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ACT14 マゼランの花嫁

 遠くから響く電話の着信音に、響揮は意識を呼び覚まされた。体は動かないが、会話は聞こえる。

『ジョアンが意識をとり戻したわ』

 女性の声だ。ディアナのものによく似ている。

『手の負傷はひどいけれど、命にかかわるものではないとお医者さまも言っているの』

「……残念、殺し損ねたわ」

 答えたのはディアナだ。

『やっぱり……。そうじゃないかと思っていたのよ。あなたのことだもの、地球に戻ればまたジョアンを殺そうとするんでしょうね。ネルソンの……復讐のために』

「わかってるじゃない」

『わかるわ。あなたは……わたしに似ているから』

 撃たれてからどれくらいたったのだろうと、響揮は考えた。まだキャビンにAIの警戒アナウンスが流れているところをみると、数分程度だろうか。アレックスもこんなふうに目覚めて、自分とサレムの会話を聞いていたのだと、響揮は思い当たった。

 サレムの芝居を、アレックスは認めていたわけだ。ますます『ハル&レイ』みたいだなと笑いそうになったが、もちろん笑ってなどいる場合ではない。

『信じられないかもしれないけど……わたしはネルソンを愛していたのよ』

 ディアナの相手の女性は母親のナタリア・フローレスらしい。

「嘘。だったらロシュフォードと浮気したりしないはずよ」

『……言い訳はしないわ。フランクを愛したのも本当だから』

「パパを殺したのはジョアンじゃなくあなたね」

 辛辣な口調でディアナがなじる。

『いいえ。ネルソンは自殺したの。遺書があったのよ』

 ディアナが息をのむ気配がした。

「わたしは見ていないわ」

『あなたには見せなかった――見せられなかったの。遺書のことはジョアンも知らないわ』

「見せて」

『それは……』

 響揮は懸命にまぶたを持ち上げた。かすんだ視界に、ショートボブの黒髪の少女がぼんやりと像を結ぶ。

「気がついた?」

 シャンメイがほほえむ。

 答えようとしたが、唇はかすかに動いたものの、声は出せなかった。響揮は目だけを動かして周囲をうかがった。大きな三Dスクリーンには経済界の女帝が大写しになっており、それをディアナが部屋の中央で、青ざめた顔で見つめている。自分はキャビンの隅でシャンメイに抱かれるように浮かんでいて、どうやら手は後ろで拘束されているようだ。兄とアレックス、サレムの位置は変わっていない。

「ディアナ、ちょっと口をはさませてもらうよ」

 アレックスが低い声で言うと、ディアナはぎょっとしたように振り向いた。母親のこと以外は意識の外にいっていたかのようだ。

「ミセス・フローレス、あなたのところにも、もう月から報告が届いたんじゃないのか?」

 アレックスの声は聞こえているはずだが、ナタリアは答えない。答えを待つこともなく、アレックスは続ける。

「二時間ほど前に、男性の遺体が月の裏側で発見された。南極近く、エイトケン盆地の小さなクレーターのなかで、調査中の水資源探査ロボットが見つけたんだ。所持品から身元が判明した。ミスター・ネルソン・アルメイダ。ディアナ、あんたの――ディアナ・フローレス・アルメイダの父親だよ」

