悲 -Cries- 2
「……。」
あたしは走りながら、真の話を黙って聞いていた。
「まさか、向こうが『悪魔』と手を結んでいたとまでは考えていなかった。
薫様がどこまで予測していたはわからないが、こんなことになるくらいなら…。」
真はあたしの隣を走りながら、唇を噛みしめる。
そして、今にも消えてしまいそうな声でつぶやいた。
「奏楽…すまない…。」
真はあたしの顔を見ないまま、ただまっすぐ走り続けている。
真が誤らないといけないことなんて、何もない。
それは、わかっている。
「…謝ることなんてないよ。真が…悪いわけじゃない…。」
そう。真は悪くない。
そんなこと、わかってる。
悪いのは…
あたしの力のせいで、秋月は神宮に接触してきたのだとしたら…。
そのせいで、あたしを守るために一族が犠牲になっているのだとしたら…。
だから、真たちは…朱雀や戒は戦っている。
そう思うと、責められるべきは私ではないかと感じてしまう。
「奏楽!」
「!!」
真は走りながら、あたしの手を強く握る。
「お前はくだらないことを考えなくていい。」
真は何も言わなくても、あたしの言いたいことは、いつもわかってくれていた。
だから無理しているのは、伝わっているのかもしれない。
「今回のことは、薫様のご意志だ。それに俺たちも承諾した。
そして、その任務の中で、この事態を回避できなかったのは俺たちの責任だ。」
本当は…訳のわからない状況にも、狙われることへの理不尽な感情も…。
父様や真たちの…あたしの知らないところでの会話も……全てが不安だった。
「お前が苦しむ必要はない。
俺たちは任務だからこうしてお前の傍に居るんじゃない。」
頭の中では、自分を責めているけれど…。
本当は、そうじゃないと言って欲しかった…。
そして、その言葉は……真の口から紡がれる…。
「俺たちには…奏楽が必要なんだ。」
あの時もそうだった。
手に残るのは…生ぬるいベトベトした赤黒い血。
そして…私を見つめる黒い瞳。
私を必要としてくれていたのに…。
私は何もできなかった…。
あの時、私がもっと早く気づいていたら…。
あの時、私がもっと近くにいたら…。
あの時、私がもっとあなたを知っていれば…。
そう責め続けた。
あたしは、涙が溢れそうになるのをグッと堪えた。
「ありがとう。もう、大丈夫。」
そして、真の手を強く握り返す。
「さっきはごめんね。問い詰めるような言い方しか出来なくて…。」
あたしは表向きの情報しか知らないし、それ以上に知ろうともしなかった…。
「話してくれてありがとう。
あたしは、真たちが間違ってるとは思わない。
もし、あたしが父様の立場でも、同じ決断を下したと思うよ。」
この日常が当たり前に続くと勝手に思い込み、朱雀たちの忠告にも耳を貸さなかった。
だけど、その中心に自分がいることは薄々感じていた。
それでも、何も知ろうともせず…あたしは逃げていただけ…。
いつまでも続くと勝手に思い込み、自分を守っていただけ…。
これじゃあ、何も変わらない……。
「奏楽…。」
「あたしを誰だと思ってんの?
これでも、神宮次期当主…。」
あたしは一息置くと、精一杯の笑顔で答える。
「…『神魔(SATAN)の血』を引く死神ですよ。」
ニッとイタズラっぽく笑って見せた。
真は一瞬辛そうな表情を見せたけど、もう一度、あたしの手を強く握り返すと、
「そうだな。」
そう言って優しく微笑んだ。
あたしには、真がいる。
朱雀や戒も、未耶や夜真。父様や母様も、神宮の一族も…。
あたしには、守るべきものがある。
必要としてくれる人たちがいる。
だから、大丈夫。
あたしは、繋いだ手を離さないようにしっかり握ったまま、
「急ごう。」
真の目をまっすぐ見て伝えると、真も頷き、あたしたちは再び郷へ向けて走り出した。
もう同じ過ちは繰り返さない―――。
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神魔(SATAN)という存在は、1000年前消滅した。
死神と人間により作り出されていく世界。
だが、現状を当然とし、それ以上の欲を求めることを必然とする人間たち。
そして、死神たちが姿を消した後…その欲望は止まることを知らない。
やがて溢れ出した黒い欲望の渦は、瞬く間に世界を取り込んでいく。
世界各地の流通が盛んになると同時に、発達した技術は争いを生む。
力を持つ者が崇められ、力なき者は虐げられる。
豊かな森は見る影もなく砂に埋もれ、青い水は黒く濁る。
太古の生物は住処を失くし、世界は人間たちのモノとなる。
その余波は、人間界だけではない。
天上にいる神々や、地獄にいる悪魔にも大きな影響を与えた。
少しずつ…世界は暗く深い闇へと沈んでいく…。
そして……天上より決断は下された。
神々や死神が与えてきた知識が、人間たちに驕りを与えたとするなら…。
その全てを無に還せ…と。
魔界を担う神魔(SATAN)。
