♯2
星愛女子の制服を見かけると、ついつい反応してしまった。
夢の影響のせいだ。
そして、そんな僕の動きを見逃さない男がいた。
リン、リン、リン、リン――
祐介は自転車のベルを鳴らした。
「なに、お前。星愛に気に入った子でもいんのかよ」
「なんだよ、突然」
「お前星愛の子見る度に反応てるからさ。さっきもそうだしよ。あれか? 悟史達が言ってた通りか?」
「…なにがだよ」
「曲だよ、曲。シルエット。あの歌詞やっぱなんか意味あんのか?」
シルエット。
ミディアムテンポの方の新曲。
好きだった相手のシルエットを追い続けるという切なさを書いた哀愁ソング。
でも、僕は誰か特定の相手を想定してその詞を書いたわけじゃない。曲の雰囲気に合わせて書いていたらそうなってしまったってだけのことだった。
「ないって、そんなこと。本当にない。あり得ない」
「そこまで否定されるとなんだか本当に怪しいな」
「そう言われたら、なんて言えばいいんだよ。本当にないって」
「そっか」
「そう」
祐介はそれ以上何も追求してこなかった。
僕はほっとした。
可愛くて、レディオヘッドが好きな女の子。
…夢だよな、やっぱり。
都合が良すぎる。願望の現れだ。
カーマポリスを聴いて癒やされる女子高生。
……。
…ないな、どう考えても。
ないないないない。
リンリンリンリンリンリン。
「おい、やべえ。急ぐぞ。間に合わねえぞ、このままじゃ。あと十分しかねえよ」
祐介は腰を浮かし、立ち漕ぎの態勢に入った。
「面倒くせえよな、ほんと。終業式ってなんの意味あんだよ。まったく」
今日で僕らは解放される。
期限付きの解放だけれど、待ちに待った自由がもうすぐ訪れる。
僕はぐっとペダルを踏み込んだ。
そう。明日から始まる。
夏休みが。
*
ライブハウスは過剰なメイクで変身を試み失敗したり成功したりした女の子達や、金髪やアッシュに髪の毛を染めた男子高生達で埋め尽くされていた。
僕はリズム隊の二人と一緒にステージ裏の暗幕の隙間からホールの様子を覗き興奮していた。
「やっぱさ、ライブはギャラリーがいないとやってられないよね。あっ、ちょっ、見て見て。あの子超可愛くない? ほら、最前にいる子。髪をアップにしてる子」
悟史は目を輝かせ気持ち悪く微笑んだ。
「お前は、そんなことしか頭にねえのかよ。ホント、チャラいよな、お前は」
悟史の頭にスティックを刺して学が言った。
「チャラくはないよ。ただね、女の子に興味がありすぎるだけなの。普通でしょ? 十七歳の青少年なんだから」
「誰だよ、青少年ってよ」
リズム隊の相変わらずな様子とは反対に、祐介は黙々とギターを弾いていた。
赤いジャガー。
祐介がずっと欲しがっていたギター。
夏休みに入ってすぐに祐介はその念願だったギターを手に入れた。
『最高! マジで最高! ルックスもそうだけど、何よりこの音。聴いてくれよ、この枯れた感じのフロントのトーン。な、マジ良いだろ? おいっ! 聞けよ、お前ら! って、なに耳塞いでんだよ、悟史!』
あんなにはしゃいだ祐介を見たのはどのくらいぶりだろう。もしかすると初めてかもしれない。
小さな頃からいつも一歩後ろで構えている感があった。無駄口は少なく、落ち着いていて。けれど、いざというときには進んでみんなの一歩前に立った。
だから、周囲からの祐介への信頼は厚かった。
もちろん僕もそう。祐介のことは信頼していた。そしてもちろん今もそれは変わらない。信頼している、とても。
「ギター馴染んできた?」
隣に立ちそう言うと、祐介は手を止め顔を上げた。
「まあな」
「でも、そうやってると、なんか緊張してるみたいにも見えるけど」
「そんなことねえよ。ずっと欲しかったギターを買ったんだから、欲しい欲しいと思ってた分弾きたくなるだろ? 本当に欲しくて欲しくて仕方がなかったギターだったんだからよ」
祐介は、ギターのボディーを軽く叩いた。
「いえ~~~い!」
!?