「パパの……遺体が月に? 嘘よ……」

 喉元に手をあて、ディアナはあえいだ。

「パパは宇宙で死んだ。殺されたのよ!」

「検視でDNA鑑定も済んでいる。間違いない。彼はあんたにあてたボイスメールを持っていた」

 アレックスは左手で胸ポケットからフォロディスクを取りだし、ディアナのほうにはじいた。

 反射的にそれを受けとめたものの、ディアナはためらうようにしばらくディスクを見つめていた。やがてようやくディジフレームの前に行き、スロットに押し込んだ。

 スピーカーから聞こえてくるのは、淡々として悟りに満ちた、やわらかな男性の声。


『愛しいディアナ。これをおまえが聞くとき、わたしはもうこの世にはいないだろう』


「……パパの声だわ」

 ディアナがひとりごとのようにつぶやく。


『おまえを心から愛していたよ、ディアナ。だが、その目はいつか、娘としてではなく女としておまえを見るようになっていった。

 何度おまえの眠っているベッドにこっそり近づいたことだろう? 年ごとにおまえはナタリアそっくりになっていく。

 わたしは弱い人間だ……取り返しのつかないことをしてしまう前に、けじめをつけるよ。

 ここで、おまえと行くはずだった宇宙を眺めながら旅に出る。火星、木星、リギル・ケンタウルス、そして大マゼラン雲……。

 正直に言えば、ひとりで行くのは寂しい。でもおまえにはいつか、おまえにふさわしい運命の人が現れるから。花嫁のベールは、その人のためにとっておかないとね。

 さよなら、ディアナ。永遠に、おまえを愛してる』


 声が途切れても、ディアナはその場を動かなかった。開け放されたコクピットのドアから、緊急通信の入信を知らせるブザーが絶え間なく聞こえてくる。

「泣いていいんだぞ」

 アレックスが静かに声をかける。

「残される者のつらさは、俺にもよくわかる」

「……あなたにわかってほしくなんかないわ、ブローディ」

「イヒディナッスィラータルムスタキーム」

 サレムのつぶやきに、アレックスが不思議そうな目を向ける。

「〝われらを正しい道に導きたまえ〟という意味です」

「……アフラム、あなたはやっぱり人でなしね」

 ディアナはきっと顔を上げ、コクピットに向かった。

『ヴィジを許可して、ディアナ。顔を見せてちょうだい』

 スクリーンの上、懇願するナタリアの頬には涙が伝い、声には嗚咽がまじっている。

『話しあいましょう。やり直したいのよ』

 しかし、ディアナは耳を貸さなかった。

「遅いわ、ママ。すべて遅すぎる」

『ジョアンは生きてる。いまならまだやり直せるわ』

「無理よ。ママならわかるはず。ママはわたしだから……そうでしょう?」

 ナタリアは息をのみ、かすれた声で訊いた。

『ディアナ……知っていたの?』

 コクピットの入口で体を止めて、ディアナはスクリーンを振り返った。

「わたしはビットダイバーよ。DNAバンクのデータが書き換えられていることに気がつかないと思う? わたしはママのクローン。だからそっくりなのは当たり前」

 ディアナをのぞいて、その場にいた全員が息をのんだ。

「クローンだって?」

 アレックスが信じられないというようにつぶやく。

「ヒトクローンの臨床応用は、生殖倫理規定法で禁止されているはずです」

 厳しい口調でサレムが割り込む。

「ママはフローレスなのよ、アフラム。できないことはこの世にはないわ。わたしはそのナタリア・フローレスのクローンなの。だからパパはわたしをかわいがった。わたしを愛した。でも、結局パパは最後まで――わたしのなかのママを愛してたんだわ」

 ディアナはフォロディスクを勢いよくダストシュートに放りこんだ。

「自殺なんて……! これ以上の裏切りがある?」

『ネルソンの希望だったのよ。彼は……子供をつくれない体だったの。それでもわたしの子を欲しがった。ほかの男の遺伝子はいらないと言って……。それもあなたは知っているのね、きっと』

「知ってるわ。永遠にさよなら、ナタリア――もうひとりのわたし」

 ディアナはAIに命じて通信を切った。振り返り、響揮が目覚めたのに気づいて近づいてくる。

「三十じゃ足りなかったかしら。見かけによらず頑丈なのね」

「ディアナ――」

 響揮はようやく言葉を絞り出した。

「この船で大統領を追いかけるつもりなのか?」

「察しがいいわね。もう動けるの? ならもう一発お見舞いしてあげる。今度は三十五でどう?」

 楽しげに言って銃をかまえるディアナに、天音が声を張りあげる。

「やめてくれ、ディアナ! これ以上弟を傷つけるな! 撃つなら僕を撃て!」

 ディアナは銃口を天音に向け、撃つまねをしてみせた。くすっと笑って銃をスラックスのウエストにはさみ、ついとコクピットに向かう。

「本当に、きみとお母さんは似ているな。この船のエンジン制御システムには、きみが大統領専用船に仕掛けたのとは違うタイプのウイルスが仕掛けられている。気づいていたか?」

 ディアナは振り返って天音の顔を見つめ、一瞬のちに笑いだした。

「いったい誰が、なんて訊く必要もないわね。あの人はわたしだもの」

「時間がなくて発動条件はわからなかったが、この船の進路を地球に向けるのは危険だ。あきらめろ、ディアナ」

「あきらめる? わたしの辞書にそんな言葉はないわ」

 最高のジョークを聞いたとでも言いたげに、ディアナはあしらう。

「天音、わたしは死神なんでしょう? だったら期待に添わないとね」

 にこやかに告げる様子は楽しげでさえあった。彼女はコクピットに入り、ものの一分ほどで出てきてキャビンを見回した。

「自動操縦で地球へ向かうよう設定したわ。優しいナタリアのおかげで船が爆発するのかどうか、みなさんでたしかめてちょうだい。わたしはここでさよならよ。幸い、俊足で小回りのきく船がある。利用させてもらうわ、ブローディ」

「……俺のパトシップで追いかけるつもりか」

 アレックスは歯ぎしりした。

「大統領専用船には宇宙軍の護衛船団が張りついてるぞ。撃墜されるのがオチだ」

「行けるところまで行くわ」

 とんとコクピットのドアを手で押してキャビンを横切ると、ディアナは慣性がついたままシャンメイから響揮の体を抱きとり、通路に面したドアを開けた。まだ体の麻痺が解けない響揮は、抵抗もできずにキャビンから連れ出された。

