哀 -Fear- 5
竹林の生い茂る山奥に、草臥れた社が佇む。
その社の中には、緋色の瞳をした姉妹の姿。
板の隙間からは冷たい風と、少しの光が二人を照らす。
「姉さん…。」
夜真は横になったまま、生気の失せた声で壁にもたれ掛るように座っている未耶を呼ぶ。
普段の活発で、ハツラツとした夜真からは想像できないほど、弱弱しい姿。
未耶は、伏せったまま応えを返さない。
その顔に、依然までの凛とした様子はない。
二人は着衣も乱れ、あちこちに泥や埃がついている。
いたる所に見えるのは、深くえぐれた傷跡。
赤黒い血と、すでに腐朽が進んできた箇所には膿も混じる。
夜真は手を付きながら起き上がると、四つん這いになりながら未耶の元へ近づく。
未耶の膝を揺らしながら、もう一度声をかける。
「姉さん…姉さん!!」
未耶はゆっくりと顔を上げると、少しずつ焦点がハッキリしてくる。
そして、その顔はゆっくりと崩れていく…。
口元を振るわせながら、瞳から涙が溢れる。
「…や…ま……。」
そう言うと、未耶は夜真をきつく抱き留める。
夜真も、しっかりと未耶の背中に手をまわす。
「姉さん……姉さん……姉さん……。」
夜真は力のない声で、何度も未耶を呼び続ける。
その度に、未耶は夜真を抱きしめる腕に力を込めた。
―――――――――――――――――――――――――
襲撃を受けてすぐ、二人は薫の命で早紀と共に郷を離れた。
「早紀様!こちらへ!!」
三人が向かった先は、竹林の奥にあるこの社だった。
此処には、隠された祠がある。
神宮だけが知り得る、他の侵入を一切許さない結界の中。
そこはすべての世界から隔離された場所。
二人の家系は、代々この祠の番人として神宮に仕えていた。
夜真は少し辺りを見回すと、その社がある敷地内の一角に立つ。
腰の後ろに差してあった二本の棒を取り出すと、それを繋げるように合わす。
未耶も同じく、腰に下げていた二本の棒を取り出すと、夜真と同じように自身の目の前で繋げるように合わす。
二人がそれぞれに構えた棒は、その形を槍へと変えた。
未耶は夜真と少し距離を置き、正面から向き合うように立つ。
そして二人は、槍を両手で体の正面に持つと深く地面に突き刺した。
『我、水槍の力を宿し番人を司る者なり』
『我、地槍の力を宿し番人を司る者なり』
二人が声を発した途端、夜真の持つ槍は水に包まれる。
そして未耶の持つ槍は草の蔦が絡まる。
『『開門!!』』
二人が声を合わせると―――。
未耶の持つ槍に絡まっていた蔦がアーチを描くように扉の形を造る。
そして、その扉には波打つように水が張られる。
蔦はウネウネと蠢き、膜のような水は扉の向こうに見える景色を映しながら揺れている。
祠への門が出来あがると、二人は槍を納めた。
「早紀様。お早く。」
夜真が早紀を見ながら、促す。
黒髪を結い上げ、淡い紫の着物を上品に着こなした早紀は郷の方角を振り返る。
「えぇ。ありがとう。」
そう呟くと少し目を伏せたが、意を決したようにその扉へと足を進めた。
未耶と夜真もそれに続くと、その扉はパァンと大きな音を立てて弾けた。
扉を抜けた三人は、石の壁に包まれた細く薄暗い階段を下りていく。
未耶は懐から小さな花を取り出すと、その蕾をポンと人差し指で軽く弾く。
すると少しずつ花弁が開き、その中には明かりが灯る。
「行きましょうか。」
ニコッと微笑む未耶に、早紀はありがとうと返す。
夜真もフッと微笑むと、先に立って階段を下りていく。
暫く進むと、大きな扉が現れる。
夜真はゆっくりと、その扉を開けた―――。
扉の向こうから眩しい光が射してくる。
その眩しさに、三人は思わず目を逸らす。
そして、その光の先に見たものは―――。
『ようこそ。』
「「!!」」
そこは、二人が知り得る空間とは異なる場所。
どこかの崖の上…だがその景色はまるでこの世の風景とは思えない…。
