哀 -Fear- 4
奏楽がラウレストと姿を消してから数日―――。
「よぉ、朱雀。調子はどうだ?」
机に向かい、書状を書いていた朱雀が顔を上げると、開かれたままの襖から戒がひょっこり顔を出す。
「あぁ、戒。私なら、大丈夫だ。すまないな、部屋を借りてしまって…。」
「そんなこと気にしてんなよ。どーせ余ってんだから。」
入口にもたれ掛り、手を振りながら応える戒。
朱雀もフッと口元が緩む。
「それで、神門の被害はどう…わっ…!」
筆を置こうとした朱雀は、誤って書状の上に墨汁をひっくり返す。
おまけに慌てていたため、机の端に束ねていた書類に腕をぶつける。
パサァ…。
書類は、戒の足元まで散乱した。
「…大丈夫……ね…。」
戒は小声で呟くと、散らばった書類を集める。
「…すまない。」
朱雀も図体に似合わぬほど、消え入りそうな声で謝る。
はいっと、集めた書類を朱雀に私ながら、戒は首をポキポキと鳴らす。
「結構、笑えないね…。」
戒は、鳴らした首を摩りながら座り込む。
「俺たちが戻った時、郷の中で倒れてた人影は…みんな消滅済み…。
残ってるのは、任務で外出してた連中だけ。」
そう言うと、胡坐をかいた膝の上に肘をつき、首を擡げる。
「郷も一周してきたけど、神門だけじゃなく、神柱も神社もほぼ壊滅。」
神柱と、神社とは、神宮一族として神門と同じく傘下に加わっている死神一族だ。
「ただ、神社だけは…例の研究所に張ってあった結界のおかげで、他に比べると人的な被害は少ない。」
戒は、焦点の合わないまま一点を見つめている。
「はぁ…一体…どんなヤツ相手にしたら、こうなんのよ…。」
「戒…。」
戒の姿を見ながら、朱雀も顔を歪める。
「で?此処はどうなってんの?」
戒は眼鏡をクイッと上げながら朱雀に尋ねる。
「…。」
朱雀は思いつめた表情のまま、口を噤んでいる。
「朱雀?」
戒は肘をのけると、朱雀へ向き直る。
朱雀は、大きなため息を吐く。
「薫様は…まだ意識は戻らないが、容体は落ち着いてきている。」
戒は黙って朱雀を見つめる。
「あれから秋月たちも面会には来ていない。
こちらからの面会要請の書状を送ってはいるのだが…一向に返事もない…。」
戒は墨汁のかかった書状に目を移す。
「他の連中は?」
戒の言葉に深い意味はなかった。何気に口をついた言葉。
だが、朱雀はクッと息を詰まらせる。
「……神宮は………全滅だ…。」
「なっ!そんな…っ!……神宮だって、任務で出てた連中もいただろう!?」
戒は声を荒げて朱雀に問い詰める。
だが…朱雀は目を瞑り下を向くと、力なく首を振る。
「……誰も……帰ってこない…。」
「!!?」
朱雀の言葉に口を開ける事しかできない戒。
「…どういう…ことだよ…。」
愕然とする戒。
だが、突然思い出したように口を開く。
「そうだよ…未耶と夜真は!?あいつらはどうしたんだよ!?」
朱雀は静かに首を振る。
「恐らく…早紀様と共にこの場を離れたのだろうが…。その後の消息は、全くつかめない…。」
「そんな…。」
早紀とは、奏楽の母親である。
未耶と夜真は普段から、主に早紀の身の回りの世話を担当していた。
もちろん早紀を守るのも二人の役目。
だが早紀と共に、二人の消息も途絶えている…。
二人の間に、長い沈黙が流れた―――。
「真様は…?」
呟いた朱雀は、顔を上げると戒を見つめた。
戒も顔を上げるが、両手を広げて肩を竦める。
「傷は大したことなかったから、何ともないんだと思うんだけど…。
精神的なダメージが大きすぎたみたい。」
戒は眼鏡を外すと、はぁーっと息を吹きかける。
ポケットから一枚の布を取り出すと、眼鏡を挟む。
「真が何を見たのかは…俺にもわからない…。
でも、目の前で…そらちゃんを連れて行かれたんだ…。」
はぁーっと息を吹きかけながら、眼鏡を擦る。
「見ていることしか出来なかった…そう考えると、俺も少しは真の気持ちがわかるけどね…。」
戒はへへっと苦笑いをしながら眼鏡をかけなおす。
「戒…。」
朱雀は戒を見つめたまま、それ以上何も言うことができなかった…。
「さてっ…。」
言いながら立ち上がる戒。
「済んだことは、なんだかんだ言ったって、どうしようもないっしょ。」
んーっと両手を上に伸ばす。
「指導者は不在、大事な姫は奪われる。
兵士も不足、状況の把握すら困難。
おまけに敵方には相手にもされず、何の進展もなし…。
はぁー…前門の虎に、後門の狼…ってね…。」
伸ばした手を頭の上で組み、朱雀へ首を傾げる。
「窮鼠噛猫。」
朱雀がポツリと呟く。
だが、戒の表情は不満げに引きつっている。
「おぃおぃ…僕たちネズミかよ…。」
「では、目には目を…歯には歯を…。」
あぁ…と戒は、うんうんと首を縦に振る。
だが、頭の上に組んでいた腕を降ろすと…
「っつーか、いつから聖書論者になったわけ?そもそも、解決にならねーし…。」
と、朱雀を訝しげに見つめる。
朱雀は、ははっと笑うとゆっくり立ち上がり、羽織を手に取る。
「とりあえず…薫様の意識が戻り次第、郷の者を集める。
それまでは、郷の復興と、体制を立て直すのが先だ。」
「どっか行くのか?」
戒が不思議そうに尋ねる。
「あぁ。」
短く答えた朱雀は、羽織を口に咥えると器用に肩にかけ袖を通すと、足早に部屋を出ていく。
「朱雀!」
戒は咄嗟に朱雀を呼び止めた。
ゆっくり振り返る朱雀。
「一人で…背負うなよ…。」
いつになく真剣な表情で朱雀を見つめる。
「お前一人で何とかなることと、そうでないこともある。
真といい、そらちゃんといい…お前らみんな、何で全部一人で背負い込もうとするんだよ…。」
戒の言葉に朱雀は、ハッとする。
そして顔を曇らせる…。
「神宮は……。
残された神宮は……私と薫様だけです…。」
それを聞いた戒は、キッと唇を噛みしめると朱雀の胸ぐらを掴む。
「…んだよ、ソレ…。」
朱雀は、戒の手を離そうと掴まれた腕を握ろうとした時…。
「だったら俺たちは…神宮に仕えてる俺たちは何だよ!!!」
大きな声で戒が怒鳴る。
「俺らは……神宮の死神と…何か違うのか!?
