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ラミアと朝食

この小説には、魔物娘成分が含まれます。

毒舌、蛇、人外娘などのジャンルが苦手な方はご注意ください。

 音が聞こえる。トントントンと、一定のリズムを刻んでいる。

 次に聞こえたのは、水の流れる音だ。蛇口をひねる音に始まり、蛇口をひねる音で終わる。

 まどろみながら聞くそれらの音は、なぜだかすごく心地よかった。

 まるで――。

 まるで、昔に戻ったみたいな、懐かしくて、暖かい気持ちになった。

 しかし、目に入ったのは、あの日と違う天井。彼女と同居している、六畳一間の天井だった。



   ◆



「悪かったって。機嫌直してくれよ」

「別に、()はヘソを曲げてなどおらん。もしもそう見えるなら、その腐った目玉を医者に見てもらってこい」

 対面の彼女は、ついとそっぽを向いて口を閉ざした。もう何も話したくないとばかりに、お椀の味噌汁に口をつける。

 マリア・カーマインの横顔は、露骨(ろこつ)に不機嫌さを表していた。彼女の銀髪は、片田舎にあるオンボロアパートには不釣り合い。すらっと通った鼻筋や、長いまつげの向こうにある金色の瞳は上品で、どことなく人間離れした美しさを放っていた。しかし、それもさもありなん。彼女の正体は、ラミアと呼ばれるモンスターなのだ。

 マリアの下半身は、燃え盛る炎の色をした大蛇の尻尾だ。なめらかで光沢のある(うろこ)が特徴的な尻尾は、現在すべてコタツの中に収められている。マリアの下半身はとにかくでかくて長いので、彼女がコタツに入っていると、ぼくが入る隙間はない。

 部屋で唯一の暖房器具を乗っ取られているぼくは、寝具として使っていた掛け布団をひざにかけるしか、寒さをしのぐ道はないのだ。

 ぼくは胡坐(あぐら)をかいている足を組みかえると、改めてマリアに視線を向ける。

 今日の彼女は、お気に入りの赤ジャージの上に、フリルのたくさん付いた白いエプロンをつけていた。それだけでも普段とは大違いなのに、さらに目の前には和風朝食セットが二人分用意されている。これらの状況証拠から導かれる解答は、『目の前に座る同居人、マリア・カーマインが料理をした』である。

 普段は寝るか、テレビを見るか、散歩をするくらいしかしないマリアが、料理を作った。それもぼくの分まで、である。

 この事態がどれだけ異常であるかは、普段のマリアを知る人にしか分からないが、例えるならニワトリが空を飛ぶくらいありえないことだった。本気を出せばもしかしたら何とかなるかもしれないが、やっぱり無理なんだろうなーと思っていたところで、ニワトリマリアは奇跡的な羽ばたきを見せたのだ。まあ、ラミアと同居している時点で、すでに正常な生活からはかけ離れていると言われたら、反論の余地はないが。

 とはいえ、異常だの奇跡だの言ったが、まったく待ち望んでいなかった事態ではない。ぼくだって健全な高校生男子の端くれである。モンスターとはいえ女性と同居を始めるにあたって、期待していた展開も一つや二つではない。

 たとえば朝。白米の炊ける甘い香りとともに「朝ごはんできたから、一緒に食べよう?」とゆり起こされたり。

 たとえば昼。一緒に散歩に出かけて、その足でスーパーに寄ったとき、新婚夫婦と間違われて、二人で一緒に頬を染めたり。

 たとえば夜。眠るために電気を消したあと、布団に忍び込んできて「今日、あなたのお嫁さんになってもいいかな?」とか言われたり。

 しかし、それらの幻想的な同居生活は、マリアの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)によって瞬く間に打ち砕かれた。

 家にいるだけで何もしないマリアの身の回りの世話をしてやり、からかわれる度にあびせられる言葉攻めに心を砕かれた回数は数知れず。今朝の状況は、そんな苦労の末に起きた、理想の展開だった。