「なんの話してるの? ねえ。まさか! ラブ的な話し?」
「………」
「………」
「今日の俺はすごいよ。真樹、感動して震えちゃうかもしれないよ。こんなに歌いやすいベースを弾く人間がこの世界にいるなんて信じられないよ~ってね」
王子様スタイル…。
両手をぱっと広げ、斜め四十五度を見上げる。
悟史がよくやる仕草の一つだ。
「期待してるからな」
祐介は肩をすくめて言った。
悟史はの良いところはどれだけふざけてても、やるときはやれるってとこだよな。
いつか祐介は僕にそう言った。
悟史は確かにぶっ飛ぶくらいふざけてばかりいるけれど、それでもやるべきことはしっかりとこなす。
ミスもバンドの中では一番少ないし、アレンジを固めるのが一番早いのも悟史だ。
そしてライブの衣装決めも悟史の担当。
黒で統一したモードチックなスタイル、ワンポイントがあるコットンシャツにハットを被った美容師チックなスタイル、そして今日は白いシャツに赤いスカーフというスタイル。
悟史曰く「ジャケットを脱いだスチュワーデススタイル」だそう…。
「任せて! 期待しまくってていいよ」
悟史はネクタイを巻き付けた指先を揺らした。
前のバンドが楽器や機材を引きずって戻って来たのとすれ違いに、僕らはステージへと向かいセッティングをした。
ホールは前のバンドが残した熱気で覆われていた。
セッティングを済ませると、僕らはまた暗幕の裏に引き返した。
ホールにKid Aが流れると、僕らは円陣を組んだ。
意識を集中させ、気持ちを一つにするための出陣前の儀式。
「今日も最高のライブにしようぜ」
「うん」
祐介のその言葉に僕は応えた。
「おっけ~」「おう」
リズム隊も同じく応えた。
「それじゃ……」
――行くぜっ!
――お~っ!
僕らはステージへと向かった。
「スティールです。よろしくっ!」
僕はマイクに向かって叫んだ。
サウンドが一斉に立ち上がり、グルーブとなってホールを駆け巡った。
僕らは今を駆け、瞬間を生きる、輝く未来へ走る無敵の十七歳。
出来ないことなんて何もない可能性だらけの十七歳。
僕はこの瞬間に声を張り上げ歌った。
「ノーミス、パーフェクト、俺、最高!」
楽屋に戻ると、悟史はベースを抱きしめて叫んだ。
「ちょっとミスったけど、良いノリ出せたな」
学は手に取ったタオルをぐるぐると回した。
「俺、最高っ!」
「新曲、完璧だったな。今日やった中で一番良い出来だったんじゃねえ? あの二曲が」
ギターについた汗をクロスで拭き取りながら、祐介が言った。
僕はステージ上で半分に減ってしまったスポーツドリンクの残りを飲み干した。
「お客さんの手応えもばっちりだったし」
「そうそうそう。一番前の女の子達なんて、プリプリプリプリ最後までずっと揺れてたしね。わかってるね、真樹ボーイは」
「…そんな意味で言ったんじゃないんだけど」
「まあまあ。そういうことで良いだろ、真樹」
学は僕の肩に手を回した。
「とにかくよ、良いライブが出来たんだからよ」
「それはまあ、そうだけど…」
そういうことと勝手にまとめられたのには納得がいかなかったけれど、まあ、確かに…、うん。確かに良いライブだった。
三十分間のステージは熱気と歓声と共に終わった。
トリのバンドが終わりイベントが終了すると、僕らはホールに出てライブハウスのスタッフさんにお願いして入場の際に配ってもらったアンケート用紙の回収をした。ライブの感想、曲についての意見、名前、通っている学校、そして次回のライブの告知。自分達がどう見られて いるのか、自分達の曲がどう聞こえているのか、それを知ることはとても大切なことだ。
「真樹!」
配ったアンケート用紙の回収を終え、楽屋に戻ろうとしたとき、ホールの隅にいた学が大声で僕を呼んだ。
学の隣には女の子が立っていた。
白と黒のストライプのキャスケットからさらりと流れるように下がっている長い髪の毛、ワンピース越しに浮かぶすらりとしたスタイル。帽子のせいで顔ははっきりとわからないけれど、可愛い女の子であることは間違いなかった。
「なに?」
「ん? あれ? なにって、ん? ほら」
学は隣の女の子に向けて手を広げた。
「こんばんは」
女の子はぺこりと頭を下げた。
「…こんばんは」
僕も頭を下げた。
…誰?
