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潜 -Lurk- 2

数日後―――。




「はぁ~…。」


紗衣は声に出して、大きなため息をつく。


そこは某ホテルの食事会場。

先ほどまで行われていた学会も終了し、参加していた学者達と立食パーティーが行われている。


(結局、ネイト来ないじゃん…。)


紗衣は一人、出入り口の傍で壁にもたれかかったまま会場を眺める。


自分の成果を自慢げに語る学者たち。

その周りで、媚を売るように群がるのも学者たち…。


(…アホらし。)


紗衣は、もう一度ため息をつくと近くを通りかかったウェイターのトレーからワインを取る。

一気に飲み干し、空いたグラスを見つめる。


「強いんですね?」


紗衣は、急に降ってきた声に振り返る。

そこには、柔らかい笑みを浮かべた優しそうな男が立っている。


「もう一杯、いかがですか?」


その男は微笑みながら、紗衣の前に新しいグラスを差し出した。


「五十嵐さん…。」


紗衣は男の名を呼ぶが、グラスを受け取ろうとはしない。


「紗衣さん?」


不思議そうに紗衣に首をかしげる五十嵐。


「……ソレ…。」


そう言って、紗衣は五十嵐の持つグラスを指さす。




「五十嵐さん、飲めます?」




紗衣は、いかにもと言わんばかりに訝しげに五十嵐を見る。


「やだなー、紗衣さん。何を言っているんですかぁー?」


はははと笑っている五十嵐の台詞は棒読みだ…。


紗衣は、五十嵐からグラスを奪い取るとツカツカとテーブルへ近づく。

料理の並んだ皿を見渡すと、サラダの中から紫色のキャベツをつまむ。


そして、そのままワインのグラスの中へ…。



ピチャッ―――…



すると、紫だったはずのキャベツの葉が徐々に怪しげな青に変わる…。


「…。」

「…。」


二人の間に沈黙が流れる…。


「五十嵐さん…。」


紗衣はワインの入ったグラスを見つめながら五十嵐を呼ぶ。


「あははは…はぃー…。」


五十嵐の表情は引きつった笑顔を浮かべながら紗衣へ近づく。


「コレ…赤ワインですよね?」


そう言って、紗衣はグラスを五十嵐に突きつける。


「んー…そうですねぇ…。僕にはそう見えますが…。」

「じゃあ、飲めますよね?」


紗衣は五十嵐の言葉を遮って一歩近づく。

その紗衣の表情はキツイ言い方とは反対に満面の笑みを浮かべている。


「あのー…紗衣…さん…。落ち着いて…。」


「五十嵐さん!あなた仮にも医者でしょう!?何を飲まそうとしたんですか!?」


紗衣は五十嵐に詰め寄ると、声を荒げる。


いやいやと笑うこの男、五十嵐(いがらし) (りく)


彼とは、ある医学会で、大学時代お世話になっていた教授から紹介されて知り合った。

それ以来、学会があるとたまに顔を合わす程度の仲。

彼は、小さいながらも小児科を経営する医院長。

背も高く、スラッとしていて愛想も良い。もちろん腕も申し分ない。

そしてその優しい微笑みは、子供たちも、その両親たちをも男女を問わず魅了する。


「いやいや、それは、ちょっと・・・・改良された栄養剤ですよ。

紗衣さん、気分がすぐれなさそうだったから…ね?」


(シャレになんねー…。)


ニッコリと笑う五十嵐に、紗衣は呆れながら、


「信じらんない…。こんなもん飲まして、どうする気よ?

患者さんが聞いたら、泣くわね。」


そう言って、グラスのワインを持ったまま五十嵐の横をすり抜ける。


「どうって……いやだなぁ…だから紗衣さんと、あぁして、こぅして………。

あっ!紗衣さん!!何処行くんですか?」


妄想に耽っていた五十嵐は、慌てて紗衣の後を追う。


「捨てに行くのよ!

こんなもん間違って誰か飲んじゃったら、責任とれないでしょうが!」


「紗衣さんが飲んでくれるなら、責任は僕が取りますからぁ~。

身体に悪いモノは入ってませんし…大丈夫ですから一口だけでも飲んでみてくださいよぉ。

せっかく調剤したのに…。」


(コイツ…まだ言うか。)


