哀 -Fear- 3
バァ―――ン!!
ネイトとヘルが微笑み合っていると、勢いよくドアが開いた。
「ラウ!早く!!」
バーニャの怒号が響く。
声をかけられたラウレストは、ゆっくりと部屋の入り口へ向かって歩いてきている。
「バーニャ…。もう少し、静かにドアを開けられませんか?」
ネイトが少しため息交じりにバーニャを見つめる。
その後ろでは、ヘルが少し怯えたようにネイトの陰に隠れている。
「あら?それは大変失礼いたしました。…だったら、後ろのア・レ!」
そう言って、バーニャは部屋の中へ入りながら親指をラウレストへ向ける。
「あんたが連れてきなさいよ。」
べーっと舌を出し皮肉げに答えると、わざと大きな音を立てて椅子を引き、ドカッと座る。
「まったく…。」
今度は大きくため息をついたネイトは、扉から姿を現したラウレストへ視線を向ける。
「ラウレスト。久しぶりですね。」
「ラウ~!!!」
隠れていたヘルが、ラウレストへ駆け寄り抱きついた。
「ネイト。ヘル。」
そう呟いたラウレストは、腰に抱きついてきたヘルの頭を撫でてやる。
ヘルはエヘッと、ラウレストへ向けて微笑む。
「ヘルは、本当にラウレストが好きですね。」
ラウレストは、ヘルに手を引かれ椅子へ座る。
その様子を見ていたネイトが、ラウレストの隣に座るヘルに話しかける。
「うん。ラウ、大好き!!
そういえば奏楽ちゃんの手も、ラウと一緒で暖かいなぁ。」
そう言うと、ラウレストの手に頬擦りをする。
「何か、奏楽ちゃんと同じ匂いがするかも。」
ヘルの言葉に反応したのは、バーニャだった。
「そういうの、気持ち悪いからやめてよヘル。
死神と同じ匂いなんて考えただけで虫唾が走る。」
バーニャはグラスの水を一気に飲み干し、強く握りしめたグラスには、ヒビが入った。
ヘルは口元を押さえ、瞳を泳がせている。
その様子にラウレストは、ヘルの頭を優しくなでながらネイトへ問う。
「その話か?」
ネイトも、ヘルに優しく微笑み、ラウレストへ向けて答える。
「ええ。」
ネイトは一瞬、表情を曇らすと、
「あれ以来、秋月は奏楽との接触を続けているようです。」
ラウレストはピクリと反応する。
「それが原因かはわからないのですが…このところの奏楽は危険です。」
「危険?」
ラウレストは短い言葉を返しながら、ネイトに続きを促す。
「あくまで、ヘルの予知の中で。…ですが。」
ラウレストはヘルへ視線を移すと、ヘルは力強く頷いた。
ネイトは続ける…。
「秋月の件で奏楽をこちらへ連れてきて以来、ヘルは予知の中で、奏楽と過ごす時間が減っています。
これまでより、奏楽の意識に同調できる機会は増えているというのにも関わらず…。
原因としては、奏楽の意識がかなり深いところまで堕ちてしまっている…と考えるのが妥当でしょうね。」
「…意味わかんないんだけど…?」
バーニャは、先ほどまでの態度とは違い、真剣な眼差しでネイトへ尋ねた。
だが、それに答えたのはヘルだった。
「奏楽ちゃんは、眠りたくて眠ってるんじゃないんだよ。
いつも泣いてて、声をかけても気づかないんだ。
このままだと、奏楽ちゃん戻ってこれなくなっちゃうんだよ。大変なんだ!」
ヘルは悲しげに瞳を潤ます。
「…ヘル。」
バーニャは顔をしかめる。
「?」
ヘルは、どうしたの?と言わんばかりに不思議そうな顔をしている。
「お姉さんはね。
だから、それがどうして大変なのかを聞いてる・の。」
バーニャは、ヘルのおでこを軽く突く。
「ふぁっ…。」
ヘルは、おでこを押さえながら、眉間にしわを寄せた。
それを見ていたネイトが、バーニャとラウレストへ向けて話し出す。
「奏楽の意識へ同調できる時間が増えているのは、先の件の後から…奏楽の意識が無意識の状態になる時間が増えているためです。」
「無意識…?」
バーニャがネイトの言葉を繰り返す。
ネイトは、コクリと頷くと続ける。
「意識の空間と違い、無意識の空間とは言葉のとおり、自分の意志とは関係のないところで活動している意識。
そして、その無意識という意識は、通常は自分の意志で操作することができない意識。
バーニャも忘れたい記憶や、見たくないモノというのがありませんか?」