 それなのに、ぼくが寝ぼけた頭で放った一言は最低だった。

『なんだ、マリアか……』

 その言葉を聞いた途端、マリアは不愉快そうに眉を寄せると、生ゴミを見るような視線をぼくへ向けた。

『悪かったな、母君でなくて』

 皮肉たっぷりの台詞を聞いただけで、ぼくは自分がどんな寝言を口にしたのかが手に取るように分かった。

 そしてマリアは、すぐさま上半身をひるがえしてコタツへ向かった。その際に、尻尾の先でぼくの頬を引っぱたいていくのも忘れない。

 それ以降、ぼくが何度謝っても、「謝られる理由が分からない」の一点張りで、マリアはまともに口を利いてくれなくなったのだ。

「なあ、マリア……」

「…………」

「な、なあ……」

「…………」

「…………」

 六畳一間は狭い。ぼくが黙ると、ブリザードのように冷めた空気と無味乾燥な食事の音だけが部屋を支配してしまう。仕方なく、ぼくもマリアにならって、机の上にある食事に手を伸ばした。

 作りたての味噌汁は熱く、一口飲むごとにダシの旨みが口いっぱいに広がり、味噌の風味が香り立つ。具材は豆腐とワカメのみだが、これ以上何か入れてしまうのはむしろ無粋(ぶすい)だとさえ思える出来だ。家事経験ゼロのマリアがこの味を出すのにどれだけ練習したかを考えると、今朝の不用意な発言が余計に悔やまれる。

 ふと視線を上げると、お椀のふち越しにマリアと目が合った。切れ長の瞳はどこか(うれ)いを帯びて(うる)み、ぼくの鼻先の辺りを穴が開きそうなほど見つめている。

 しかし、マリアはぼくの視線に気がつくと、すぐさま顔を背けてしまった。どうにも、彼女にはしばらく近づけそうにないらしい。

「あのさ、これは独り言なんだけど……」

 だからぼくは、少し離れたところから、少しだけ大きな声を出すことにした。つまらない前置きをしながら、持っていたお椀を机の上に置く。

「夢、見てたんだよ。昔の夢。お前に会う前。魔界なんて、テレビ画面の向こうにしかないって、信じていた頃の夢」

 訥々(とつとつ)とあふれるぼくの言葉を、マリアは静かに聞いてくれている。伏せられた彼女の瞳の中で、金色の宝石がかすかに揺れた。

「あの頃は、将来こんなアパートでラミアと暮らし始めるなんて、想像もしてなかった。それが今では、お前の面倒をみてやることが当たり前になってる。夏は暑いのに扇風機にも当たらせてもらえないし、冬はコタツにも入れさせてもらえない。親からの仕送りはほとんどお前の食費に消えるし、そのくせお前は働きもせずに、毎日ゴロゴロダラダラしながら毒づいてくるし。これなら、捨て猫に餌やってたほうがまだ楽だったよ」

「……貴様、何が言いたいのだ?」

 ぼくの口からとめどなくあふれる悪口を、マリアは低い声でさえぎった。

 獲物を狙うように細められた瞳で(にら)まれ、刃物の腹ですっと肌をなでられる感覚がぼくの背中を襲った。少しでも変な動きをしたら容赦(ようしゃ)なく斬り捨てられそうだったが、動かないわけにもいかない。ここで話をやめたら、いままでの言葉はただの悪口になってしまう。

「それでも、ぼくはお前と一緒に住んでいる。ただの成り行きって言われれば否定はできないけど、それでも、ぼくは今後、お前を部屋から追い出す予定はない。だからさ――」

 ぼくは一呼吸入れて、マリアの視線を正面から受け止める。きらめく銀髪も、ぱっちり二重の瞳も、意外と小さくて可愛らしい鼻も、ちらりと八重歯ののぞく口元も、全て視界にとらえて言う。

「大事な家族と話もできなくなるのは、寂しいかな」

 その瞬間、マリアの頬に朱がさした。耳の先まで真っ赤に染めて、うつむきながら視線をさまよわせ、何事かをボソボソとつぶやく。

「まったく、よくもそんなこっ恥ずかしいことを……」

「へ?」

「なんでもない!」

 マリアは不機嫌を通り越してついに怒り出してしまった。どうやら、さっきの台詞は逆効果になってしまったらしい。よく考えてみると、本音とはいえ、かなり恥ずかしい台詞を口にした。それに気付いて、ぼくはなんとなく黙ってしまう。