紗衣は振り返らないまま、会場を後にした。





「まったく…。」


ホテルからの帰り道。

紗衣は、五十嵐と共に駅へ向かう。


「紗衣さん。いつまでも怒っていたら、可愛い顔が台無しですよ?」


「誰のせいよ?」


ギロッと五十嵐を睨み付けると、紗衣は少し歩くペースを速めた。


「どうして…。」


「?」


紗衣に追いつきながら、五十嵐が呟いた。


「どうして、今日はそんなに機嫌が悪いんですか?」


その言葉に、紗衣の脳裏に過ぎるのはネイト。


「…あんたには、関係ない。」


五十嵐の方を見ないまま、紗衣はスタスタと歩く。


「『彼』…ですか?」


「!!」


紗衣は咄嗟に五十嵐へ振り返る。

だが、次の瞬間、五十嵐の言葉に反応してしまった自分に気付き、しまったという顔をして視線を逸らす。


「紗衣さんは、正直ですね。」


五十嵐はネイトの存在を知っている。ネイトが悪魔であるという事実を除いては…。

話したところで、普通の人間には理解してもらえないということが、紗衣には痛いほどわかっていた。

だが、普通の人間でも目視できてしまうネイトの存在は、その容姿だけでも十分に目立つ。

当然、紗衣の周りの女たちはネイトに興味を持ち、男たちは訝しむ。


「紗衣さん…何度もしつこいかもしれませんが…。」


五十嵐は、紗衣に近づくと、そっと頬に触れる。


「僕じゃ………ダメ…なんでしょうか…?」


ただ学会で顔を合わす程度の仲…。

それは、五十嵐に対する紗衣の気持ち。


だが、五十嵐は違う。


紗衣は、五十嵐の手を握るとグッと押し返す。


「言ってんじゃん…。ダメだって…。」


紗衣は、そう呟いた後、顔を伏せた。

五十嵐は切ない表情を見せると、大きく息を吸って一言。


「よし!」


「!!」


突然の大声に、二人の周りを歩いていた人たちが、一斉に振り返る。


「ちょ…ちょっと!」


紗衣は顔を上げると、そのまま五十嵐の手を引き人ごみから離れていく。


「何考えてんのよ?やめてよ…。」


「ははは…すみません。」


そう言って、見つめ合った二人は、どちらからともなく笑い出す。


「プ…ふふふ…。」

「は…あはは…。」


紗衣は、笑いながら目に溜まった涙を拭う。


「ヤバイ…クククッ…止まんなくなってきた…。」


五十嵐も、あははと笑いながら、今度は紗衣の頭に手を伸ばす。

そして、紗衣の髪をゆっくりと撫でる。


「やっと、笑ってくれましたね。」


「え?」


五十嵐の言葉に、紗衣は顔を上げる。

五十嵐は、紗衣に向かってゆっくり微笑む。


ドキン…。


その笑顔に、紗衣は少し動揺する。

だが、五十嵐はそれに気づかない様子で紗衣から離れると、


「やっぱり紗衣さんは、笑ってる方が可愛いですよ?」


そう言うと、帰りましょうか?と駅へ向かって歩き出す。


(あたし…何やってんだろ…。)


紗衣は、ふぅっと息を吐くと五十嵐に追いつくように少し走る。


「待ってよ。」


五十嵐は、隣に並ぶ紗衣を見ながら声をかける。


「僕…諦めませんから。」


「五十嵐さん…。」


五十嵐はニコッと微笑むと、前を向いて歩き出す。

紗衣も、それ以上は何も言わず、二人は駅までの道を無言で歩いた。







駅に着くと、紗衣は見覚えのある人影に気付く。


「…ネイト!」


ネイトは駅へ向かって歩いてくる二人の姿を見つめながら近づいてきていた。


「遅かったですね。」


何事もなかったかのように話しかけるネイト。


「…何しに来たの?」


紗衣は少し怒ったように、視線を合わせないままネイトに問いかけた。


「紗衣を迎えに来たんです。」


ネイトは、尚も当然のように答えるが、紗衣は黙ってしまう。

その様子を黙って見ていた五十嵐が、二人の間に割って入る。


「紗衣さん。僕はこれで失礼しますね。」


「五十嵐さん…。あ…はい…。」


五十嵐はネイトへ向き直る。


「…。」


五十嵐は黙ってネイトを睨み付けるが、ネイトは笑顔を向けると片手を差し出す。


「五十嵐さん…でしたね?

いつも紗衣がお世話になっています。」


すると五十嵐もニコッと笑い、差し出された手を握り返す。


「とんでもない。紗衣さんのお世話なら、僕はいつでも喜んで。

何でしたら、このままご自宅までお送りしてもかまいませんよ。ネイトさん。」



…………



二人は、笑顔のまま握り合った手を離さない。


「ちょっと…二人とも!」


紗衣は、慌てて二人の手を引き離す。


「ネイト!何やってんのよ?

五十嵐さんも、今日はお疲れ様でした! 送ってくれて、ありがとうございます!!」


では、と早口で言うと、紗衣はネイトの腕を引っ張っていく。


「五十嵐さん! 気を付けて帰ってくださいねー!」


少し振り返った紗衣がそう言うと、二人は雑踏の中へ消えて行った―――。




一人残った五十嵐は、今日一番の大きなため息。


「…いい加減、連絡先くらい教えてくれてもいいんじゃないかなぁ…。」


二人が去って行った跡を見送りながら、ポケットから携帯を取り出す。

ディスプレイを見ると着信のランプが光っていた。


ピッピッ…。


着信の名前を確かめると、リダイヤルのボタンを押す。


「…あ、秋月?

悪い、学会だったから気付かなかった…。」


そして、彼もまた…

駅のホームに背を向けると、雑踏の中へ消えていく―――。








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