ラミアとゆきわらし
この小説には、魔物娘成分が含まれます。
毒舌、蛇、人外娘などのジャンルが苦手な方はご注意ください。
ある場所に腰をすえ、動かないでいることを、とぐろを巻くという。
寒さの厳しい冬の朝などは、布団から出たら一直線にコタツへ向かい、窓から差し込む日の光を背中に浴びながら、まったりとニュース番組でも見たいものだ。ぼくも寒さに強いほうではないので、その気持ちはよくわかる。
しかし現実問題として、我が家のコタツは非常に小さい。そのため、彼女に先を越されてしまったら、ぼくが足を入れるスペースはなくなってしまう。
そんなちょっと迷惑な同居人の名は、マリア・カーマイン。彼女の下半身は、光沢のある鱗がびっしりと張り付いた、大蛇のものである。
マリアは蛇の下半身をコタツの中へ器用にしまい、文字通りとぐろを巻いてしまうのだ。
コタツでとぐろを巻くという一文に二重の意味を持たせることができるのは、彼女のような、ラミアの女性くらいだろう。
◆
今日の六畳一間は、ここ数週間のうちで一番寒かった。それはバカで馬鹿力なマリアが大暴れして、鞭のような尻尾で壁に風穴を開けたとか、そういう意味ではない。単純に、昨日から一晩中雪が降っていたのだ。
「寒いな……」
ぼくは布団の中でつぶやくと、一拍で覚悟を決めた。思い切り布団を跳ね上げ、コタツにスライディングをかます勢いで滑り込み、電源を入れる。この間、わずか三秒。
この部屋に限らず、冬のやよい荘は、とにかく寒い。ストーブやヒーターなんて贅沢な電化製品を持たないぼくは、コタツか布団か太陽光によって防寒対策をするしかないのだ。
右手をいっぱいに伸ばし、南向きの窓にかかったカーテンを開けると、結露した窓の向こうにはねずみ色の雲が広がっていた。ぽつりぽつりとある雲間からは太陽が顔を見せているものの、その光は切れかけた蛍光灯よりも弱々しい。
「これは、まだ降るだろうな」
昨日の夜に見た天気予報を思い出しつつ、頬杖をついて窓の外を眺める。降り積もった雪が明日の朝まで残っていれば、クラスの友人たちと一緒に、高校の校舎裏あたりで雪合戦ができるかもしれない。そう考えると、少しくらい寒さを我慢してもいいような気がしてきた。
日光浴を諦めたぼくはカーテンを閉めて、未だ温まらないコタツの中で両手をこすり合わせた。部屋の中にも関わらず、吐き出す息が白く色付いては消えていく。
すると、コタツの向こうからかすかな衣擦れの音が聞こえてきた。続いて、艶かしい唸り声が耳に入る。どうやら、同居人が目を覚ましたらしい。
布団から這い出してきたマリアは、コタツの端からひょっこり顔を出す。寝癖のついた銀髪の下では、不機嫌さ全開の黄色い瞳が細められていた。
言外に「そこをどけ」と言われているのだが、ぼくはあえてそれには取り合わず、やっと暖かくなり始めたコタツの足をつかんで徹底抗戦の構えを取る。
空気が張り詰めたのはほんの一瞬だった。必死の抵抗もむなしく、ぼくの布陣はマリアの尻尾で正面から崩され、いともたやすく最終防衛ラインを突破された。
簡単に言うと、ぼくはところてんを作る要領でコタツから押し出されたのだ。
「恒温動物にやるコタツのスペースなぞ、これっぽっちもない。寒いのが嫌なら、運動でもして体を温めればよいだろう」
それが、変温動物の下半身を持つ、ラミア娘の言い分だった。
「くそ……理不尽だっ!」
部屋の持ち主として、この横暴を放ってはおけない。ぼくが抗議の声を上げると、マリアは「ふっ」と笑い、冷めた視線をよこした。
「力なき者が虐げられるのは世の常だ」