赤黒い雲が空を覆い、至る所で雷鳴が響く。
立ち込める空気はとても陰湿で、重苦しい。
そして、目の前には大きな翼の生えた男が微笑んでいる。
黒い衣を身に纏い、目深に帽子をかぶっていて表情はよく見えない。
二人は咄嗟に、早紀を庇うように前に立ち槍を構える。
だが、男は警戒する様子もなくクククと手で顔を覆い、笑いだす。
顔の端まで口は裂け、その端からは白い牙が見える。
『いいねぇ。理解できないって顔してる。』
覆った指の間から、二人を見据える。
その赤い瞳は、怪しげに赤く揺れている。
「くっ!!」
男の瞳を見た夜真は、槍を持つ手がガタガタと震えだし、体中から汗が噴き出ていた。
『あぁ~…ますます、いいねぇ…。怯えてるんだねぇ?可愛いなぁ…子猫ちゃ~ぁん。』
言いながら、男はニイッと笑う。
未耶もいつになく険しい表情のまま、目の前の男を睨む。
「あなたは誰?」
問い詰めるような未耶の言葉に、男の顔からフッと笑いが消えた。
そして先ほどまでと違い、低く響く声で、未耶の瞳をじっと見たまま小さな声。
『そういう顔は…好きじゃない。』
男が黒衣をバサッと揺らすと、その内側には無数の医療道具が取り付けられている。
そして、ケケケッと不思議な笑いを浮かべると、両手にメスを握る。
『強く、勇ましく、誇らしく、自分が正しいと正義に満ちた顔…。』
男は俯くと、少し前かがみになり、前後にフラフラ揺れる。
『あぁ…壊したい…その顔を苦痛に歪めてぇ…恐怖と絶望に追い詰めてぇ…。
バラしてぇ…バラしてぇ……バッラバラにバラしてやりたくなるよぉ~!!!』
男は、最後は吠える様に叫ぶ。
「夜真!早紀様と戻って!!」
未耶は、夜真に向かって叫ぶと同時に男に向けて飛び出す。
「姉さん!!」
「はぁ―――!!」
ヒュッヒュッヒュッヒュ―――
未耶は男へ向けて槍を突き出す。
だが、男はニヤニヤと笑いながら紙一重のところでゆるりとかわす。
『いいねぇ。的確に急所を突いてくる…すばらしいよ。』
「クッ!」
未耶は唇を噛みしめると、槍を地面に突き刺し、それを軸に男に向かって蹴りかかる。
「やぁ!!」
パシッ!!
男は未耶の足首を片手で受け止め強く握る。
『お行儀の悪い足だねぇ。』
男はペロリと唇を舐める。
「クッ…!」
未耶は足を引き戻そうとするが、ビクともしない。
『さぁて……死神の解剖も悪くない…。』
裂けた口元は大きく笑みを帯び、その瞳はキラキラと楽しげに語る。
「離せぇ―――!!!」
男の後ろから夜真が槍を振り下ろす。
ピタッ…。
「!!」
男は、メスを親指と人差し指でつまんでいる。
その中指と薬指の間に、夜真が振り下ろした槍を挟んで…。
そしてやはり、夜真がどれだけ力を込めようと、その槍はピクリともしない。
『解剖はぁ…』
男の声は少しずつ低くなり、その顔も険しくなる。
未耶の足を掴んだ手に力を入れると、そのまま放り投げ、後ろに居た夜真も槍ごと吹き飛ばされる。
「んんっ…!!!」
「くぁあ…!!!」
仰向けに倒れた未耶と、うつ伏せに倒れた夜真。
どちらも体制を立て直そうと立ち上がろうとした時―――。
ヒュンヒュンヒュンヒュン―――
トストストストストストストス―――
「きゃあぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」
「うわぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
未耶と夜真の体をメスが貫通し、二人は悲痛な叫びをあげる。
男は然も楽しそうに笑うと、
『順番じゃないとぉ、途中で腐っちゃ…研究できないでしょ~?』
苦しむ二人を楽しげに見下ろす。
『いいねぇ、いいねぇ、ホ~ントにいいよぉ~。』
その喜びを堪えられないのか、体をクネクネと揺らしながら二人を眺める。
