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♯4

 

 ガタガタと音を立てながら短いアーチ型の石造りの橋を越えると、目の前に海と赤煉瓦の倉庫街が広がった。

 何もないこの街の唯一の観光名所になっているだけあって、異国情緒溢れるその景色はこの街に十七年間住んできた僕が見ても本当に綺麗だなと思う。

 土産物屋の前の水銀灯の脇に自転車を停め、等間隔にライトが埋め込まれた木造の板の上を歩き、店の裏手に回った。

 漁船が波に揺れ、カモメが鳴いていた。夢と変わらない風景があった。ただ夢と違うのは、潮の香りがすることと、周りで子供達がぎゃあぎゃあと騒いでいること、そのくらいだった。

 五時までにはまだあと三十分ある。それだけあれば心の準備も出来る。さっき会ったばかりの相手だけれど、やっぱり夢と現実は違う。言葉の響きも緊張の度合いも、そしてたぶん彼女の…可愛さも。考えるだけで、ドキドキしてしまう……。

 

 そうだ。彼女のことをなんて呼べばいいんだろう。

 僕のことを真樹君と呼んでいたから、世羅さん…? ぎこちないか、それじゃ。世羅ちゃん…? …無理だ、呼べそうにもない。まあ、でも同じ年なんだから。うん。世羅でいいか。

 

 「世羅」


  僕は彼女の名を口にしてみた。

 

 …。

 ……恥ずかしい。

 

 ものすごく恥ずかしい…。

 

 でも、このくらいで照れていたら、彼女とまともに話しをすることも出来ないだろう。

 

 ふぅ~~。

 大きく深呼吸し、もう一度彼女の名前を呟いてみた。

 

 「世羅」

 

 「……さっきから、なんで私の名前呼んでるの?」

 

 !?

 

 ――!?

 

 ――――!?

 

 振り返ると、彼女が立っていた。

 僕は彼女を見つめ、そして…、固まった。

 聞かれてしまった…。

 

 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。

 恥ずかしいいぃぃぃぃぃっ!

 変態だと思われてしまった、はず。

 ああ…、死んでしまいたい…。この世界から消滅してしまいたい…。

 

 「そんなに、珍しいかな私の名前…」

 世羅は目を細め、怪しい人を見るような目で僕を見た。

 

 やめてくれえぇぇ…。そんな目で見ないでくれえぇ…。

 

 膝をつき泣きじゃくりたかった。そしてそのまま力尽きてしまいたかった。

 

 「隣、座ってもいい?」

 僕は無言でカクカク頷いた。

 

 「でも、この間みたいに体に触ったりしたら大きな声出すからね」

 カクカクカク。

 

 ワンピースの裾をふわりと持ち上げ世羅は僕の隣に腰を下ろした。

 柔らかくて女の子らしい匂いが優しく鼻を通り過ぎた。

 

 「どう? 実感してる?」

 僕はちらりと横目で隣を見た。

 

 現実の彼女は信じられないくらい可愛かった。黒く長い髪が風にさらりと流れ、端正な顔立ちを露わにしていた。

 僕はすぐに視線を前に戻した。

 「…うん、まあ」

 

 「真樹君」

 

 「…ん?」

 

 「どうしたの? なんか変。もしかして緊張してたりする? 人見知り?」

 

 「…そんなことないよ」

 

 そうは言ったものの、僕はガチガチの完全な緊張の中にいた。

 

 「ふ~ん」

 彼女は下から僕の顔を覗き込んだ。そしてさらさらと落ちる髪の毛を手で押さえた。

 夢と同じ仕草だった。

 いるんだ。この世界には。この現実には。こんなに可愛い女の子が。

  

 「ほらほら。もっと楽にして。年だって同じなんだから、もっとフランクにいこう」

 

 「………」

 

 「ねっ?」

 

 初めての経験だった。

 初恋のトキメキなんかよりも、ずっと強くて、もっと言葉に出来ない思いが胸の中を高速で行ったり来たりしていた。

 

 「そうそう。ライブ本当に良かったよ。すごいよね。真樹君の曲でしょ、全部」

 

 「うん…」

 僕は漁船を見て言った。

 

 「特にね、あの曲良かったよ。シルエットっていう新曲。あんな雰囲気の曲、好きなの私」

 

 「…ありがとう」

 

 「真樹君、やっぱりなんかぎこちないよ…」

 

 「なんか、実際にこう会って、話しをすると…ちょっと緊張するっていうか」

 

 ……?

