら三日ほど止まらなくなりそうなので描写は割愛だ。
ぼくの言葉を聞いてしばらく考え込むようにしていたマリアは、
「むう、それもそうか」
大仰に肩をすくめると、上のジャージを脱ぎ捨ててから青白い光で身体を包む。そして次の瞬間には、下半身を巨大な蛇へと変えていた。
相変わらず、一瞬の出来事だ。マリアの変身を初めて見てしまった人は、現実が信じられずに混乱するかもしれない。
しかし、ぼくは彼女が変身する様子を生着替え以上の頻度で見ているので、こちらもやっぱり慣れたものだった。
美しい銀髪ときれいな黄金色の瞳を持つ少女、マリア・カーマイン。
その本性は、ラミアという魔物である。
オンボロアパート『やよい荘』の六畳一間で暮らしているぼくの同居人は、人間ではないのだ。
彼女は散歩が趣味なため、一時的に下半身を人間の足に変化させてはいたが、半人半蛇の状態こそが本来の姿だ。
ちなみに、この変身の効果は衣服にまで及ぶ。
マリアが現在着用しているのは、先ほどまでのジャージなどではない。ビキニ型水着に似た麻布製の衣装と、パレオのような腰巻きだ。
特殊な服装ではあるけれど、マリアいわく、これがラミアの伝統的な普段着らしい。
ぼくはラミア一族のことをあまりよく知らないが、それが本当なら相当に肌色の多い社会だろう。うらやまし……ではなく、非常にけしからん社会だ。
と、ぼくが異界の様子に想いを馳せていると、マリアは変身の完了を確認するようにパレオの位置を直した。そして、一瞬だけ不敵な笑みを浮かべると、するすると床を這ってこちらへ近づいてきた。
「ふふ。しかし、余が負けっぱなしで引き下がると思ったら大間違いだ」
狭い部屋で二人暮らしをしているので、帰宅したあとに近寄られるのは当たり前といえば当たり前だ。しかし、その直後に放ったマリアの台詞が妙に不穏だった。
嫌な予感がしたので起き上がろうとすると、筋肉質な赤い大蛇がぼくの体を絞め上げた。
一枚が手のひらほどもある鱗と、なめらかな蛇腹の感触が肌の上を滑っていく。
「ぐっ――!!」
骨が軋むほどの圧迫感を与えられたと思ったら、そのすぐ後には軽く抱きつかれている程度にまで拘束が緩められる。
「何するんだ。どういうことだよ、これ」
「順応されたのなら、それ以上の刺激をもって篭絡してやればよい。簡単な話だろう? まったく、慣れたから次を望むなど、お主も案外隅に置けん男だな。変態め」
「どうしたらそんな曲解ができるんだ。ぼくは何も望んでないぞ」
とはいえ、抵抗できるかと言われれば、できないと答える外にない。理由は二つ。
ぼくが逃げようと暴れたら、マリアはすぐに拘束を強めるだろう。ただの高校生が一度でも魔物にマウントポジションを取られたら、覆すことは難しい。
それに、このまま抵抗しなかったらどうなるのかを知りたいと思う自分もいる。こちらは、前者のような体力面での問題ではなく、精神面での問題だった。
マリアは、そんな男心の機微や葛藤までも見越して、変態だと言ったのだろう。
ぼくが仕方なくされるがままになっていると、マリアはにまにまと笑みを浮かべながら、
「そう遠慮するな」
と言って、ぼくの隣へ添い寝をするように上半身を横たえる。
そして、ビニール袋の中から取り出した何かを、ぼくの口の中へと強引に突っ込んだ。
「ぐ……むぐぅ」
甘さと苦さの混じった味が口内に広がる。
黒くて太い棒状の何かは、一見しただけでは正体がわからなかった。
「さあ、お望み通り次の段階に進ませてやろうではないか」
「んぅ?」
「安心しろ。ただのチョコバットだ。もっとも、ただ食わせるだけではないがな」
マリアはニヤリとほくそ笑むと、反対側からチョコバットをくわえ込む。
その瞬間、ぼくの心臓がビクンと跳ねた。