そして、ゆっくりと未耶に近づく。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
『まずはぁ…君が先だったよねぇ~。』
男は、う~ん…と少し考える素振りをすると、未耶に刺さっているメスを指で辿る。
掌、腕、脇腹、太もも、臑―――。
そのどれもが、未耶の体を貫通し、深く地面に突き刺さっている。
『コレなんか、どうかな?』
男は未耶の太ももに刺さったメスをさらに奥へと押し込む。
「ぎゃあぁぁぁぁあぁぁぁ!!」
未耶は悲鳴にならない声を上げる。
男は、お~…というと、刺さったメスを一気に引き抜いた。
「はぅっ!!」
そして、メスについた血をペロリと舐める。
『ふぅん…味は、あんまり変わらないねぇ…。』
そうして立ち上がり、見つめていたメスを先ほどと同じ位置。
未耶の太ももを狙い投げる。
「あ‶ぁあ‶ぁぁぁぁぁ…。」
「姉さん!!」
夜真は地面に這いつくばった状態のまま未耶を呼ぶ。
その衝撃で、夜真の体に刺さったメスから血が噴き出る。
「くあぁ!!」
今度はその声に釣られるように、男は夜真の体を眺めながらゆっくりと近づいていく。
肩、腕、太もも、足首―――。
近づきながら、少しずつ口角が上がる。
その時―――。
「そのくらいにしておきなさい。」
凛とした声が響く。
その声に、未耶も夜真も、男も一瞬動きを止めた。
男は、声の主へと振り返る。
その男の前には、早紀が立ちふさがる。
「早紀様!!お下がりっ…」
「誰がここまでしろと言った?」
言いかけた未耶の台詞は、早紀によって阻まれた。
その言葉に、二人は戸惑いを見せる。
「早紀…様…?」
早紀は、そんな二人など知らん顔のまま、男へ近づくと…
パチ―――イン…
男へ向けて鞭を振り上げた。
そして、男の帽子が宙を舞う…。
男の頬が赤く腫れていく…。
「私は、迎えに来いとは言ったけれど…彼女たちに手を出していいとは、言ったつもりはないわ。」
―――ロジェ―――
これまで聞いたことのないような低い声で、早紀は男の名を呼ぶ。
未耶と、夜真の表情は次第に引きつっていく…。
ロジェは傷跡を確かめるように、片手で頬を摩る。
『ノヴァ…。』
そう呟いた男の足元に、早紀はさらに鞭を打つ。
パチィン―――
「馴れ馴れしく、私の名を呼ばないで。」
そう言い放つ早紀の顔は、先ほどまでと同一人物とは思えないほど歪んでいた。
「それに…今の私は『神宮 早紀』よ。」
そして、わざとらしく、ふぅっとため息をつく。
「それにしても…これじゃ、今までの苦労が水の泡ね。」
『だったら始末すればいい…。』
ロジェは、言いながら口元に怪しげな笑みを浮かべる。
「…どういう…こと…ですか…?」
夜真は二人を見上げながら、信じられないという顔を向ける。
だが早紀は、夜真に視線を落としただけで何も答えない。
「早紀…様…?」
夜真はもう一度、早紀の名を口にする。
すると、早紀はニコッと微笑む。
「夜真、あなたは良い子ね。
この現状を目の当たりにしても、まだ私を信じている。
それとも、この現実を受け入れられないだけかしら?」
早紀は、結い上げていた髪を降ろすと、軽く首を振る。
「そんな甘い考えだから、いつまでもくだらない正義を掲げられるんだわ。」
そして、着物の帯を外した早紀は一瞬で黒いロングドレスを身に纏う。
「帰って、薫に伝えなさい。私は……死んだ…と。」
夜真は彼女の言葉を理解できないままでいた…。
だがそれは、やはり彼女の言うとおり…現実を受け入れられなかったに過ぎないのかもしれない…。
「…裏切った…のね…。」
未耶が小さな声で呟く。
ノヴァは、未耶の方を向く。
「未耶…。」
ノヴァは静かに鞭を振り上げると、未耶に刺さったままのメスを一つ弾く。
「あぁっ!!!」
その衝撃で、メスは未耶の身体を抉りながら吹き出した血と共に飛び上がる。
ノヴァは口元に笑みを浮かべながら、
「自分たちだけが、正義だとでも思っているの?