 

 彼女はベンチを立ち、漁船の方へと向かって歩いた。

 

 「真樹く~ん! ねえ、これこれ!」

 

 彼女は錆ついたビットの脇に置かれているドラム缶を指さした。

 そして、それに細い腕を巻き付けた。

 

 「えいっ!」

 

 まさか…。

 夢と同じように…!?

 僕は息を呑み彼女の行動を見守った。

 

 ……。

 

 ………。

 

 「ダメかあ、やっぱり」

 

 …ふぅ~。焦った。

 そう、ここは現実。そんなこと出来るわけない。怪力女子レスラーじゃないんだから。

 

 「緊張ほぐすためには良いかなって思ったの。あれをびゅ~んってね。夢の中みたいに」

 僕の隣に腰を下ろし、彼女は楽しそうにそう言った。

 

 「真樹君にど~んってね」

 

 死んじゃう、死んじゃう…。そんなことされたら。

 

 「それは勘弁…」

 

 「じゃあ、私のスペシャルキックは?」

 

 「…嫌だ」

 

 「パンチ五十連発は?」

 

 「無理…」

 

 「頭突きは?」

 

 「ダメ」

 

 「オッケー。もう大丈夫そうね」

 何が大丈夫なのかは、全くわからなかったけれど、気付くと緊張はさっきよりはだいぶ解れていた。

 

 「あの、そういえば、君…、あっ、世羅…さん? は、星愛なんだよね。星愛の二年…」

 

 「世羅で良いよ。世羅さんってなんか変だよ。それに…真樹君、さっき世羅って言ってたじゃない、一人で」

 

 恥ずかしさリバース。

 

 「あっ! あ、あれは、なんていうか…練習っていうか…。なんて、呼べばいいのか、わかんなくて。だから…」

 

 石化スタート…。

 

 「練習?」

 

 「………」

 

 「ん?」

 

 「………」

 

 …。

 

 ……。

 

 バチンっ!

 

 「っいってぇぇ!」

 

 不意打ちだった。

 不意打ちのデコピンだった。

 かなり強烈な一発だった。

 

 「変な顔して、固まらないでよ」彼女は唇を尖らせて言った。

 

 「世羅でいいよ」

 

 「うん…。はい…」

 

 「まだなんか変…。でも、まあいっか」

 そう言って、世羅は大きく頷いた。

 「それで、なんだっけ?」

 

 「星愛の、二年なんだよね…?」

 

 「うん。そうだよ」

 

 「…うん。じゃあ、中学はどこだったの?」

 

 「中学も星愛だよ。私は行きたくなかったんだけどね。親がね、うるさくてね。星愛って聞くと、どんな印象受ける?」

 

 星愛イコールお嬢様。

 お嬢様イコール星愛。

 これはこの街に住む人なら知らない人はいない方程式だ。

 

 「お嬢様」

 

 「やっぱりね。そう思われちゃうんだ。でもね、そんなことないんだよ。ほら、私を見て? ね? そうは思わないでしょ?」

 

 「……思う」

 

 「うそ?」

 

 「本当」

 世羅は眉間に皺を寄せ僕を睨んだ。

 でも、その顔は全然キュートだった。

 「これでも!?」

 

 「…うん」

 

 はあっ、と短い溜息をつき、世羅は言った。

 「嫌なんだよね、そう言われたり、見られたりするの。確かにね、そういう子もたくさんいるよ。生粋のお嬢様タイプ。でも、私は自分で進んで行きたいって思ったわけじゃないし、小さな頃から英才教育を受けてきたってわけでもないしね。ただね、親の押しに負けちゃったってだけ。うちのお母さんうるさいのよ、そういうところ。良い学校に行かせたいってタイプなのね。学歴重視派。だからそのことで毎日喧嘩ばかりだったわ。行きなさい! 嫌。あなたの将来のためなんだから。それならほっといて! その繰り返し。でも、結局は私が折れたからこうなってるんだけどね。真樹君の家はどう?」

 

 「うち? 家は全然。母さんはギターばっか弾いてとかガミガミ言うけど、でもそれでも応援してくれてはいるんだと思う。次ライブいつなの? とかたまに聞いてくるし、スタジオ代だってブツブツ言いながらも出してくれるし」

 

 「お父さんは?」


 「父さんは俺が小五のとき死んじゃったんだ」


 バイク事故だった。

 父さんはバイクが趣味だった。ヤマハの七百五十CCのバイク。大きくなったら乗せてやるからな、と言われていた後部シートには結局一度も乗せてもらえなかった。

 