「僕を連れていけ!」

 天音が叫び、窓枠の手すりから手錠をはずそうともがくが、手錠はかえって締まるだけでどうにもならない。

 ディアナが振り返り、冷たく言った。

「残念だけど天音、あなたは切り札にはならないのよ。もらっていくわ、あなたの大事な弟。わたしの邪魔をしたことを永遠に悔やんでなさい。シャンメイ、行くわよ」

「待てよ、ディアナ!」

 ドアが閉まり、天音の声は遮られる。

 薄暗い通路を漂いながら、ディアナはシャンメイにほほえんだ。

「いままでありがとう、シャンメイ。さっきあなたの銀行口座にお金を振り込んだわ。弟さんと妹さんを大事にね」

 耳から小さな真珠のピアスをはずし、シャンメイの手に握らせる。

「あなたにも似合うと思うわ」

「――ミス・ディアナ、わたしも行きます。連れていってください」

 潤んだ目を、シャンメイはピアスを握った手の甲でぬぐう。

「だめよ。あなたには弟と妹がいるわ。守ってあげるのがあなたの仕事。それに、わたしのための最後の仕事がある」

「最後の仕事?」

 エアロックの扉の前で体を止め、ディアナはコントロールパネルを示した。

「わたしたちがパトシップに入ったら、エアロックを封鎖してドッキングを解除してちょうだい。片方だけで強制解除すると、ドッキングベイが傷むから」

 シャンメイは悲しげな顔でうなずく。

「……わかりました、ミス・ディアナ」

「それとね……」

 ディアナは付き人の少女の耳になにかささやくと、「いいわね?」と少女の顔をのぞきこんで念を押した。

 またこくりとうなずいて、シャンメイはエアロックに入るディアナと響揮を見送った。


      *      *


「予備のキーを持ってないってどういうことだよ、サレム?」

「ちょっと計算が狂ったんですよ、そういうことはよくあるでしょ?」

「そもそもだ、おまえがこんな危険物を持ちだすから厄介なことに――」

「過去の失敗を蒸し返して部下を責めてると、部下がいじけますよ?」

「いじけるようなタマか。だいたいな、おまえがあいつに歩き回っていいなんて言うから――」

「それを言うなら、特攻するなんて主任があの子に言ったのが悪いんです」

「俺は言ってない! あいつが勝手に――」

「あーもう、ふたりとももう少し真剣になれないのか?」

 いらだった口調で、窓際にいる天音が遮った。

「ののしりあって問題が解決するなら、裁判所はいらないよ」

 アレックスとサレムは同時に、天音をきっとにらむ。

「このうえなく真剣だよ、俺は」

「そもそも十五歳の男女をふたりだけで旅行に行かせたのが問題で――」

 アレックスがあわてて部下の口をふさいだ。

「ジュラ紀のモラルを人に押しつけんなよ、恥ずかしいったら」

「ジュラ紀には人類いませんよ、そんなことくらいチンパンジーだって知ってます」

「知らないだろ、チンパンジーは」

「あーもう、話をそらすなよ。問題はどうすればこれをはずせるかってことだろう?」

 天音は窓枠の手すりにつながれている手錠をもどかしげに鳴らす。

「早くディアナを止めないと響揮が危ない」

「……1022号には遙香も乗ってる」

 アレックスの言葉に、天音は青ざめた。

「なんだって? どうして――」

「あそこがいちばん安全だと思ったんだ。遙香には緊急脱出ポッドを使えと念を押しておいたが、ひとりで使ってくれるかな」

「遙香は責任感の強い子だ。たぶん響揮を助けようとするだろう」

「……だよな」

 アレックスは息を吐いた。

「結局、類は友を呼ぶ、だ。パトシップの盗難防止システムも、ディアナが相手じゃ役に立たんだろうし……どうすれば1022号を止められるかな」

「まずは僕らが自由にならないと。このままだと、僕らも船と一緒にデブリになってしまう」

「まあ、いまごろ宇宙省の特殊部隊が喜々として突入の準備をしてるでしょうけどね。ディアナはご丁寧に通信回線全部切っていきましたから。緊急救難信号を発して一切の応答を絶った豪華プライベートシップ。救助成功なら広報部にもおいしいネタです」