同時に与えられた神の名。
『熾天使』
それは、試練を与え『妨げる者』。
神魔により、人間界に試練が下る。
1000年前に世界各地で起こった火山の連続噴火。
大陸は分断され、火山の熱で気温は上昇し、溶けた氷は陸を飲み込む。
流れ出た溶岩は草木をなぎ倒し、爆発の影響で揺れる地面からは地層の泥が溢れ出す。
人々は我先にと逃げまどう。
だが、どこへ逃げようとも、どれだけ時間が経とうとも…その噴火の影響は免れない。
災害、破壊、貧窮、衰弱、病気、抗争、支配―――。
形を変えて、人々を襲う。
そして……大量の悪霊と化した魂は、やがて巨大な一つの魂となる。
―――『ベール・ゼフ』―――
それは、人間たちが生んだ『神』。
人間たちの『負』が集約された魂の力は想像を絶する。
碧かったはずの海は、赤く染まり…
青かったはずの空は、黒い雲に覆われる…
緑だったはずの森は、枯れ果て…
射していた光は閉ざされる…
そして…人間たちは己の欲望から生まれた魂に飲み込まれ、その数は激減していた。
それまで『ベール・ゼフ』の糧となっていたはずの感情は…いつしか「恐怖」と「絶望」だけが支配していた。
この世界は、このまま終わりを迎える。
天上の誰もがそう思った。
だが……
その世界を守る者が現れる…。
―――『死神』―――
本来ならば死神とて神である。
天上での決まりごとに背いた行為であることは言うまでもない。
そして、彼らは神々と共に人間たちの前から姿を消した存在だった。
だが、彼らは人間たちに一番近いところで長い時間を共に歩んだ。
だからこそ、全ての人間がそうでないことを知っている。
愛情、希望、歓喜、懇篤、悲嘆、感動、―――そして欲望。
死が訪れることのない神々とは違い、限りある命の時間を持ち、進化し続ける人間だからこそ持ち得た感情。
その感情は時に美しく、時に醜く見えはするものの…そのどれもが、脆く儚い…。
こんな状況になってまで、『ベール・ゼフ』を残しておく必要があるのだろうか。
人間らしい感情を失った彼らが、このまま生きていく世界を残しておく必要があるのだろうか。
死神たちが人間と共に、守り、築いてきたこの世界の終りが…このままでいいのか…。
人間たちが求める欲望…それは、何のため?
その力を欲する理由は何処にある?
生み出された魂だけが、人間たちの全てではない。
だからこそ、このまま終わらせてはいけない…と。
だが、強大な力を持つ『ベール・ゼフ』。
それを押さえつけるだけの力は、すでに死神たちには無かった。
そして…この試練を乗り越えるべく、死神は再び人間たちに手を貸すことになる。
人間たちが『悪魔と契約』することを―――。
死神である彼らは、同じ神である悪魔と契約することはできない。
だが、霊力の高い人間ならば『ベール・ゼフ』に立ち向かうだけの力を持った悪魔を召喚できる。
しかし、すでに強大すぎるほどの力を身に着けた『ベール・ゼフ』に立ち向かうほどの能力を持つ悪魔など、簡単に召喚できるはずもない。
そこで、人間たちは集う。
力のある者たちを束ね、力を合わせることで召喚を行った…。
そして、召喚されし悪魔―――。
その悪魔こそ…
魔界を統べる王であり、この惨劇を生んだ者。
―――神魔(SATAN)―――
そして、事態は神魔の手により終結を迎える。
すでに『ベール・ゼフ』の力は神魔をも超越していた。
その肉体には、神魔の鉾も、牙も、爪さえも通さず。
その一振りに、神魔は身を引き裂かれる。
引き裂かれた肉体から飛び散る黒血。
『ベール・ゼフ』は二つに裂けた肉体を、更に細かく引き裂いていく…。
足を裂き、腕を千切り、頭を潰す…。
その度に、『ベール・ゼフ』の体に纏わりつく神魔の黒血。
だがその黒血は、少しずつ体を蝕んでゆく。
神魔は己の黒血を媒介に、『ベール・ゼフ』の体を浄化してゆく。
そして―――。
消滅した『ベール・ゼフ』。
消滅した神魔。
『ベール・ゼフ』を消滅させた神魔の最後、契約者である人間たちも命を落とした。
『我らが魂、神魔と共に眠ろう…』
契約者である彼らは…国境も、人種も、規律も、威信も、全てをかなぐり捨てて、生きることだけを己の欲望とし立ち向かった。
だが……人は過ちを繰り返す。
それは、いくら時が経とうと、どれほど苦しい思いをしようと…『欲望』という感情が消えない限り、永遠に繰り返される。
だからこそ、彼らは眠る。
次の神魔が必要になるその時まで…。
それから後、1000年。
以後、神魔が統一していた魔界は『四天王』と呼ばれる悪魔が統治することとなり、世界も少しずつ元に戻り始める。
そして、人間たちは…悲劇を繰り返し……
『神魔』は復活する…。
ソレは、『神魔』の力を持ちながら、悪魔ではなく『死神』として生まれ…人間界で育つ。
これが何を意味するかは、まだわからない。
だが、神魔は復活した。
―――変革を迎える時―――
それは…
―――宿命―――