 「バイク好きな父親でね。夜に、ちょっと買い物に出かけるって言って出て行って、それっきり帰って来なかった。雨で濡れた路面でスリップして、そのままガードレールにぶつかって」

 

 「ごめんなさい…」

 

 「別に謝ることないよ。もう随分前のことだし。あっ、そう。ここ、父さんが好きな場所だったんだ。だから小さな頃、よくここに連れてこられたんだ。そこの店でソフトクリーム買ってもらって」

 

 だから僕はここの夢を見るようになったのだと思う。

 父さんとの思い出の場所の。

 

 「そうだったんだ。こんなこと言うと失礼かもしれないけど、真樹君が羨ましい。私はほとんどないんだ、両親と出かけたりした思い出。私が中学に上がるまでお父さんずっとアメリカで仕事をしてたから年に何回かしか会えなかったの。まあ、去年また行っちゃって今もいないんだけどね。お母さんも私が小学五年まで仕事を持ってずっと働いてたから私はおばあちゃんにお世話してもらってたの。そのおばあちゃんが亡くなって、お母さんは仕事を辞めたんだけどね。さすがにね、小学生の子を一人放っておくことは出来ないでしょ? 化粧品会社で化粧品の企画担当をしてたのお母さん。お父さんもそうだけど、お母さんも同じで、バリバリ仕事をしていたいってタイプなの。家庭よりも仕事って感じのね。まあ、本人達はそんなことないって言うと思うけどね。だから、そうやって家族の思い出を持っている真樹君を羨ましく思うよ」

 

 「そんなことないよ」

 

 「そんなことあるよ」

 

 そう言うと、世羅は両手で膝を叩き、ベンチから立ち上がった。

 

 「ねえ、真樹君。ソフトクリーム食べない? ちょっとお腹が空いちゃって」

 

 僕も同じだった。それにここのソフトクリームはめちゃくちゃ美味しい。近くの牧場から仕入れているコクのある牛乳がその美味しさの秘密らしい。

 

 土産物屋の中でソフトクリームを買い、ベンチの方へと戻ると、ベンチには杖を持ったおじいさんが座っていた。

 

 「取られちゃった」

 

 「みたいだね」

 

 他に座れる場所がないか探してみたけれど、腰を下ろせそうな場所は見あたらなかった。

 僕らは仕方なしに土産物屋の壁に寄りかかり話しをすることにした。

 世羅が学校の話しが聞きたいと言ったので、クラスメートが授業中に寝ぼけて「好きだよ!」と叫び、先生を含め教室中が騒然となった話しや、体育の時間に先生が倒立前転の手本を見せようとして失敗し、首をひねってそのまま病院へ直行した話しや、話が長すぎて女の子が三人倒れたことがきっかけで、全校集会での校長の話は五分以内になってしまった話しなどをした。

 

 世羅は手を振り、「嘘でしょ」と目に涙を浮かべ笑った。

 

 「久しぶり、こんなに笑ったの。…ふふっ。ダメ。また思い出しちゃう」

 

 僕はこれでもかと目を大きく開き、両手で首を押さえてみせた。

 「うわああっ!」

 

 「っあははははは! やめてよ! もう! お腹痛いよ」

 

 世羅はよく笑った。そしてその笑顔はどれも素敵だった。

 こんな女の子が恋人だったらな……。

 楽しすぎるだろうな、間違いなく。こうやって一緒に話しをして、笑い合って、彼女を見つめる度にドキドキして。彼女の笑顔に視線を奪われながら、僕はそんなことを思っていた。

 

 

 通りは夜の顔を見せていた。

 水銀灯に明かりが灯り、赤レンガ倉庫はオレンジ色の照明にライトアップされていた。

 観光客がカメラを構え、恋人達が手を握り寄り添い歩いていた。

 

 「今日は楽しかったよ、本当に」

 

 僕らは自転車を押し、並んで歩いた。

 

 「こっちこそ。楽しかった。それに…」

 

 僕が次の言葉を言うよりも先に世羅が言葉を繋げた。

 「実感できた、でしょ? 夢の中の謎の女が実在した! って」

 

 「うん」

 

 「良かったね。それじゃ、真樹君。また、夢で会おう」

 

 じゃあね。世羅は手を振り、自転車のペダルに足をかけた。

 僕もペダルを踏んだ。

 海の香りを乗せた夜風が心地よく吹き抜けていった。

 僕は一度も振り返らなかった。

 彼女の存在を疑ったりしないように。


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