マリアは防寒用のちゃんちゃんこを引き寄せると、お気に入りの赤ジャージの上に羽織る。そのまま流れるような動作でテレビの電源を入れてから、コタツの中に両手を仕舞った。これが、冬季限定のラミアの生態だ。こうして彼女の下半身がコタツの中でとぐろを巻いてしまうと、どう頑張っても二人で一緒に入ることはできない。
コタツという寒冷地最重要拠点を占領し、顔をとろけさせるマリアの様子を見て怒りが沸いてこなかったと言えば嘘になる。しかし、マリアは傲慢な態度や口調とは裏腹に、顔のまわりに花が舞ってもおかしくないほど幸せそうな表情をしている。これ以上ないくらいに至福であるといった顔だ。
なんというか、ぼくはその無防備な顔に、毒気を抜かれてしまったのだ。蛇に毒を抜かれるというのも、妙な話かも知れないが。
しかし、ここで泣き寝入りを決め込んだら負けだとも思う。段々と虐げられることに慣れ始めてはいるが、ぼくの辞書にだって『仕返し』という言葉は載っているのだ。
「くそ、今に見てろよ」
ぼくはパジャマの上にパーカーを羽織って部屋から出ると、錆びた階段を下りてアパートの庭へ出る。容赦なく吹き付ける風のせいで、すぐに耳が冷たくなった。
庭にしゃがみこんだぼくは、草の上に積もった雪をかき集め、かじかむ両手を時々こすり合わせて暖めながら、大小二つの雪玉を作る。これをくっつければ、雪だるまのできあがりだ。
「……よし」
ぼくは二十センチほどの顔なし雪だるまを持って、部屋の前まで戻った。
この後の状況を想像すると笑いが込み上げてくるが、ニヤニヤしていたらマリアに悟られてしまう可能性がある。二、三度深呼吸をした上で、笑みの形で固まりかけた頬の筋肉をよくほぐしてから、扉を開けた。
仕返しのターゲットであるラミア娘は、扉に背を向けてコタツに入っていた。
「ただいま」
マリアは振り返りもせずに、緩みきった声で「うむ」と頷く。
「早かったな。体は温まったのか?」
「まあまあかな」
白々しい問いかけには適当に言葉を返しつつ、ぼくはいたって普段通りを装って部屋に入る。右手に持った雪だるまを後ろ手に隠したまま、マリアの背後に近づくと――。
「それっ!」
真っ白で、無防備な首筋に、同じく真っ白な雪だるまをくっつけてやった。
「ひょぅわっ!」
奇声を発したマリアは、コタツが跳ねるほど飛び上がった。罪なきテレビのリモコンが宙を舞い、マリアの傍らに落下する。コタツの中からは、想像しただけで顔をしかめたくなるような音まで聞こえた。
うわ、痛そう……。
自分で仕掛けたことではあるが、予想以上にマリアのダメージが大きそうだった。
「き、貴様……よくも、よくもやってくれたな」
マリアは机に顔を伏せ、コタツの天板に爪を立てる。必死に痛みをこらえているようだ。こちらからは見えないが、顔も相当ゆがめていることだろう。
少し可愛そうかとも思ったが、ぼくはその考えを一瞬で振り払った。
そんなことだから、マリアに好き勝手されるのだ。ここはビシッと言わなければ。
「いつまでもコタツでふにゃふにゃしてるからだ。暇なら働いたらどうだ?」
「くそっ、許さん。許さんぞ……」
しかし、ぼくの提案は完全にスルー。瞳の端に涙を溜めたマリアは、こちらを恨みがましく睨み付けながらコタツを出ると、蛇の尻尾を振り上げた。
ぎっちりと筋肉の詰まった真紅の尻尾は、まるで獲物に狙いを定めるかのようにゆらゆらと左右に揺れる。尻尾の先端から聞こえる風切り音が、ぼくの背筋を凍らせた。
「待て。ちょっと待て。それは……尻尾はまずい」
ただの人間であるぼくが、大蛇の尻尾による一撃を受けたらまず即死だろう。避けようにも、人間の反射速度では尻尾の残像を捉えることすら難しい。
「冷静になれ。話せば分かる。ラミアと人間も分かり合えるって!」
ぼくは背中を向けて一歩を踏み出したが、もう遅い。
「問答無用だっ!」