「…あの。ん? っと…」
「覚えてないかぁ。一週間も経ってないんだけどな」
僕は首をゆっくりと傾けた。
一週間もって…。
んんん? 誰、…なんだ。
「それじゃ、まぁ、いいや。今日のライブすごく良かったよ。私好みの曲だったし、真樹君の声もすごく良かったし。楽しかったよ。はい、これ」
真樹君? なんで僕の名前を。
女の子は僕の手にアンケート用紙を押しつけ、人混みの間を縫ってホールを後にした。
僕は頭の中に浮かんだ大きなクエスチョンマークを消そうと必至だった。
「知り合いじゃねえのか?」
「…わかんない」
「お前を呼んでくれって言ったんだぞ」
「さあ…」
「まさか!? ストーカーか、お前の」
「……はあ?」
「気をつけろよ、マジで。こえぞストーカーは。あのな、テレビで見たんだけど…。あっ! わりい、ちょっと俺あっち行ってくるわ。中学の時の仲間が来てくれてんだよ」
学は大きく手を振り、金髪だらけのグループの方へと向かって行った。
僕は手の中のアンケート用紙を広げた。
――ライブハウスに来たのも、ライブを見たのも初めてだったけど、スティールのライブは最高だったよ。レディオヘッドっぽくはなかったけどね。歌も曲も本当に良かったよ。それに赤いスカーフ! 最高だったよ笑 これからも頑張ってね!
星愛女子二年 南世羅
ん…。
レディオヘッド?
星愛女子…?
南世羅!?
あれ? これって…、これって…。
!?
僕は一度用紙を畳み、それからもう一度目の前に広げた。
同じ字で同じ内容が書かれていた。
夢じゃないよな…、今は。うん。
次に僕は腕を思い切りつねってみた。
…痛かった。
確かに、間違いなく、ここは現実だ!
アンケート用紙をポケットに突っ込んで、僕はホールを飛び出した。
目指すは白と黒のキャスケット。
自転車だらけのライブハウスの駐車場、すぐ側のコンビニ、駅へと続く大通りと、僕は辺りを見回しながら走った。
でも、どれだけ探しても彼女の姿を見つけることは出来なかった。
けれど、それでも僕は落ち込んだりはしていなかった。
彼女は、夢の中に現れた女の子は、南世羅は、実在した。
今僕がいるこの現実に。回し蹴りで石塔が壊れたりしないこの現実に。
僕は浮かれた足取りでサウダージへと引き返した。
「お前、どこ行ってたんだよ。ギター出しっ放しだぞ。早く片付けろよ」
「わりい。今すぐ片付けるからさ」
僕は祐介の肩をポンと叩いた。
「なんだよ、良いことでもあったのか? そんな嬉しそうな顔して」
「まあ、ちょっと。色々と」
「ふ~ん。それじゃ、俺は先外出てるから」
「おっけ~」
祐介は怪しい目で僕を見て、それから「まあいいか」と呟きホールの外へと出て行った。
僕はポケットの中に手を入れ、彼女が残した痕跡を確認した。
心臓がとても大きな音を立てていた。
その音は、走った後の鼓動とは全く違う響きをしていた。