神宮の死神じゃなけりゃ…何もできないのか…。」
戒は、掴んでいた胸ぐらをさらに強く押すと、そのまま倒れこみ朱雀の上に馬乗りになる。
「…何のための…郷だよ…。何のために…群れてんだよ!!
頼りにしてんだろ!?俺のコト!!
言えよ!話せよ!!…………仲間だろ!!!」
「戒…。」
言い終えた戒は、朱雀のシャツを力強く握る。
朱雀はそのまま体の力を抜き、宙を見上げる。
「そんなつもりじゃないんだ。誤解を招いたなら謝る。
ただ…これは……私の我儘。」
戒は朱雀を見つめている。
「私は、生まれた時から神宮のために生きてきた。
これからもそれが続くのだと、当たり前のように生きてきた。だが、その結果が…これだ…。」
朱雀は起き上がると、戒も朱雀の上から離れ隣に座る。
「私は、薫様や奏楽様の一番近くに居たのに…。
大事な時には…本当に必要な時に…私は二人の傍にいなかった…。
神宮のために生きてきたなんて言いながら…。
なんとかなる…なんて今考えれば、どうして思えたか……自分の不甲斐なさに、心底呆れるよ。」
「…。」
戒は黙ったまま朱雀の話を聞いていた。
すると朱雀が突然、戒の頭をグシャグシャと撫でまわす。
「わっ!? ちょっ…おいっ…朱雀っ!!」
わしゃわしゃと撫でられた戒の頭はボサボサに乱れている。
それを手ぐしで直しながら、戒は笑う。
「いい歳して、ガキだねぇ…。」
朱雀もつられて笑う。
「ガキに言われたかねーよ。」
立ち上がった戒は、朱雀に手を伸ばす。
朱雀はその手を掴み、立ち上がる。
「暫くは、そらちゃんの身に危険があることはないだろうよ。
やっと手に入れたんだ…簡単には壊さない。」
「なら良いが…。」
戒の言葉に、朱雀は晴れない表情を浮かべたまま応える。
「来世は待つべからず、往世は追うべからず。」
戒が人差し指を宙に向けて胸を張る。
「荘子…ですか。」
朱雀の答えに、戒はニコッと笑う。
「そういうコト。とりあえずは、出来るとこから…ね。」
朱雀も少しだけ、口元に笑みを浮かべる。
「私は、未耶と夜真を探してきます。
神宮の捜索には、近隣の郷へも伝令を飛ばしてはいますが…。」
「じっとしてらんないんだろ?」
戒は、朱雀の言葉を遮るように言う。
朱雀は、少し驚いた表情を見せたが、小さく頷いた。
「オーライ。じゃあ、真のことは、僕に任せて。
別に塞ぎ込んでるわけじゃないし、寧ろ朱雀と一緒でじっとしてらんないんだと思う。
昼間は、バカみたいに空元気振りまいて復興手伝って…夜になると何処かへ消えてる。
まぁ、アイツの行きそうな所くらい目星はついてるけどね。」
戒は片目を閉じてウインクしてみせる。
「それから、さっき周ってきた時に、神柱と神社の方でもリーダー格に向きそうなのを何人か選んでる。
それぞれに作業は振り分けてきてるから、こっちも心配ないよ。」
朱雀は、呆気にとられている。
「返す言葉もありません…。」
「何それ…厭味?」
戒は怪訝な顔で朱雀を見る。
フルフルと首を振るう朱雀。
「とにかく…もし本当に…郷の外にいた死神まで全滅に追いやられてるんだとしたら…。」
戒はゴクリと生唾を飲む。
「恐らく相手は一人じゃない…。」
神宮の一族だけに絞るという手間をかけ、各地に散り散りになっている死神たちを追跡するなど並大抵のことではない。
二人の脳裏に、キースの姿が思い出される。
そして、キースが仄めかした『契約者』。
だが、それでも二人だけの仕業とは到底思えない。
朱雀もしっかりと頷く。
「残念だが、薫様の推測どおりだな。」
―――奏楽が向こうの手に渡れば、我々の存在は邪魔になる―――
「だから……。」
戒が、朱雀の胸にトンと拳を当てる。
「僕も連れてけよ。」
「戒!!」
「言っただろ?……朱雀は俺が守る。」
戒の瞳には、朱雀の左肩が映る。
「頼りに…してんだろ?」
戒はニッと笑うと、朱雀の横をすり抜けていく。
「日が暮れる前には郷へ戻っておくべきだ。時間がもったいねーから、早く行こうぜ。」
「か…。」
朱雀は戒を呼び止めようとしたが、口を噤む。
そして、ホッと息を吐くと、戒の後へ続いて行った―――。