 サレムは言って、肩をすくめる。

「船が粉々になってしまえば、特殊部隊の代わりにデブリクリーナーが来るわけですが」

「俺もとうとう生体ゴミになるのか。ぞっとしないな」

 憂鬱な顔でアレックスが言う。

「乗ってたのが俺たちだったってわかったときの部長の顔、想像すると萎える」

「噴火しますね、確実に」

「噴火……? そうだ、ムスマン! 奴は1022号がこの船とドッキングしたのを知ってるぞ」

「ムスマンならドッキング解除したのも追跡してますね、きっと」

 サレムの顔が明るくなる。アレックスはうなずいた。

「追いかけてくれてるといいが。響揮と遙香だけはなんとか無事に帰してやりたい」

 そのとき通路に通じるドアが開き、すっとシャンメイが入ってきた。

「シャンメイ! 脱出したんじゃなかったのか?」

 天音が窓際から問いかけると、シャンメイは無表情な顔で首を振った。

「ミス・ディアナから最後の仕事をまかされたので」

 短いチャイナドレスの裾をめくり、スパッツのウエストから銃を抜く。銃口を天音に向け、照準のポイントを額に定める。

 天音は息をのんだ。BGMも警告アナウンスも消えたキャビンに、ハエの羽音のようなかすかな空調の音が響いている。

「〝さよなら、天音〟」

 瞬間、ぎゅっと目を閉じた天音だったが、衝撃が襲ってこないのに気づき、まぶたを上げる。

 シャンメイの顔はあいかわらず無表情で、手には手錠のキーが握られていた。

「〝残される者のつらさを味わいなさい〟。そう伝えろと言われたわ」

 天音は顎を引き、奥歯を噛みしめた。

「あくまで響揮を道連れにするつもりなのか」

 壁を押して天音のそばに飛ぶと、シャンメイは慣れた身のこなしで窓枠の手すりをつかんで体の向きを変え、天音の手首から手錠をはずした。手すりを押し離してキャビンを横切り、アレックスとサレムをつないでいた電子手錠もはずす。

 意外だという調子をあらわに、アレックスが問いかける。

「ディアナは俺たちをデブリにする気満々だったようだが。どういう風の吹き回しだ?」

「あなた方を解放しろと、命じられたわけではないの」

 目を伏せて、シャンメイは答える。

「これは……わたしの一存」

 そっと耳元に手をやり、真珠のピアスに触れる。

「ディアナに逆らうのか? おまえさんが?」

「わたし……ミス・ディアナに、生きていてほしい。助けたいの」

 きっと目を上げて、シャンメイはアレックスを見つめた。

「いつもわたしや弟、妹のことを気にかけてくださった。わたしには大切な方なんです」

 その顔はもう、意思のない機械人形のものではなかった。

「わかった」

 アレックスはうなずいた。

「これから通信システムを再起動してディアナに通信を送る。……呼びかけてくれ。おまえさんの大切な人に、戻ってこいと」

 サレムはすでにディジフレームに取りつき、ムスマンと連絡をとろうと試みている。

 天音はコクピットに入り、ディスプレイをにらんだ。

「自動航行システムにロックがかけられてる。パスワードを探るのに時間がかかりそうだ」

 アレックスはシャンメイを見る。

「パスワードを知らないか? 知らないよな――」

「知ってるわ」

 きっぱりと、シャンメイが答えた。

「〝マゼランの花嫁〟よ」

 ポルトガルの英雄の名を冠した星雲に、ディアナはどれほどの思いを抱いていたのか。アレックスは隕石の衝突痕に覆われた月の南極を脳裏に描いた。冷たいクレーターの底、銀河を見あげて命を絶った男の罪の深さを思う。

 男の目に最後に映っていたのは、彼方に星のベールを広げる大マゼラン雲だろうか? それとも愛した娘の花嫁姿だろうか。

 答えはもう、誰にもわからない。


      *      *


 シャンメイの姿がドアに遮られて見えなくなると、響揮は自分の腕をとらえているディアナを見あげた。

「強制解除でドッキングベイが傷むなんて、はじめて聞いたよ」

「わたしもよ」

 ディアナは軽く首をかしげる。

「そうでも言わないと、最後までついてきそうだもの」

「シャンメイをだましたのか?」

「あの子は……よく尽くしてくれたから」

 パトシップに入ると、ディアナはてきぱきとエアロックを閉じ、二重の扉をロックして気密を確認し、ドッキングを解除した。響揮の体を副操縦席に押しつけ、シートベルトで固定する。

「でもあなたには最後までつきあってもらうわ。わたしは行けるところまで行くつもり。人質がいればぎりぎりまで近づける。それが子供なら――大統領の暗殺を阻止したヒーローならなおさら」

「無駄だよ。子供ひとりと連邦大統領の命なんて、比較の対象にもならない」

 響揮はようやく麻痺の解けてきた手を動かしてみた。だが手首にはめられているのは例の電子手錠だ。うかつには動かせない。

「撃墜されるならそれでもいいわ。命の恩人を犠牲にした大統領なんて、市民が支持すると思う? ロシュフォードは終わりよ」

 操縦席についたディアナは、よどみなく発進準備を進めていく。パトロールシップにはパイロットを個体認識して盗難を防ぐシステムが備えられている。だが連邦所属のクロスネットオペレーターであるディアナにとって、その程度は障害にはならない。

「そこまでしてロシュフォードを失脚させることに、なんの意味があるんだ? フローレスの家名にも傷がつく。ナタリアは……クローンかもしれないけど、あなたを育てた母親だろう? 悲しませるのがそんなに楽しいのか?」