説得には聞く耳を持たず、怒り狂ったマリアは尻尾を振り下ろす。
ぼくがとっさに頭をかばった時、右手に乗っていた雪だるまの感触がふっと消え、
「きゅきゅ~う!」
固く閉じた瞳の向こうで、小動物のような鳴き声が聞こえた。そして、いくら待ってもマリアの尻尾が振り下ろされてこない。
ぼくがゆっくりと目を開けて振り向くと、目の前には、体長二十センチくらいの何かがいた。
真っ白な着物に、藤色の帯を合わせた後姿。長く艶やかな黒髪は、風もないのにゆらゆらと空中で揺れている。
宙に浮かぶ和服幼女は巨大な氷の壁を作り出し、マリアの一撃を防いでくれていた。
「ちっ、ゆきわらしになったか」
振り下ろした尻尾に更なる力を込めるように前傾姿勢になりつつ、悔しがるマリア。
「きゅきゅうっ!」
ゆきわらしは胸を張ったが、残念ながら何を言っているかは理解できない。
「え、え?」
そして、ぼくはそんな状況に混乱するばかりだった。
「ふっ、何が『この人をいじめないで』だ。余の魔力で偶然生み出されただけだというのに、偉そうに」
マリアは心底面倒臭そうに顔をゆがめながら、尻尾の一振りで氷の壁を粉砕する。
自慢の技をいとも簡単に破られたためか、ゆきわらしは歯痒そうな表情を見せる。
「きゅ……きゅうっ!」
しかし、すぐさま右手を前に突き出すと、右腕を中心にして吹雪のように粉雪が舞った。自分の何倍も大きな相手を前にして、果敢に臨戦態勢を取ったようだ。
そして、戸惑うぼくをそっちのけで、マリアとゆきわらしの会話は進んでいく。
「ほう、まだ歯向かうか。いいだろう。その挑戦、受けて立つぞ」
「きゅうっ!」
「弱小精霊が何を言うか。一撃で捻り潰してくれる」
「待て待て待て、おいてきぼりだから。ぼくだけ話についていけてないから!」
今にも東西モンスターバトルが勃発しそうな空気を悟り、ぼくは慌てて仲裁に入る。このままでは、二人に大暴れされて、部屋の中を滅茶苦茶にされかねない。
「とりあえず、何が起きたのか説明してくれ」
「説明も何も、貴様の作った雪だるまと余の魔力が合わさって、精霊が生まれただけだ」
マリアは当然のことだという風に堂々と語るが、ぼくはその不思議現象についての説明を求めているのだ。
さらに追求しようと口を開きかけたが、続くマリアの台詞のほうが一瞬早かった。
「それに、こやつにはもう時間がない。せめてもの手向け、創造主たる余が直々に引導を渡してくれる」
凶暴な笑みを浮かべたマリアの視線を追うと、ゆきわらしはいつの間にかコタツの上に降り立っていた。
しかし、きゅうきゅうと騒いでいた先ほどまでの姿とは打って変わって、とても辛そうに息をしている。彼女はまるで頭から水をかぶったかのようにずぶ濡れで、髪の先や着物の端からとめどなく水を滴らせていた。片ひざをついた足元には、ぼくの拳ほどの大きさの水溜りができている。
「きゅぅ……」
「お、おい、この子大丈夫か?」
「ふむ、長くてあと数十秒といったところか。先ほどの氷で、魔力をあらかた使ってしまったらしいな」
息を荒げるゆきわらしを上から下まで眺めたマリアは、淡白に告げた。
「そんな……なんとかならないのか?」
「さあ? 精霊のことなど詳しくは知らん。もう一度冷やしたりしたら、案外元に戻るかもしれんが――」
ぼくが走りだすには、その言葉だけで十分だった。スニーカーをつっかけて履き、やたらと重い木のドアに半ば体当たりをしながら、転がるように部屋を出る。濡れた階段で足を滑らせて尻もちをついたが、目的の物すぐそこにあった。
雪だ。マリアの話によれば、雪だるまが魔力を帯びてゆきわらしになったらしい。ならばこの雪を使って水分と冷気を補えば、彼女は回復するのではないだろうか?
