哀 -Fear- 2
薄暗い部屋の中…。
窓さえないその部屋では、時間も日にちの感覚さえも分からない。
ここへ来て、何日が経っただろうか。
父様や真…郷が、あの後どうなったのかも知らない。
戒や朱雀は無事だろうか…。
未耶と夜真は、両親のことを失って何を考えただろう。
そういえば、母様の姿は見えなかった…無事でいてくれるのだろうか…。
そうして、何日も、何日も…閉じ込められた部屋の中で同じことを繰り返す…。
最初は抵抗もした。
自分の身を守ろうともした。
逃げることも考えた。
――奏楽――
頭の中に、秋月の声が響く…。
全てムダなんだ……
――何故お前が此処に居るかを考えるんだな――
考えたさ…
――自分は生かされていると知れ――
知ってるよ……だから、お前たちも生きている…。
何をされようと、どう言われようと…
踏みつけ、虐げられようと…
流した涙を、拭われることもなく…
震える体を、抱きしめてくれることもなく…
暖かい温もりを、感じることもない……
希望を持つことが、こんなにも歯痒く、腹立たしいとは思わなかった…。
全てがムダだと悟った時…
死ぬことさえ許されない状況でも…
生きることに意味があるとしたら…
私が此処にいれば…
もう何も壊れない…
何も見えず…
何も感じず…
何も変わらない…
私は、自分を守るために…今、こうして生きている―――。
己の命が終わりを迎える時まで―――。
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ラウレストは、高層ビルの上から街を見下ろしていた。
少し離れた場所から、女がラウレストに呼びかける。
「ラウ…何やってんの?」
「…。」
ラウレストは呼びかけに答える様子もなく、動かないまま街を見下ろしている。
「はぁー…。ったく。人がどれだけ探し回ったと思ってんのよ?
聞いてんの?ラウ!!」
それでも、執拗に声をかけてみるが、ラウレストに反応はない。
「…ムシかょ。」
女はラウレストに近づくと、咥えていたタバコを吹かしながら隣に立ち、同じように街を見下ろした。
「相変わらず、クールだねぇ。」
ラウレストをからかうように、女はニッと口角を上げる。
「バーニャ。何の用だ?」
ラウレストは、街を見下ろした視線を変えることなく尋ねる。
バーニャと呼ばれた女は、赤茶の髪をポニーテールに束ね、デニムのショートパンツに黒革のジャンパーを身に着けている。
足元はブーツ、両脇には2丁の拳銃をさげている。
口から白い煙を吐きながら、ラウレストに応える。
「ここから何が見えんの?
人間の日常なんて、毎日毎日同じコトの繰り返し。
なーにが楽しいんでしょうねぇ?」
ペッと唾を吐き捨てると、タバコを足で踏み消しながらつまらなさそうに話すバーニャ。
「で…。それを何時間も此処で見つめられるあんたの思考も…」
バーニャは人差し指を突き出すと銃のような形にし、ラウレストの胸へと突き立て、上目づかいにラウレストを見つめる。
「お姉さんには理解できないわぁ…。」
バァンと言って、人差し指を空へ向ける。
ラウレストは黙ったままゆっくりと目を閉じると、
「…用がないなら、俺は行く。」
と、バーニャを無視して、振り返るとスタスタと歩き出す。
「ちょっ…ちょっと待てよ、ラウ!!」
慌ててラウレストの後を追うバーニャ。
「用もないのに、こんなトコ来るかよ!
ネイトが呼んで来いっていうから来たんだって!!」
ラウレストの足が止まり、バーニャへ振り返る。
「何の用だ?」
「知らないよ。行ってから聞けば?
ってか、あたしもヘルも呼ばれてんの。全員集合?」
バーニャは少し首を傾げる。
そして、ニヤニヤ笑いながらラウレストへ近づくと、挑発するように続ける。
「秋月とは関係ないみたいよぉ?あくまで、ネイトからの指示。」
その言動にラウレストは、いかにも不機嫌な声を上げる。
「…どういう意味だ。」
バーニャは、ラウレストを見上げながら尋ねる。
「あんた、あれ以来戻ってないんだって?
秋月……尋常じゃないくらいキレてるけど?」
「俺には関係ない。」
再び、去っていこうとするラウレスト。
「あ・の・ねぇ!」
バーニャは、ラウレストの前へ回り込み、詰め寄る。
「こっちから言わせてもらえば、あんたのせいで、とばっちり喰らってんの!
少しは責任感じたら!?」
「…。」
何も答えないラウレストに、バーニャは視線を落としながら問いかける。
「…あの死神と…何かあったの?」
言い終えたバーニャの表情は、微かに歪んでいた。
それに気づいているのか、ラウレストは先ほどまでと変わらぬ態度でバーニャの横をすり抜けながらも、軽くバーニャの頭に手を乗せた。
「お前には関係ない。行くぞ。」
ラウレストはスタスタと先を歩いていく。
そんなラウレストの後姿を見ながら、バーニャは触れられた頭を押さえながらため息をつく。
「もぉ…。ホント…勝手なヤツ…。」
小声で言いながら、バーニャもラウレストの後に続いた。
山の高台にある大きな屋敷。
その一室で、机の上に頬を寝かせて、退屈そうに水の入ったグラスを指でつついている少年が声をかける。
「ねぇ、ネイト。」
少年の向かいに座っていた男は、読んでいた本から顔を上げ、少年へ振り向く。
「なんだい、ヘル?」
グラス越しには、紫の大きな瞳が、ネイトと呼ばれた男を見つめていた。
その少年、ヘルは、少し目を伏せると少し口を尖らせた。
その姿はまだ幼子で、男の子ながらに可愛らしいとさえ感じてしまう。
「僕は、いつになったら…奏楽ちゃんに会えるのかな?」
ネイトはパタンと本を閉じると、かけていたメガネと一緒に机の上に置く。
ゆっくり立ち上がると、ヘルの傍へ近づき、その金色の柔らかい髪を優しく撫でた。
「ヘルは、奏楽が好きなんだね?」
「うん。大好きだよ。」
ヘルは起き上がると、太陽のような笑顔で答える。
「まだ、会ったこともないのに?」
ネイトが少し意地悪く聞くと、
「違うよ。何度か会ってるもん!」
今度は、怒ったように頬を膨らます。
「それは、ヘルの世界でだけだろう?」
「…う~……。」
返す言葉のなくなったヘルの大きな瞳には、みるみる涙が溜まっていく。
その様子に、堪えきれなくなったネイトが笑い出す。
「ははは。ごめん、ごめん。
ヘルを泣かすつもりはないんだ。悪かった。」
ネイトは、ヘルの隣に腰掛けながら頭を撫でる。
深い藍色の髪は短く整えられ、ほどよい筋肉が細身のスーツの上からよくわかる。
緑色の瞳は、優しいまなざしをヘルへ向ける。
「もうすぐ、ラウレストたちが来る。
そうしたら、もう一度ヘルが見た予知の話を聞かせてくれるかい?」
泣き出しそうだったヘルの表情は一変し、
「うん!」
大きく頷いた。