突然の質問に、バーニャは少し戸惑いながら頷く。
「自分を守るための防衛本能とでも言いましょうか…。
そういうモノは無意識である意識が、勝手に消してくれたり、本当は視野にあるのに、その存在を消してしまっているんです。あたかも存在しないかのように…。」
「…ネイト。」
バーニャはポリポリと頭をかきながら、少し照れくさそうに言う。
「ワリィ…。結局、どういうコト?」
ネイトは、フフッと笑う。
「奏楽やヘルたちは、眠っていたり、気を失っていたり、無意識の時に予知を見ます。
本来、無意識であるために操作することのできない意識を、彼らは己の意識と結びつけることで予知として垣間見ている。
己の力が強ければ強いほど、より鮮明に無意識の記憶を呼び起こすことができます。
そして相手の意識の波長さえ掴めれば、他人の無意識の空間へ移動することもできるんです。」
ヘルは、うんうんと頷きながらネイトの話を聞いているが、バーニャは顔を顰めている。
「奏楽が無意識の空間にいることが長くなっているのは、ヘルを通して奏楽の予知を見ることが多くなっていることから明らかです。
問題なのは……その空間の中でヘルが声をかけても気づかないということだ。」
「気づかない?予知は見えているのだろう?」
ラウレストがヘルに尋ねる。
「うん。もちろんだよ。
でも…僕は自分で見ようとして予知を見ることができないから…。」
ヘルは、少し申し訳なさそうに眉を下げる。
「だから、よく奏楽ちゃんの予知には同調してたんだ。
奏楽ちゃんの予知はかなり鮮明だし、ほとんど狂わないから。」
ヘルは立ち上がると、ラウレストの膝の上に座る。
「奏楽ちゃんはいつも、こうやって僕を膝の上に座らせてくれてお話するんだ。
話の内容は、奏楽ちゃんの予知とは関係ないことばかりなんだけど…。
その日の出来事とか、明日は何するとか……奏楽ちゃんの好きなこと教えてもらったり…。」
そこまで話すと、ヘルは涙を流しながら話す。
「でもね…そ…らちゃん…ヒッ…ヒック…。
もう何日も…ヒッ…何も話してくれなくて…ヒック…。
見えてるのに…壁…みたいなのが…うっ…予知も…ヒッ…何も見えなくて…・。
まっ…くらな…ヒック…何もないとこに…ヒック…奏楽ちゃん…ひと…り…うっ…で…。」
涙声に詰まらせながら、一生懸命話すヘル。
ラウレストは、膝の上に座るヘルを優しく抱きしめる。
ヘルはそのまま泣き出してしまい、ラウレストの胸に顔をうずめる。
「ヘル、ありがとう。あとは私が話そう。」
ネイトはヘルに微笑むと、ラウレストとバーニャを交互に見つめた。
「ただ眠っている状態よりも、気を失っている状態の方が無意識空間は広く、深い。
だが、今の奏楽の状態は、『気を失っている』…だけで説明がつくような許容量ではない。」
そして、悲痛な表情を浮かべる。
「本来、奏楽程の力があれば、自身の意識に他人の意識が同調してきていることに気付かないはずがない。
だが、奏楽は気付かないどころか…ヘルが呼びかけても気付かない。
奏楽の意識がこのまま無意識よりも下層に堕ちてしまう場合…。」
―――奏楽は消滅する。―――
「「!!?」」
ネイトの言葉に、室内にはシンとした空気が流れる。
「…消滅…。」
ネイトの言葉を、ラウレストが繰り返しつぶやく。
「このままでは、本来の意識空間を保つことができなくなり、奏楽は二度と目覚めない。
そして…自身の意識空間を制御しきれなくなり……意識の闇に…取り込まれてしまう。」
バーニャは目を伏せ腕を組んだまま、ネイトの話を聞いている。
ラウレストはヘルを抱きしめる腕に力を込めた。
「肉体的に消えてしまうわけじゃない。
だから死んでしまうのとは違うが…簡単に言えば、『生きた人形』。」
ネイトは、大きなため息をついた。
ネイトの話では―――
意識の底にある闇の部分は誰もが持っている。
嫌なことがあって落ち込んでいたり、恐怖や、怒りなどの負の要因は、全て闇の部分が影響しているらしい。
だが、誰もが持っているだけに、それほど大きな存在ではないのだが…。
奏楽やヘルのように、予知の能力を持つ者は、持っている闇の部分が他に比べて何倍も大きい。