確かな方法を聞いたわけじゃない。それでも、庭に積もった雪こそが、溶けかけの幼女を救える唯一の方法に思えたのだ。
ぼくは両手にいっぱいの雪を集めると、一段飛ばしで階段を駆け上がり、肘でドアを開けた。部屋に帰ってくるのに、二十秒もかからなかっただろう。
しかし、そんな努力は水泡に帰した。
「そんな……」
まず目に飛び込んだのは、コタツに入ったマリアの横顔。頬杖を付いた彼女は、気だるそうにテレビ画面を見つめていた。
次に目に付いたのは、机の上にある水溜り。その面積は、ぼくの手のひらよりもよっぽど広くなっていた。
ゆきわらしの姿は、もうどこにもない。
「間に、合わなかった」
ぼくはフラフラとコタツの前まで歩くと、持っていた雪を水溜りの上に置いた。天板の上に盛られた白い小山は、まるでゆきわらしの墓標のようだ。
これを、マリアがもう一度触ったら……?
そう考えたものの、そんな方法で生まれたゆきわらしは、さっきと同じゆきわらしなどではないように思えた。ほんの数秒前までそこで騒いでいたゆきわらしには、もう二度と会えないのだ。
ぼくが顔を上げると、マリアは頑なにテレビ画面を見続けていた。しかし、テレビの向こう、どこか遠くを眺めるような彼女の瞳を見たら、責める気は失せてしまった。きっと、仕方ないことだったのだろう。
そう自分を納得させて立ち上がる。すると、どこからともなくぼくの耳に小さな声が聞こえてきた。
「きゅう」
その声は、正真正銘、ゆきわらしのものだった。しかし、彼女の死体であるのだろう水溜りや、その上にある雪山には何の変化もない。
「きゅう」
部屋を見回しながらよく耳を澄ませてみると、声は部屋の入り口のほうから聞こえてきていた。
部屋の北側の壁には、右から玄関、台所、冷蔵庫が並んでいる。
「きゅう」
ゆきわらしの声に、何かを叩く音が混じった。はっとしたぼくは、部屋の隅に鎮座する家具に飛びついた。
「ゆきわらし!」
古ぼけた二段式冷蔵庫の上段。冷凍庫の扉を開けると、そこには小さな彼女の姿があった。
「きゅぅうっ!」
ぼくを見つけたゆきわらしはぱっと表情を明るくし、元気いっぱいといった様子で飛びついてきた。ほっと安堵したぼくは、ゆきわらしの頭に手を伸ばす。
「よかった、助かったんだな」
「きゅうっ!」
頬をすり寄せてくるゆきわらしと一緒に、マリアのほうを振り向いた。素直じゃない同居人は、知らん顔でテレビを見ている。
「さすがマリアだ。やっぱり、やるときはしっかりやってくれる」
「勘違いするな。余はただ、コタツの上できゅうきゅうと騒がしいそやつが鬱陶しくなって、閉じ込めてやっただけだ」
マリアは憎まれ口を叩いてはいるものの、その横顔はどこか嬉しそうだ。
ぼくはコタツに歩み寄って膝をつくと、左腕をマリアの肩に回した。
「本っっっ当に、素直じゃないなお前は!」
ぼくはゆきわらしを自分の頭の上に移動させると、空いた右手でマリアの頭をわしゃわしゃと撫で回してやった。
「――なっ、こ、こら辰磨、やめんか! う、うううにゃ」
「遠慮すんな。今回ばかりは本当に感謝してるんだ!」
「きゅうっ!」
ハイテンションになっているぼくに加えて、左腕に移動したゆきわらしにまで頭を撫でられ、マリアは喜んでいるのか困っているのか、複雑な表情を浮かべた。
全国的に大雪の降った、二月のある日。
片田舎のアパート、古ぼけた六畳一間にまた一人、人ならざる同居人が増えたのだった。
~おわり~




