エピローグ 夕焼けに半月
北アメリカ大陸南部の街ヒューストンは、本格的な夏を迎えてうだるような暑さだ。
郊外にある地球連邦アストロノーツ・アカデミーでは、次年度の新入生を決める最終選抜が行われている。緊張した顔の受験生が学内をうろうろと歩き回り、在学生がほほえましげにそれを眺める光景は、この時期のアカデミーの風物詩だ。
月から帰ってすぐヒューストンに飛んだ響揮だが、時差や低重力の影響もすでに抜け、コンディションはまずまずだった。割り当てられた宿舎の部屋で出かける準備をしながら、渡米前に遙香と渚沙から「一緒につくったの」と渡されたシールパックを開ける。
中には一センチほどの厚さのクッキーがいくつか入っている。
そえられたカードには『フォーチュン・クッキーだよ。試験の前に割ってね!』と、渚沙の丸っこい字で書かれ、遙香の字で『食べ過ぎ厳禁!』と追伸がある。
月旅行では渚沙の占いにかなり不信を抱いた響揮だったが、律儀に毎朝ひとつ割り、おみくじをとりだすのが習慣になっていた。
薄いパラフィン紙を広げてみると、大吉と大きく書かれていた。
「四日連続かよ、ほかの入ってるのか?」
苦笑して、クッキーを口に入れる。舌になじんだ、遙香のプレーンクッキーの味だ。大吉のおみくじよりも、その味が響揮にはなにより頼もしい味方だった。
三次選抜の日程も六日目が終わり、翌日の面接を残すのみとなった夕方。響揮はさすがに疲れを感じながら、校舎のベランダの手すりにもたれて空を眺めていた。夕方といっても気温はまだ高く、西日を受ける肌が熱い。
夕焼けに染まる雲、頬を撫でる湿気を帯びた風。やがて半月が南の空にうっすらと姿を現す。
響揮は目を細めて、三十八万五千キロの彼方を思った。
そんな少年を、向かいの校舎の窓からふたつの鋭い目が見つめていた。
「フランクが合格させろと言ってきてるんだがね。正直なところ、きみはどう思う?」
恰幅のいい初老の男が、ディジフレームの画面に目を向けて訊いた。ゆったりとした肘掛け椅子に座って足を組み、右の頬から顎に残る古い傷跡をなぞるように手を当てる。胸にAAの流星のマークがついたジャンプスーツはサイズが合わなくなってきているらしく、腹のあたりの生地がぴんと張っている。
「もちろん、大統領命令だとしてもふたつ返事で受け入れる気はない。あの少年がフランクの命を救ったのはたしかかもしれないが、むしろ選別の目が一段と厳しくなるだけだ」
『わたしから言うことはなにもありませんよ、校長。選抜試験の結果がすべてでしょう』
ヴィジのウィンドウのなかで、涼やかな青い目の青年が肩をすくめた。
「冷たいな、ブローディ。うちを首席で卒業したきみの目から見て彼はどうかと訊いてるんだ。ルナホープで会ったんだろう?」
『校長も人が悪いな。〝会った〟どころじゃないのはご存じでしょう? 報道規制はかかってても、あなたなら宇宙省内のあらゆる資料を見られるはずだ』
校長は片方の眉を上げてみせ、椅子に背中をあずけた。
「彼の武勇伝は聞いたさ。だがヒーロー症候群の生徒はうちには要らないからね」
『ああ、つまりあら探しですね。彼を落とす理由がなんにもないんで困ってるんだ』
憮然とした表情になった校長に、アレックス・ブローディがにやりと笑いかけた。ディジフレームにメール着信のサインがつく。
『いま送ったのは六月二十二日に起きた一連の事件の報告書です。報道規制の延長申請に使うので、彼の行動を抜き出した書類も添付しました。まだ宇宙省のアーカイブには入っていないはずだ。評価の参考になるでしょう』
校長はメールを開き、数十ページにわたる文書に目を通しはじめた。
『……すいませんが校長、読みふけるのはヴィジを切ってからに願いますよ』
「ああすまん、つい」
校長はあわててウィンドウのなかのアレックスに視線を戻す。目が合うと、アレックスはまたにやりとした。
『そうとう彼に関心があるようですね』
「当然だろう? あれだけのことをしてるのに、見ればまだほんの子供だ」
