逢 -Meets- 1
何処までも続く深い闇―――
今、自分が立っているのかも…
声をだしているのかも、わからない…
ただ只管に…彷徨い続ける―――
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「…気が付きましたか?」
男の声が聞こえる。
睫毛の向こうにぼんやりとした景色が映る。
あの冷たい牢獄での生活から数日―――。
私は、別の部屋へ移された。
そこは牢獄とは違い、落ち着いた色で統一された綺麗な部屋。
温かいベッドと、大きな窓から光が射し込む。
ふと鼻についた香ばしい匂い。
食欲をそそる甘い香りと共に、部屋の中を漂っている。
「今朝は、焼き立てのクロワッサンを用意しましたよ。
エスプレッソはお好きですか?」
ふふっと笑う男の声。
この部屋に移ってから、食事を一人で取ることは無くなった。
カチャリとカップをテーブルに置く音が聞こえる。
「あまりに深く眠っているので、少々やりすぎたかと反省をしていたところですよ。」
そして少しずつ近づいてくる足音に、私の意識もはっきりとしてくる…。
「…奏楽。」
男は、優しく、囁くように呼ぶ。
それは……
私の名―――
「おはようございます。」
男は、私の傍らに腰を落とすと、覆いかぶさるようにすり寄ってくる。
そして…そっと私の頬に手を這わす。
私の視界は、遠くにあったはずの天井から…
すぐ近くの男の顔へとすり替わる…。
「…手を離せ。」
私は焦点を合わせないまま、顔のぼやけた男に囁く。
頬に触れている男の手がピクリと反応すると、ゆっくりと離れていく。
だがその瞳は、鋭いものに変わり、離れたはずの手は再び私の頬へ戻る。
パシィ――ンッ!!
「ッ!!」
私の頬へ鈍い痛みが走る。
同時に、私の視界から男の姿は消え、その端には男の手の甲が見える。
容赦なく振り切られた男の手は、ゆっくりと私の視界から消えていく。
「何度言えば…わかるんだ。」
男は静かに告げると、私の顎を強引に掴み、己の顔を近づける。
私の頬は赤く腫れ、口元からは黒い血が流れる。
「その反抗的な瞳も、態度も、嫌いではないが…。
この寛大な私でも、それに我慢ができないこともある…。」
息がかかるほどの距離に近づいた顔。
背けたくても、顎をつかまれ自由はない。
私は視線だけでも逃れるように、少しだけ瞼を伏せた。
「わかっているのだろう?お前には選ぶ権利などない。お前に触れるのも、私の自由だ。」
男は、更に顔を近づけてくる…。
男の柔らかい髪が、私の顔に当たり不快感は増すばかり。
「お前の主人は誰だ?」
男はペロリと、私の口元から流れる血を舐めた。
「奏楽。」
―――気持ち悪い。
「答えなさい。」
私は、目を閉じる。
だが目を閉じたところで、これが現実。
静かに息を吐き出し、男と目を合わす。
「 」
私の口が、その男の名を辿る。
―――アキヅキ―――
男の口元が、卑しく笑う―――。
こんな日々が……終わることなく、繰り返される―――。
「入りなさい。」
私は、秋月に促され部屋へ入る。
そこには、椅子に座った男が居た。
「秋月さん。」
嬉しそうに秋月の名を呼ぶ男。
少しダメージのあるジーンズに、Tシャツとパーカー姿。
大きな瞳を輝かせながら、秋月の元へと小走りに近づいてくる。
その姿…まるで飼いならされた犬の如し…。
「遅かったじゃないですかぁ!」
あの秋月に接する態度とは思えない姿…。
尻尾を振りながら、キラキラと瞳を輝かせ、主人に媚びている様な…。
私は、少し意外に感じながらも黙って二人のやり取りを見つめる。
「聞いてくださいよ、秋月さん!
ボク、待ってる間にイロイロ考えたんですけどね?
やっぱ、温かモノと、冷たいモノを混ぜるのは難しいと思うんですよ…。
って言うか、絶対的に火を…『元橋!!!』
「!!!?」
弾丸のように捲し立てながら話をする男を、秋月が一喝する。
突然の大声に、元橋と呼ばれた男の体がビクンと大きく跳ねた。
「余計な話は、後にしろ。」
人差し指で、眼鏡をクイッと持ち上げながら元橋を睨む。
対する元橋は、先ほどとは打って変わって…
首を下げ、茶色い髪が顔にかかり表情こそ見られないが、消え入りそうな声で謝罪の言葉を述べる。
「…すみま…せん…。」
秋月は、小さなため息をつくと私へ向き直る。
「奏楽。紹介しましょう。」
そう言いながら私の腰を押し、彼の前へと進ませる。
「元橋 一樹くんだ。」
顔を上げた元橋は、私へ向けて微笑む。
「こんにちは、奏楽ちゃん。」
へへっと笑い、右手を差し出してくる。
「…。」
「…あれ?…握手だよ?あ・く・しゅ!」
言いながら、元橋は私の手を掴み、半ば強引に握手をしようとした。
その途端―――
バチィィィィィィィィィィン!!!