闇に沈んでしまう、呑まれてしまうと、自身の意識は崩壊する。
考えることも、感じることも…意識を保つことも出来なくなる。
ただ、存在するだけの生き物と成り得てしまうのだ。
ネイトはゆっくりと立ち上がる。
「意識が消滅してしまうと、元には戻れない。
というより、元に戻る方法がわからない。
だから、ヘルに…なるべく奏楽と頻繁に接触を取ってもらい、少しでも意識を保てるよう、気にかけてもらっていたんだが…。
まさか、ここまで急速に堕ちていくとは思わなかったよ。」
窓際に立ちながら、ヘルを見つめる。
「ヘルだって、幼い容姿をしているが…生きている年数は、我々と変わらない。
ヘルは無意識のうちに成長を止め、自分が意識の闇へ堕ちてしまわないように保っている。」
バーニャもヘルを見つめる。
その瞳は、いつものからかうような眼差しとは違った。
優しく包み込むように…
「奏楽やヘルが抱える闇。
それが、能力を有しているためのリスクだとするならば…あまりに大きなリスクだ。」
ネイトが話している間、俯いていたヘルは、自分に向けられた視線に気づく。
そして心配をかけまいと、ネイトとバーニャに柔らかい微笑みを返す。
「だけどさ、あの死神をどうするの?
助けるったって、秋月がいるんでしょ?」
バーニャは、ヘルからネイトへ向き直り首を傾げる。
“秋月”という言葉に、ラウレストが反応する。
それに気づいたネイトが、ラウレストへ向けて問う。
「ラウレスト…。」
ラウレストは、ネイトを見つめ返す。
暫くの沈黙が続いた後、ラウレストは静かに答える。
「…わかっている。」
そう答えたラウレストを見つめるバーニャとは反対に、ヘルはラウレストの胸に蹲る。
ネイトは、申し訳なさそうに続ける。
「ラウレストには、無茶なことばかり押し付けているな…すまない。」
「ちょ…ちょっと待ってよ!どういうこと!?
あたしにもわかるように説明してよ!!」
バーニャが立ち上がり、机を叩く。
一瞬の静寂の後、口を開いたのはヘルだった。
「ラウ…。契約……『解除』する気なんでしょ?」
その言葉に、バーニャは一層表情を歪ませる。
「どういうこと!!?
あの死神のために、ラウが…解除って……なに!?」
大きく声を荒げるが、誰も答えない。
「ふざけてんの!?…そんなことしたら!」
「バーニャ!!」
言いかけたバーニャを、ネイトが止める。
ラウレストはバーニャを見つめ、
「俺はそのために、此処に居る。」
いつもと変わらぬ表情のまま静かに告げると、何事もなかったかのようにヘルの頭を撫でる。
ヘルはラウレストの胸に顔を押し付けながら、肩を震わしている。
バーニャは、ゆっくり椅子に座ると、
「ラウは、何のために秋月と契約したのよ…。
もともと、そういう計画になってたの?知らなかったのは、あたしだけってこと…か……。」
ポケットから煙草を取り出すと火をつける。
いつものバーニャからは考えられないほど、消え入りそうな声だった。
ヘルは俯いたまま、首を大きく振った。
そして、言いにくそうに続ける。
「僕は…そんなの知らない。
でも……でも…奏楽ちゃんの予知を覗いたときに…ラウを見たんだ。」
ヘルは顔を上げ、ラウレストを見つめる。
その瞳からは、すでに涙が溢れていた。
「その時のラウには……。」
ヘルは、ラウレストの胸元をギュッと握る。
「翼が…………無かったから…。」
その場が静まり返る。
バーニャの咥えた煙草から、静かに灰が床へと落ちた…。
声を発したのはネイトだった。
「ラウレスト。一度、秋月の元へ戻ってくれ。
あいつがお前のことを気にしていないとは思えない。
もしかすると、解除もヤツの念頭には最初からあったのかもしれない。」
ラウレストはヘルを抱き上げ膝から下すと、立ち上がり、扉へ向かう。
「あぁ。わかっている。」
コツコツ足音を立て扉へ向かったラウレストが、ドアに手をかけたまま立ち止まる。
そして、背を向けたままつぶやく。
「これは俺が望んでやっていることだ。あんたたちが気負う事じゃない。」
そう言うと、ラウレストは去って行った。
そして、その背中を見送る3人は
ラウレストへ何も返すことができなかった…。