 消えかけていた気まずさが、再びぼくらの間に横たわった。コタツの向こうにいるはずのマリアが、果てしなく遠く感じる。しかし、意外も先に沈黙を破ったのはマリアのほうだった。

「余も、独り言なのだがな……」

 マリアはぼくと同じ前置きをすると、ぼくと同じ言葉を使って話を始める。

「余も、夢を見ておったのだ。どこかもわからん荒野で、襲い来る騎士の軍団を千切(ちぎ)っては投げ、千切っては投げ。終わりも分からぬ戦いに、ただひたすら没頭しておった」

 マリアの口から千切ると聞くと、字面(じづら)どおりの意味で人間が千切られているように聞こえるので恐ろしい。あまりグロテスクにならないよう、マリアの夢の様子をデフォルメキャラで想像しながら、ぼくは黙って話を聞く。

「しかし、多勢に無勢。数に圧倒され、二本の腕で攻撃をさばき切れなくなった余は、仕方なく尻尾をふるったのだ。そうしたらな」

 マリアはコタツの中に手を突っ込むと、こちらの様子をちらちらとうかがいながら、ためらいがちに何かを取り出す。コタツの上に乗る皿を少しどけて、机の中央を開けると、黒くて板状で長方形のそれをそっと机の上に置いた。ぼくのスマートフォンだった。

 しかし、かつて貴重品だったそれは、見るも無残、聞くも悲惨、語るも凄惨なスクラップになっていた。液晶画面は割れ、中の基盤がむき出しになっている携帯電話が、データの復旧は限りなく不可能に近いと言っている。

 ピースはそろっているのに、パズルを作りたくない状況。一から十まで理解して、現実を受け止めることを頭が拒んでいる。

 思考が停止したのと同時に、ぼくの表情も固まってしまったのだろう。押し黙っているのは怒っているからだと勘違いしたらしいマリアは、あわあわと言い訳を始める。

「その、つい、な、体が動いてしまったのだ。たまにあるだろう? 夢の中で動いたら、一緒に体も動いてしまうことが。朝食だって、本当はただの罪滅ぼしで、それでも、少しはお前のことも考えて……じゃなくて。そういう意味ではなく、機嫌が悪くなったのだって、最初はお前に許してもらうための布石で、それでも、ちょっとは傷ついたというか……じゃなくて!」

 マリアは一通りまくしたてると、ひざ(ラミアにひざはないので、それにあたる部分)の上で拳を握り締め、きゅっと唇を噛んでうつむいた。

「色々、浅ましいことをして、すまなかった。お前の大事なものを壊してしまって、すまない。誤魔化そうとか、シラを切ろうとか、策をめぐらせたが、途中までは、どうやったら許してもらえるか必死に考えておったのだ。本当に」

 マリアは、不安げな瞳をおずおずとこちらに向けた。そこにはもう、不機嫌の色も、怒りの色もない。小さな肩を震わせて、ただ、ぼくの判決を待っていた。

「ぶっ」

「?」

「ふっ……ふふっ」

「!? き、貴様、何を笑っておるのだ!」

 ぼくの出した気持ち悪い声が笑い声だと気付くと、マリアは机に身を乗り出し、牙を()きながらぼくに人差し指を向けた。

 しかし、これは笑うなと言うほうが無理な話だった。

「どういうことだっ! 解答次第ではただでは済まさんぞ」

「いや、お前、意外と可愛いところがあるなって思って」

 正直な感想を述べてやると、マリアは目を見開き、()でたタコのように頭の先まで真っ赤になった。

「なっ……く、ぅぅぅううう、馬鹿にしおって――」

 マリアは両手の指をわしゃわしゃと動かして、ぶつけようのない感情をあらわにする。そして、元の位置に腰を落ち着けながら、

「もう知らんっ!」

 鼻息も荒く言い放つ。ラミアのお姫様は、今度こそ、本当にヘソを曲げてしまった。

 ぼくはひとしきり笑ったあと、軽く息を整えながらお姫様の横顔を見据える。

「ところで、ものは相談なんだけど、マリアも携帯電話を持ってみる気はないか?」

「?」

 マリアは無言で片眉を吊り上げて、怪訝(けげん)そうな瞳とともに話を催促してくる。

「実は、近所の携帯電話ショップから、キャンペーンのハガキが来たんだよ。男女二人で契約すると、本体料金無料。そのうえに、契約者どうしの通話とメールも無料になるっていう破格のプラン」