校長は窓の外にちらりと目をやった。向かいの校舎のベランダではくだんの少年を含め、受験生数人がなにか楽しげに話している。
『あーそれ、それが危険なんだ。外見で奴を判断すると痛い目に遭いますよ』
「〝痛い目〟の内容も報告書に記載してあるのかね?」
校長がにやりとして返すと、アレックスは居心地悪そうに身じろぎした。
「わたしが本当に求めているのはお行儀のいい役所向きの文章じゃなく、きみのナマの意見なんだがね、〝弾丸・ブローディ〟」
『やめてくださいよ。そんな昔のあだ名持ちだすなんて、恥ずかしくて死にそうです』
「じゃあ素直に白状したまえ。きみは彼をどう思ったんだ?」
アレックスは数秒のあいだためらってから、しぶしぶというように口を開いた。
『アカデミーの入学式で、校長はいつも話されてますよね。〝考えろ、行動せよ、そして生き残れ〟と。報告書を書きながら、わたしはそれを思い出していました』
「生き残れというのは比喩的な意味が大きい。しかも生き残る手段を持つ人間――サバイバリストになれということで――」
手をあげて校長の言葉を遮り、アレックスは首を振る。
『サバイバリストが全員、生存者になれるわけじゃない。両者のあいだには火星のマリネリス峡谷ほども深い溝があります。それは校長自身がいちばんよくご存じのはずだ』
校長は一瞬、記憶を探るかのように目を宙に泳がせ、右頬の古傷に指をすべらせた。
『でも彼は――響揮はそれを飛び越えてみせた。それこそ弾丸のようにね。あの日の月域はまさに、苛烈なサバイバルゲームの舞台でした。瞬時に正確な判断をくだし、ためらいなく行動しなければ生き残れなかった。まあ、奴の場合はその判断とやらがかなり斜め上……いや独創的で、周囲が巻き込まれるんで厄介ですが』
肩をすくめて、アレックスは続ける。
『奴は絶対に敵に回すな、味方にするなら覚悟しろ。そんなところですかね、わたしのナマの意見は』
「……褒めてるのかけなしてるのか、どっちなんだ?」
あきれ顔になった校長に、アレックスはくすくす笑う。
『誉れ高い〝弾丸〟の称号は喜んで彼に譲りますよ。じつに名残惜しいですが。いやほんとに』
「彼は弾丸どころか弾道ミサイルなんじゃないかって、悪い予感がするんだがね」
校長は抑えたため息をもらし、また窓の外に目をやった。
その視線の先を追いかけるようにして、ヴィジのウィンドウでアレックスが目を細めた。
『飛距離が長いのは長所でしょう。どんな弾頭を搭載するか、そこが校長はじめ先生方の腕の見せどころだ。わたしは神も運命も信じないし、予言者でもありませんが、これははっきり言えますね。五年後の卒業式にあなたが最初に証書を手渡すのは彼、ヒビキ・タカトウですよ』
〈終〉
長文の作品を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以下は、本作についてのちょっとした語りになります。
*【空想科学祭2011】参加作品です*
本作は、以前に書いた作品を大幅改稿したものです。スペースシャトル計画終了を区切りに改稿しようと思い立ち、手をつけたのはよかったのですが、ブランク中にさまざまな科学的事項が驚異の変化を遂げていたり、作者自身が成長――というより老化して読むに耐えない部分ができていたりで、挫折しかけていました。
そんなとき空想科学祭を知り、これを目標に頑張ろうと思いを新たにした次第。すばらしい機会を与えていただきました運営の皆さまに、心より感謝申し上げます。
すばらしい作品がたくさんある企画です。投票は終了していますが、下のバナーからトップページに飛べますので、SFに興味がおありの方はぜひ読んでみてください。
※12/21アルファポリス様の「WebコンテンツPickUP!」にてご紹介いただきました。
それを機に、誤字脱字の修正等全章を改稿しています。またACT13・ACT14は一部加筆修正しました。