 あきれたというふうに、ディアナはため息をついた。

「天音に聞いたでしょう? ナタリアはわたしの船にウイルスを仕込んで、わたしを殺そうとしていたのよ。わたしが死んでも悲しんだりしない。母親? あの人こそ死神だわ」

「でも……ナタリアは泣いてたよ。愛してなければ、あなたのために泣いたりしないだろ」

 ディアナは苦笑した。大統領専用船に追いつくための速度と時間を計算し、燃料の残量を確認する。エンジンが点火すると、軽い加速のGによって体がシートに押しつけられた。

「男ってばかね。女が泣けば簡単にだまされる」

「だって……男は女の子を泣かせちゃいけないんだ、絶対に」

「笑わせないでよ。そんな考え方、古くさすぎてギャグにもならない。それに、いまそんなことをまじめくさって言うべき状況なの?」

 操縦席から身を乗り出したディアナが、間近から響揮の顔をのぞきこむ。

「でも……そういうところにわたしは……惹かれてしまうのかもしれない。きみも天音も、家族にたっぷり愛されて育ったから。わたしには決して手に入れられないものを持っているから、欲しくなってしまうのかもしれない。奪いたくなってしまうのかもしれない」

 手を伸ばして響揮の頬を包み、引き寄せる。

「ディアナ――」

 重ねられた唇のあたたかさは、生の証明。

 ディアナには何度も殺されかけているというのに、拒めない自分が響揮は信じられなかった。いまだって勝ち目のない戦の道連れにされようとしているのに。

 頭の奥がしびれて、なにも考えられなくなる。

 やがて吐息とともに、ディアナの唇が離れた。エメラルドの瞳があたたかな輝きで満たされる。

「……十年遅く生まれてくればよかったわ。ただの女の子としてきみに会いたかった」

「ディアナ、考え直せないのか? いまならまだ引き返せる」

 一瞬、ディアナの瞳に逡巡がよぎる。だがすぐに彼女は、それを振り切るように首を振った。

 そのとき。

「響揮から離れなさい!」

 突然、コクピットの後方から声がして、響揮は驚きとともに振り返った。

「遙香!?」

 ショックパルス銃をかまえた遙香が、コクピットの入口からディアナを狙っていた。彼女は一瞬目を閉じ、トリガーを引いた。しかし。

「……あ、あれ?」

 あわててトリガーを何度も引くが、ショックパルスが発射される気配はない。

「遙香、安全装置!」

 響揮は教えたが、そもそも安全装置とはなにかも遙香は知らない可能性が高い。アレックスが置いていった銃を見つけて手にとったのだろうが、とんだ計算違いだ。

 あきれたようなため息をもらし、ディアナがシートベルトをはずして遙香のもとに飛んだ。

「遙香、逃げろ!」

 そうは言ったものの、こんな狭いパトシップのなかで逃げる場所などありはしない。響揮はシートベルトをはずそうともがいたが、うっかり電子手錠のワイヤーを引いて電撃に見舞われ、失神しそうになった。

 ディアナが遙香の手から銃をもぎとり、銃口を遙香に向けた。安全装置をはずし、赤いポイントを遙香の胸に当てる。

「危ないおもちゃにはさわらないほうがいいわよ、怪我するから。あなた、また記憶が戻ったのね? まあ、もうどうでもいいわ。わたしの邪魔をしないでいてくれれば」

 遙香はひるまず言い返す。

「あなたこそ、あたしの邪魔をしないで。あたしは響揮と一緒に帰るんだから」

 すいとディアナは背中からコクピットの前方へ下がり、副操縦席のシートに手をかけた。

「残念ね、彼はもうわたしのものよ」

 手を伸ばして響揮の顎をすくいあげ、キスしてみせる。響揮は電撃のショックで体に力が入らず、抵抗できなかった。

「やめて! 響揮にさわらないで!」

 悲鳴のような声とともに閃光弾が炸裂し、コクピットが真っ白な光に包まれる。予想外のことに、今度は響揮もまともに閃光を見てしまった。目の奥が焼かれるようでいて痛みはなく、視界がただ一面にメタリックなグレーに染まる。

「響揮、行くよ!」

 遙香の声とともにシートベルトがはずされ、宙を引いていかれて、どこか狭い空間に押し込まれた。拘束された腕が押しつけられた壁はゆるくカーブしている。

「遙香、ここは――」

「響揮、足ひっこめて。ハッチ閉じるよ!」

「待ちなさい、遙香!」

 うっすらとよみがえってきた響揮の視界に、ハッチに迫ってくるディアナの姿が映った。

「しつこいわね……!」

 遙香が手にした円筒のピンを抜き、投げつける。宙で破裂した円筒からねばつく繊維のネットが広がり、ディアナの上半身にからみついた。はがそうとする手にもべったりと張りついて動きが鈍る。

 ディアナの鼻先で、遙香はハッチを閉めた。もう一枚、内側のハッチを閉じて気密を確認する。背後の壁に設置された生命維持システムを作動させ、正常に動くことをたしかめて、予備の酸素パックと非常用食料、水の入ったバッグを壁際のラックにとめる。外部カメラの映像を表示する小さなスクリーンのスイッチを入れ、動作をチェック。