この構図は、合コンなどでよくある『ポッキーゲーム』そのものだ。
ポッキーの両端を二人で咥えながら少しずつ食べ進めていくという、善良な学生にとってはとても心臓に悪いパーティーゲーム。
この魔物娘は、こんなものを一体どこで覚えてきたのだろうか。
そんなことを考えている間にも、脈はどんどん速くなっていく。
マリアの顔は互いの吐息が触れ合うほどに近い。少し手を伸ばせば相手の全てを奪ってしまえそうな距離だ。
しかし、そんな勇気があったらな、今頃こんな状況になってはいないだろう。
意気地のなさは自分でもよくわかっているのだが、いかんせん行動が伴わないのだ。
マリアとともに大人の階段を上るこれ以上ないチャンスであるにも関わらず、ぼくはついつい体を引こうと考えてしまった。
そしてその直後、自分の失敗に気がついた。老獪なマリアが、ぼくの腑抜けた行動を予想していないはずがなかったのだ。
「んふ、逃がしはしない」
すぐさま背中と後頭部に腕を回され、抱きすくめられてしまった。
押し当てられた胸はやわらかく、ぼくとマリアの間に挟まれながら圧倒的なまでの存在感を放っている。
いくら一緒に住んでいるとはいえ、マリアにここまで近づかれたのは初めてだった。
肌越しに伝わる温かさと、女の子特有の甘いにおいのせいで目が回りそうだ。
それなのに、両腕と下半身全体でがんじがらめに抱きつかれているので、わずかな身じろぎすらもできない。
マリアはぼくの困り果てた顔を見て満足したのか、ゆっくりと、本当にゆっくりと、チョコバットをかじりだした。
噛まれ、砕かれ、飲み込まれるという三種類の振動が、チョコバットを通じてぼくの口へと伝わってくる。
マリアの口は、まるで何か違う行為をイメージしているかのように、複雑に、小刻みに、責め立てるように動く。
口の端から少しだけ唾液を垂れ流し、時折甘い吐息を漏らしながら、目の前の少女はひたすらにチョコバットをかじり続けた。
マリアの熱っぽい息が顔にかかるたび、ぼくの鼓動が加速していく。
わずかに残っていた理性など、大蛇の牙で瞬く間に噛み砕かれてしまった。
少し、また少しと、ハイライトの映える瞳が近づいてくる。
マリアの目は心底楽しげで、どこか勝ち誇ったような色をしていた。
単純に身動きが取れないだけなので、やろうと思えば目をそらすことくらいできただろう。
だが、膨れ上がる興奮と抗えない好奇心がそれを許さない。
焦らされ、弄ばれているのだとわかっても、ぼくはマリアの顔を見つめ返すことしかできなかった。
整った顔が、じわり、じわりと近づいてくる。ぼくとマリアの唇は、今にも触れてしまいそうなほどだ。
空っぽになった頭の中で、「ああ、これがマリアの言っていた次の段階か」などと、ぼんやり思考する。
全身からはじっとりと汗が染み出し、興奮と脈拍は最高潮。いよいよ過呼吸ぎみになってきて、ぼくの精神は気絶寸前まで追い詰められた。
そして、二人の唇が触れようかという、その瞬間――。
「変態め」
呆気なく、本当に呆気なく、マリアの顔が離れていった。
マリアの体もまた、何事もなかったかのようにさっさと離れていってしまう。
チョコバットの片割れを咥えたまま、ぼくは何がなんだかわからない状態で床の上に投げ出された。
「むぅん?」
残ったチョコバットを食べることにも考えが及ばず、ぼくはチョコバットを口に含んだままで首をかしげる。
一方、マリアは咀嚼の終わったチョコバットを飲み込むと、先の割れた舌でぺろりと唇をなめた。
そして、これ見よがしに人差し指で唇をなぞる。
「ふふ、これは、もうしばらくお預けだ」
マリアは流し目をぼくへと向けて、艶かしく笑って見せたのだった。
おわり




