♯3
実際に会えたのだから、今夜また夢の中で会えるはず。
そう思ってベッドに横になったのだけれど、目を覚ますと…、朝だった。
五時三十分。
早すぎる朝だった。
「はああぁぁぁぁ……」
僕は大きな溜息をついた。
もう一度寝ようと思ったけれど、目はしっかりと覚め、頭はすっきりと冴えていた。
仕方なしに、ベッドから起き上がり、ギターを手に取った。
心は沈んでいたけれど、朝の真新しい光が素晴らしいインスピレーションを湧き起こさせてくれるかもしれない。
僕は静かに弦を弾いた。
Am7、C、G、C、Am7、C、G、Em――
その進行を繰り返し、そこに適当な歌詞を乗せたメロディーを置いていった。
きみ きみ ゆめに きみ きみ いない
ゆめ あさ ねむれ ない きみ どこに
なかなか……、良いかも。
メロディーは単調なものだったけれど、ふと口を出た言葉の符割とコードチェンジのタイミングが上手い具合に絡んだ。
カーテンを全開にし、フレッシュな光を部屋に満たし、僕は曲作りを続けた。
メロディーは次々と浮かび、手を休めることもなく曲は展開していった。
素晴らしい…。
これが朝の…、パワー。
インスピレーションを引きだし続ける自然のエネルギー。
窓から差し込む澄んだ光に目を細めながら、僕は曲の輪郭を明確にしていった。
曲が出来上がり、遅い朝食を食べ、さあ、次は歌詞だ! と意気込みノートを広げたものの、ペンは一向に進まなかった。
言葉は浮かび上がりそうになるのだけれど、顔を見せることなくすぐにまた沈んでいった。
気分を変えるために、悟史から借りているダフト・パンクのディスカバリーを流した。
そして、曲のリズムに合わせ、脇を締め、腰を左右に振ったり、手首を曲げ猫パンチを繰り出しながら回転したりした。
僕は時々こういったことをする。もしも誰かに見られたら、引き籠もりになってしまいそうなことを。
けれど、こういうことをしている人は僕の他にも結構いるんじゃないかと思う。音楽は人の心を揺らし、そして踊らせるものだから。それが上手い踊りなら、ダンスと呼ばれ、逆に下手だったら…、危ない奴と思われる。そこにあるのは踊りのレベルの違いだけだ。とはいっても、そのレベルの差がもたらすものは大きいのだけれど。
五曲分の創作ダンスは、意外と大きな疲労を残した。
最後に決めた高速スクワットがかなり効いていた。
額の汗を手で拭い、僕はベッドに仰向けになった。
そして、天井を見つめながら歌詞について考えた。
そこにあるべき言葉、歌われるべき言葉。
それは、それは、…それは。…ん? それは一体なんだ…。
考えれば考えるほどわからなくなって、終いには混乱した。
僕は考えることを止めた。
下手に考えるから言葉が逃げていくんだ。そう。だから、今は…。
僕は目を閉じた。
窓の外から聞こえる蝉の声が心地よく頭の中を回った。
漁船が波に揺られていた。
カモメの鋭い鳴き声につられ横を向くと、隣に彼女が座っていた。
「休みの日に昼寝?」
暇ね、と続けて彼女はくすくすと笑った。
「あれ…?」
「夢だよ、ここ」
「…夢?」
「うん。真樹君のね」
「俺の、…夢」
「うん。真樹君の夢に私がお邪魔してるの」
お邪魔してる。僕の夢に…。
うん? んん?