 アクション映画のヒロインばりに動く遙香はまるで知らない人のようで、響揮はただあっけにとられて眺めていた。

 と、遙香がこちらに顔を向けた。

「響揮、行くよ?」

 緊張した表情のなかに、凜とした決意が見える。

「うん」

 響揮はほほえみ、うなずいた。

 泣き虫なくせに、いざとなると誰より強い。それが、響揮が恋した少女なのだった。

 遙香は天井のカバーをはずし、赤いレバーを引いた。


      *      *


 緊急脱出ポッドが離れていくのを確認して、ディアナは口元に苦い笑みを浮かべた。反転して追うことはできる。でもそうすると大統領専用船を追いかける燃料が足りなくなる。

「ネット弾なんて、女には最悪の武器ね。メイクが落ちてしまうじゃない」

 つぶやき、べたべたした繊維をタオルにからめて落としながら、ディアナはディスプレイを眺めた。進行方向を映したカメラの映像には、半分の地球が映っている。

 通信が続々と入ってくる。UCCI、管制センター、そしてエンデュミオン号。

 応じるつもりはなかったのに、指が自然に動いてしまった。エンデュミオン号は爆破されなかったのだろうか? ナタリア――母には、自分を殺すつもりはなかったのかもしれない。

 回線を開くと、ブローディの声が聞こえてきた。映像は敢えて消した。さっき一瞬とらわれそうになった弱気の虫が怖かった。

『ディアナ、俺たちはこれからルナホープに戻る。エンデュミオン号のエンジン制御システムに仕掛けられていたウイルスは、天音が除去したよ』

 ディアナは自分をあざ笑う。ナタリアはわたしだ。どこまでも冷たい女。だからこそ、女帝として経済界に君臨できる。同じDNAを持つ双生児には得難い絆があるらしいのに、クローンにあるのはただ反発だけだった。

「どうやって手錠をはずしたの? 超能力でも使った?」

『わたしです……ミス・ディアナ。すみません、でも……あなたを説得したくて』

「シャンメイ」

 不思議に、裏切られたという気はしなかった。ディアナはため息まじりにほほえむ。忠実でけなげな少女を、ディアナはいつしか妹のように思っていた。

「よかったわ、最後にあなたの声が聞けて」

『ミス・ディアナ、わたし……もう一度あなたに会いたい。お願いです、戻ってきてください……』

 あとはただ嗚咽になった。いつも感情を表に出さないシャンメイが泣くのを、ディアナははじめて聞いた。胸がなぜか熱くなり、言葉が震えないうちに急いで言う。

「ありがとう、シャンメイ。……さよなら」

 ディアナは通信を切った。耳元に指をやり、主を失ったピアスの穴を撫でる。

 ひとりぼっちだ。でも寂しいとは思わない。思いたくない。

 そう、父親と同じように旅立つだけだ。

 人は結局ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。なぜ悲しむことがあるだろう?

 燃料の残りを再計算し、ディアナは船の速度を上げる。


      *      *


 射出された緊急脱出ポッドには、すぐにUCCIのパトシップから回収に向かっていると通信が入った。アレックスのパトシップを追跡していた僚船が駆けつけてくれるようだ。エンデュミオン号も無事でルナホープ宇宙港に戻ったと知らされ、響揮はほっとした。

 ちょっと気持ちに余裕ができたところで、改めて周囲を見まわす。

「パトシップの緊急脱出ポッドって、こういう構造だったのか……」

 響揮はつぶやいた。感心したわけではなかった。トランクルームと兼用って、ほんとに緊急時に役に立つのかよ、と内心で突っ込んだだけだ。いったい定員は何人なんだ?

 内部は直径一・五メートル、高さ二メートルほどの狭い円筒だ。そこに備品が納められているので、空間はさらに狭く、ふたり入れば体が自然に触れあってしまう。

「アレックスなんかひとりでも入れないかも」

「響揮を助けてくれた人ね? あたしその人に、ここを守ってろって言われたのよ」

「アレックスに?」

 遙香はうなずいた。

「必要になるかもしれないから、使えるようにしておけって」

「じゃあまた助けられたんだな、ラッキーカラーに。助けられてばかりだ。俺はほんとに、ひとりじゃなにもできないってことだな」

 響揮は苦笑して右足を持ちあげた。ブーツを脱ごうとするが、後ろ手にかけられた電子手錠を気にしているせいで、なかなかうまくいかない。

「なにしてるの?」

「ああ、ブーツのなかに手錠のキーが入ってるんだ。取ってもらえる?」

 なんでそんなところに、と言いながら遙香はキーを取り、響揮の手錠をはずした。

 ようやく両手が自由になり、響揮は息をつく。

「サレムが――俺がさんざん振り回した捜査局の人が、こっそり入れてくれたんだ」

 足首にまで手錠をかけたのは、脱出の手段を響揮に与えるためだった。キーを手錠のスリットに通しながら、サレムはカメラの死角で予備のキーを響揮のブーツのなかに押し込んだ。その時点で、サレムの態度が豹変したのは演技だったのだと響揮は悟った。しかし正直、電子手錠はもう勘弁だ。凶悪犯としてUCCIに逮捕されるような事態にだけは陥るまい。