「め、めーる? ぷらん?」

「簡単に言えば、卵と味噌汁のついた牛丼が食べ放題ってことだ」

 ぼくが適当な食べ物で例えると、マリアは頭の上に出していたクエスチョンマークを引っ込めた。ものすごくざっくりとした説明だったが、ニュアンスだけは十分に伝わったらしい。真顔で何度もうなずいている。

「なるほど、それはお得だな。うむ。確かにお得だ」

「その携帯電話も、もうずいぶん使い込んだし、そろそろ変えどきかなって思ってたんだ」

 壊れたスマートフォンを眺めつつ、ぼくは自分の卵焼きに箸を伸ばす。

 電話帳のデータが消えたのはちょっと大変だけど、幸いにしてぼくにはあまり友達がいないので、またすぐに集めなおせば済む話だ。いやー、友達が少なくて本当によかった!

 やかましい。

 悲しい一人ノリツッコミを終えたところで、ぼくは再度マリアの反応をうかがう。

「どうだ、携帯電話」

「うむ、辰磨(たつま)がそこまで言うのなら、持ってやらんこともないぞ」

 マリアは腕を組んで、普段通りの上から目線。先ほど見せた、触れれば壊れてしまいそうなか弱い少女の面影は消えている。ここまで傲慢(ごうまん)さが戻れば一安心だ。

 ぼくがMに目覚め始めているかどうかは関係なく、本当に一切関係なく、二十四時間、三百六十五日威張(いば)り散らしているのが、彼女らしいと思うのだ。

「じゃあ、十時に店が開くから、早速行こう」

「うむ、そうだな」

 まんざらでもなさそうな表情のマリアは、再び味噌汁に口をつける。

 ぼくは、さっきつかんだ卵焼きを口へと運ぶ。卵特有の香りとダシの旨みが口いっぱいに広が――らなかった。

「う、なんだこれ、滅茶苦茶甘いぞ」

 甘いタイプの卵焼きにしても、牛乳や砂糖が入りすぎている。卵焼きというよりも、どちらかというとミルクセーキに近い味だった。

「そうか? うまくできたと思うのだが」

 マリアは味噌汁のお椀を置いて、自分の皿に乗る卵焼きを一つ食べた。

「うむ、これだけは会心の出来だ。やはりあのドラゴン娘に頼ったのは正解だったな」

「いや、大家さんは末期的な甘党だから、普通の人間とは味覚が違うぞ?」

 まあ、味噌汁はまともだったし、ご飯やハムソーセージなんて甘くしようがないので助かった。あの人に料理を教わって、甘いのが卵焼きだけで済んだのは不幸中の幸いだろう。

 そこまで考えて、ふと、嫌な予感が頭をよぎった。

 一品だけ極端に激甘の料理。

 味噌汁を飲むぼくを不安そうに見つめていたマリアの視線。

「まさか……」

 完成してほしくないパズルが、また出来上がってしまった。しかし、ぼくはその完成を認めたくはない。(わら)をもつかむ思いで台所に駆け寄るが、しかしそこには、見たくない現実が無慈悲にも待ち受けていた。

「お前、台所の砂糖全部卵焼きに使ったな!」

「うむ、途中で足りなくなったのだが、買いに行こうにも金がなくてな」

「……やっぱり、本気で怒っていいか?」

 ぼくが振り返ると、わざとらしく瞳を潤ませるマリア。家計と調味料保全のためにも、マリアにはぼくが一から料理を教えなければならないようだ。


~おわり~

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