『裏切った』なんて言葉、よく言えたものね…。」
パシ――ン!
「くあぁっ!!」
ノヴァはもう一つ弾く。
未耶は苦痛に顔を歪める。
「何も知らない未耶に…一つ良いことを教えてあげましょうか?」
そう言いながら、ノヴァはロジェと共に二人から離れていく。
「あなた達のご両親。」
「「!!」」
両親という言葉に、夜真もノヴァを見つめる。
「私たち神宮のために、本当によく尽くしてくれたわ。だから、せめて……。」
ノヴァは挑発的な微笑みを浮かべると、口元をパクパクと動かす。
「 」
二人は目を見開く。
―――苦しまないように、殺してあげたわ―――
「早紀―――!!!」
未耶が叫ぶと、地面から生えてきた緑の草木が、未耶の体を押し上げ、メスは体を完全に貫通する。
だが、未耶は痛みなど感じないように、自由になった身体でノヴァへ向かって槍を走らせる。
「フフフ…あはははは…―――。」
高らかな笑い声と共に、ノヴァはロジェと姿を消した。
ガクンとその場に崩れ落ちる未耶。
ぼんやりとした視界に夜真が見えると、我に返ったように走り出す。
「夜真!!!」
未耶は夜真に近づくと、メスを引き抜く。
「うわぁあぁぁぁ!!!」
悲鳴を上げる夜真。
「もう少しだけ…我慢してっ!!」
そう言うと、夜真の体に刺さっているメスを抜いていく。
すべてのメスを抜き終えた頃には、夜真の意識は朦朧としていた。
だが、その薄れゆく意識の中…夜真が呟く。
「かあ…さん……。」
未耶は夜真を強く抱きしめると、夜真はそこで意識を手放した…。
―――――――――――――――――――――――――
二人は、ノヴァたちが去った後も、この社から動かないままでいた。
一頻り泣き叫んだ夜真が落ち着いた様子を取り戻すと、ポツリと話す。
「姉さん…神宮は、どうして迎えに来ないんだろう…。」
そして抱き合ったまま横になる。
「ここは、神宮の中でも限られた死神しか存在を知らないわ。
それに…ここに迎えが来ないってことは、郷も無事ではないってこと…。」
未耶は目を閉じる。
「当主の妻である早紀様が居るはずの祠を…何の連絡もなしに放置するなんてあり得ないわ。
朱雀ですら迎えに来ない……郷に何かあったと考えるのが妥当でしょうね。」
夜真も、ゆっくりと目を閉じる。
「…父さんたち…どうなったんだろ…。」
未耶は夜真を抱きしめる腕に力を込めた。
そして、優しく髪を撫でる。
「もう少し傷が癒えたら…一度、郷へ戻りましょう。」
未耶の言葉に、夜真は小さく頷く。
「ねぇ、未耶…。」
夜真はゆっくりと顔を上げる。
未耶は瞳を閉じたまま、ん?と小さく返事を返す。
「奏楽は…奏楽は無事かな?」
夜真の視線を感じながらも、未耶は瞳を閉じたまま、何も答えない。
「あの人……奏楽の…母さんなんだよね…。」
夜真は目を伏せる。
「言えないよ…。」
夜真は未耶の胸に顔を埋める。
「奏楽が傷つくようなこと……言えない…。」
震える夜真の声。
「夜真…。」
未耶はそれ以上、何も言わなかった…。
そして…二人はそのまま眠りについた―――。