「響揮、これ……」

 遙香がTシャツの下からペンダントを引き出し、首からはずした。

「響揮があたしに買ってくれたものよね? 裏にあたしの名前と誕生日がある」

 無重力の空間で、ペンダントはふわふわと浮かび、銀のヘッドと月光の石がくるりと回る。

 ことの発端はこのペンダントだったと、響揮は考えた。あの六月はじめの日曜日。いまとなっては遠い昔に思える蒸し暑い午後。

「ディアナが返してくれたのよ。だからあたしは、記憶消去を受けても響揮のことを思い出せた。……たぶんあの人は、ほんとは悪い人じゃない。もちろん許せはしないけど」

「……そうかもな。俺も……認められはしないけど」

 ディアナの思いも、いまならほんの少しだけわかる気がした。彼女の求めていたもの、目指していたところ。

「これね、ちゃんと響揮からもらいたいの。……かけてくれる?」

「ああ。もう誕生日の当日だしな」

 無重力ではペンダントをかけるのは難しい。遙香の首の後ろに回した手がふとしたはずみでうなじに触れると、彼女は頬を赤らめた。

「ハッピーバースデー、遙香」

「ありがと、響揮。すごくうれしい。渚沙にもお礼言わないとね」

「知ってたのか」

「推測だけどね。だって響揮が誕生石なんて知ってるわけないもん」

 宙に浮かぶ銀色の月をしばらく眺めてから、遙香は目を伏せ、響揮の胸にしがみついてきた。

「……心臓の音だ。響揮、本物の響揮だよね? 生きてるんだよね? 殺されてしまったんじゃないかって、もう二度と会えないんじゃないかって……怖くてたまらなかった」

「……生きてるよ」

 響揮はそっと遙香の体に腕を回し、抱きしめた。遙香はふんわりとやわらかくてあたたかく、シャンプーの香りがする。

「……キスして、響揮」

「えっ?」

 思わず声が裏返った。

「もう、二度言わせるつもり?」

 遙香は両手で響揮の顔をはさんで引き寄せ、唇を重ねた。

 やわらかな唇が押しつけられ、響揮の頭は真っ白になる。触れただけの最初のキスとも、あこがれと後悔のまじったディアナのキスともまるで違う。熱いものが胸の奥で爆発し、全身がちりちりとしたうずきに包まれる。響揮は目を閉じ、遙香を抱きしめる腕に力をこめた。