「うわぁぁぁぁぁ!!!!!」
「くぅ…・っ!!!!?」
「何!?」
元橋の手が、私の手に触れた瞬間、ショートしたかのように激しい火花が散る。
繋がれた元橋の手からアツい熱が流れ込んでくる。
体中に電気が流れていくような違和感を感じ、その電流に締め付けられるように体が熱い。
「元橋!手を離すんだ!!」
秋月が叫ぶ。
しかし、元橋の耳には届いていない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その表情は歪み、瞳の色がうっすらと消えていく…。
「くぅっ!!」
私は、思い切り元橋の腹を蹴った。
「ぐふっ!」
ドガーンッ!!
苦痛の声を上げた元橋は、私から離れて勢いよく壁へ激突する。
「奏楽!」
秋月が、私の顔を覗き込む。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
今のは、一体何?
息を整えながら、捕まえられた自分の手を見る。
特に何も変化はない。
あの熱や、痺れるような痛みは一体…?
理解できない反応に、固まっていた私は、伸びてくるその手に気付かなかった。
「はぁ…はぁ…はぁ…なっ!!!」
見つめていた手を、突然、秋月が掴んだ。
私は、先ほどの衝撃を恐れ一瞬たじろいだ。
………
だが、何も起こらない。
私は、秋月を見上げる。
「彼は少し人とは違う。
少しだけ…特別なんだ。そう脅える必要はない。」
そう言うと、私の手を引き部屋の中心へと導く。
「元橋。お前も、いつまで寝ているつもりだ。」
言いながら椅子を引き、座るよう私に催促する。
「イッテー…。」
元橋は、繋いでいた手を握ったり開いたりしている。
そして、もう片方の手で、私が蹴り上げた腹をさすりながら立ち上がった。
「はぁ…奏楽ちゃん。
いくらボクが特別でも…今度からもう少し加減してね。」
はははと笑いながら、元橋も席に着く。
「…。」
私は、元橋の足元を見やる。
部屋の中にいるせいか、光の少ない此処では、彼の影は俄に薄い…。
だが、先ほどの蹴り…確かに少し加減はしたが、すぐ立ち上がれるほど、そんな易しいものではない。
「何か…不満そうですね?」
秋月がニヤニヤしながら、机に肘をつく。
私は驚きを正直に顔に出していたのだろう。
いや、出さずにはいられない。
私は、戦闘において道具を使うことが得意ではない。
だが体術においては、全てを極めた。
その私が…ある程度加減をしていたとはいえ、人間相手に無傷などあり得ない…。
本来なら、肋骨の何本かくらいは折れていても不思議はない。
「ん~? 奏楽ちゃん?どしたの?」
私と秋月などお構いなく、元橋は無邪気に机越しに顔を近づけてくる。
ガタンッ!!
私は、先ほどの衝撃を思い出し、咄嗟に立ち上がってしまった。
「奏楽ちゃん…。」
元橋はシュンと肩を落とす。
「奏楽。落ち着きなさい。」
秋月が立ち上がり、倒れた椅子を直す。
「何を怯えている?彼は、我々の大切な仲間だ。君を傷つけるような輩ではない。」
優しく諭すように話す秋月は、私の後ろから両肩を掴んだ。
「さて、改めて紹介しよう。」
そして、元橋の正面に立たせると、私の耳元に顔を近づける。
「神宮 奏楽だ。
神宮一族ともども、大いに力を貸してくれる…同志だ。」
「…っ!」
私は、唇を噛みしめ顔を背けた。
すると秋月は、私の顎を掴み顔を上げさせる。
視線は元橋とぶつかった。
「彼は、普通の人間だ。君が勘ぐっている様な輩ではない。」
元橋は、私へ向けて微笑んでいる。
「ただ、少しばかり他と違うのは…。」
秋月は、私の耳元で囁く。
「彼は、他人の能力を吸収するらしい…。」
「!!?」
へへへっと、元橋は先ほどと変わらず微笑んでる。
「能力を…吸収…。」
ゴクン。
私は湧き上がる一抹の不安に駆られながら、生唾を飲む。
秋月が、元橋に向けて尋ねる。
「元橋。先ほどの蹴り…。」
鼻で笑いながら、
「効いたかい?」
ニヤリと口角を上げた様子は、横から私の反応を楽しんでいるのがわかる。
元橋は、ポリポリと頭を掻きながら答える。
「いやぁ…さすがに痛いのは、痛いんですけどね…。でもまぁ…。」
真っ直ぐこちらを向いた元橋。
「何だかさっきので、力入りまくっちゃって…身体が自然に『強化』してたから。
まだ、セーフっす!」
ニカッと大きな口を開けて笑う。
「…だ、そうだ。」
秋月は、私を開放した。
元橋の口から語られた『強化』の意味が理解できない。
理解できたのは、その『強化』により…
私の蹴りを―――防いだ―――
元橋は、ただの人間。
だが、その…ただの人間が、私を…
死神であり…神魔の血を引く私を…
凌駕しているとでもいうのだろうか―――
考えただけで、気が狂いそうになる。
こいつ等は…本気で『神』と争う気なのだ…。