「説明すると難しいんだけど、私達は今同じ夢を見てるの。でも、なんていうのかな、私達が二人揃って何処かに集まってるってことじゃなくて、私が勝手に真樹君の夢の中に入り込んでるの。わかる?」
僕は首を傾げた。
「人のお家に黙って入り込んでるのと同じだから、ちょっとした犯罪みたいなものよね、これも」 僕はまた首を傾げた。今度はさっきとは反対に。
「よくわからないんだけど。これは俺の夢で、君が俺の夢に入り込んで来てる、そういうこと…なんだよね?」
「よくわかってるじゃない」彼女は人差し指を立てて言った。
「高校に入って三ヶ月くらい経った頃からこういうことが出来るようになったの」
「出来るようになった?」
「まあね、出来るようになったっていうのもなんか変なんだけどね」
うん。変だ。
出来るようになるというようなことじゃない。これは。
「最初は自分の夢だと思ったの。当たり前よね、自分が見た夢を誰かの夢だなんて思いもしないものね。小学校のときすごく仲の良かった女の子がいてね、その子と話をする夢だったの。部屋の中にはテディーベアがたくさんあって、窓には小さな可愛い花の模様がついた黄色いカーテンがかかってて。そこでね、今どんな本を読んでるとか、どんな音楽を聴いてるとか、そんな何気ない会話をしていたの。それでね、その次の日、お母さんと一緒に買い物をしているときにたまたまその子に会ったの。そうしたら、その子、昨日南さんと話をする夢を見たって言ったの。驚いたわ、私もその子と話をする夢を見てたから。そして、その子は話を続けたの。自分が小さな頃住んでいた部屋で、テディーベアがたくさんあってって。それを聞いて全身に鳥肌が立ったわ。なんだかすごく怖くなっちゃって。会話もね、私が夢の中で交わした内容と同じだった。それからね、こういうことが始まったのは」
映画の中の話しみたいだった。何気ない女子高生が実はエスパーだったみたいな。
彼女はさらに続けた。
「それで、何度かそういう体験をしていくうちに今みたいに誰かの夢の中に自分から入っていくことが出来るようになったの。おかしな話しって思うと思うけど、今こうして私がここにいるんだから、まあ、そういうことなんだよね」
到底信じられない話しだけれど、彼女が言うとおり、僕は今彼女とこうして話しをしている。僕の夢の中で。小学校のときから何度も見てきたこの夢の中で。
信じられないけれど…、信じるしかない。
「一応、念のため確認なんだけど。いるんだよね? 本当に、実在してるんだよね」
「はっ? なに言ってるの。今の話聞いてなかったの? それに会ったじゃない、昨日。ライブハウスで」
「まだなんか実感がなくて」
「そう?」
「うん…」
「真樹君。今日これから予定あるの?」
「予定? 特に何もないけど…」
「だよね。昼寝してるくらいだものね」
「暇だから寝てるってわけじゃないんだけど…ね」
「でも、寝ちゃったってことには変わりないでしょ?」
確かに…。
ん?
でも、今僕がこうして夢を見て、彼女がここに現れているということは…。
「そっちも、寝てるから今こうやって来てるんじゃないの?」
「ははっ。ばれちゃった。本を読んでたら眠くなっちゃって」
そう言うと、彼女はペロリと舌を出した。
可愛い女の子が可愛い仕草をすると…。
うん…。可愛すぎる……。
「予定何も入ってないんなら、今日これから会わない?」
「別に、…良いけど」
「それじゃ、会おう。そうすれば実感も湧くでしょ。嫌でもね。じゃあ、今何時かわかんないけど、まだ三時にはなってないと思うんだよね、たぶん。私が最後に時間を見たとき一時半くらいだったし。四時にここは?」
「ここ?」
「うん。ここ。赤レンガ倉庫のところでしょ、このベンチ。真樹君の家から遠い? 私の家からは自転車で二十分くらいだけど」
「三十分くらいかな」
「そっか。それじゃ、四時にここで会おうね」
……。
…………。
「…あのさ、会うのは良いんだけど、まだ夢の中だよね」
「ああ、そっか。そうだよね」
彼女はパンと手を叩いた。
「そうね。まずは起きなきゃね」
彼女はベンチから立ち上がり、漁船の前に置かれている大きなドラム缶を抱きかかえた。
「そんなに深くないと思うの」
とても悪い予感がした。
僕は恐る恐る尋ねた。
「…何が?」
「眠り」
「………」
「真樹君、ごめんね。ちょっとびっくりするけど。五時にね」
えぇぇぇえいっ!
!?
かけ声と共にドラム缶が回転しながら飛んできた。
「えっ!? あっ! ちょっ! あぁぁっ! おいっ!」
ダメだ、ぶつかる!
うわああっ!
僕は飛び起きた。
はあ、はあ、はあ、はあ。
心臓がバクバクとアタックの強い音を鳴らしていた。
体に悪過ぎる目覚めだ…。
壁の時計に目を向けると、二時二十分だった。