 いったいどのくらいの時間だったのか。ふと目を開けるとすでに唇は離れていて、正面には遙香のはにかんだ顔があった。

「消毒」

 つぶやくように遙香が言う。

「え、なに?」

「なんでもない! ねえ、真夏に告白されてうれしかった?」

 響揮は狼狽し、しどろもどろに返す。

「な、なんだよいきなり……こんなときにする質問なのか?」

「だって気になって仕方ないんだもん。まだはっきり答えてもらってないって真夏は言ってた。そうなの?」

「それは木田が……その、遙香に俺を意識させるために言ったんだと思う。木田は俺が遙香を好きだって知ってたから」

「うそっっ!」

「……たぶん、知らなかったのは遙香だけだ」

 ほんとに、救いようのない鈍さだ。そんなところも遙香らしいと、響揮は苦笑する。

 遙香はため息をついた。

「あたし……ほんとばかだった。真夏に謝らなきゃ」

 首をちょっとかしげてほほえんだ。

「それからお礼も言わないとね」


      *      *


 やがてパトシップに救助されたふたりは、UCCIや宇宙軍が使う公用宇宙港に下ろされ、いかめしい護送車でセントラル地区にあるUCCIのオフィスに送られた。

 応接室のソファに腰を下ろすと、ほどなくアレックスとサレムが来て、それぞれふたりを抱きしめた。

「大活躍だったね、遙香。よく響揮を連れて帰ってくれた」

 抱擁をとくと、アレックスは遙香の頭を撫でた。遙香が頬を染める。

「あたし、ただ夢中で……」

「いい度胸をしてる。局にスカウトしたいくらいだよ」

「兄貴は?」

 響揮の問いに、サレムが答える。

「病院に強制送還。天音は三日も仮死催眠に入ってましたから、精密検査が必要なんです。きみにもこれから病院に行ってもらいますよ」

「俺はぴんぴんしてるだろ。兄貴だっていつもと変わらないふうに見えたけど」

 サレムは首を振った。

「本来なら、天音はもっと衰弱していてもおかしくないんです。エンデュミオン号の個室にモニターやら点滴やらがそろえてありました。天音は看護されてたんですよ」

 アレックスが感慨深げにつぶやく。

「彼女、本当に天音に惚れてたんだな」

「……ディアナが本当に愛してたのは、お父さんだけだったと思うよ」

 響揮の言葉に、三人の目が響揮に集中した。

「おまえから恋愛講義を聞かされるとはね」とアレックス。

 遙香は憤慨した口調だ。

「あの人は響揮にも気があったのよ」

 サレムはただうなずいた。

「脳が疲れているようですね、サムライボーイ。ストロベリー味のゼリーを試してみますか?」

「俺を殺す気? 肘鉄の仕返しはもう十分しただろ?」

 響揮はポケットから電子手錠のキーを取り、サレムに返した。

「裏切ったふりして手錠のキーを靴のなかに入れるの、『ハル&レイ』のシーズン3でやってたよね。すっかりだまされた」

 サレムはにやりとした。

「真に迫ってたでしょ。というか、演技でもなく本音でやればよかったし、楽でしたよ」

「……以後、あなたを怒らせないように注意するよ」

「なんだ、おまえも『ハル&レイ』みたいなファンタジー刑事ドラマを観てたのか。意外だな」

 アレックスが茶化すように言うと、サレムは胸を張った。

「僕は柔軟なんですよ」

「あーはいはい。そろそろお祈りの時間じゃないのか、サレム?」

 そのとき、アレックスのマイティフォンが鳴った。

「ブローディだ。……そうか」

 たったひと言だけで通話を切り、アレックスは三人の顔をぐるりと見た。

「1022号が宇宙軍の護衛船に撃墜された」

「……マアッサラーム(平穏を)、ディアナ」

 サレムがつぶやいた。静かに続くアラビア語の祈りの言葉が部屋を満たす。

「彼女らしい最期、と言えるんだろうな」

 アレックスは自分を納得させるかのように言い、窓のほうに顔を向けた。ガラスの向こうに広がるのはオフィス街で、空は見えない。

 ひとりで寂しくはないだろうかと、響揮は考える。


 ディアナは美しくて、残酷で、孤独な女神だった。


      *      *


 視界には、幾万の星々を抱く漆黒の闇が広がっている。真空の宇宙で生身の人間が生きられるのはわずか数分だ。

 大マゼラン雲はどこだろう?

 もう探すこともかなわず、ディアナは幼い日にサンパウロの屋敷から眺めた星空を脳裏に映す。

 十六万年かけてかの星雲から届いた光は、銀河の腕のそばで花嫁のベールのように淡くたたずみ、はるかな夢の航路へと彼女を誘っていた。

 火星で青い夕焼けを見てから、木星へ向かう。太陽系をあとにして、四・二光年先のリギル・ケンタウルスへ。そして船は銀河系を離れ、数百億の星々がひしめく大マゼラン銀河へと舵を切る。

 そこならきっと、手を伸ばせば星がつかめるに違いない。

 すうっと目からあふれた涙は、宙を漂う間もなく蒸発してしまう。唇がわずかに動き、最後の言葉をつむぎだす。

 けれども、声を伝える空気は、ここにはなかった。


      *      *


 その日の午後。

 ルナホープ宇宙港の到着ロビーで、響揮たちは両親を出迎えた。

「やあ、父さん母さん、久しぶり」

 天音ににっこり笑いかけられて、両親はぽかんと口を開けた。

「天音!」

「えぇ? なんで天音が月にいるのぉ!?」

 報道規制が続いているため、両親は昨夜の事件のことをまだ知らされていない。だが、規制が解除されても事件は公にはならないと、響揮にはわかっていた。被疑者死亡でこの件は終わりだ。

「休暇がとれたんだよ」

 さらりと天音が答える。

「それより疲れただろう? 到着がかなり遅れたから。まずホテルに行って少し休む?」

「ううん、遅れた分を取り戻さなきゃ!」

 憤慨した顔で真城子がまくしたてる。

「こちとらたった四日しかいられないってのに、五時間も遅れるなんてひどいと思わない? 航路上で事故とか事件とかがあったってだけで、細かい説明はいっさいなし。通信規制でマイティフォンも使えないし。もう、ほんと大迷惑っ! 慰謝料請求したいわ!」

「響揮や遙香ちゃんとも連絡がとれなくて、どうなるかと思ったよ」

 佑司は心底安心したように息を吐く。

「僕とマキちゃんだけじゃ、ルナホープで絶対迷うだろうしね」

 響揮と遙香、天音は顔を見合わせ、苦笑した。

「じゃあ急ぎましょ。氷の海遊覧ツアーがもうじき出るから。ネクサスホールのBゲートよ」

 先に立って歩きだした遙香を見て、佑司が不思議そうな顔を響揮に向けた。

「ふたりは今日、宇宙遊泳ツアーじゃなかったのかい?」

 響揮は肩をすくめた。

「それはもう、十分すぎるほど堪能したよ」


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