悲 -Cries- 1
タッタッタッタッタッタッ…
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
あたしと真は、郷へ向けて走り続けていた。
『悪魔』
あたしは彼らが実在するとか考えたことなんてなかった。
神宮次期当主なんて、本当はただの名ばかり。
あたしは戦闘に参加することもなく、真たちが帰ってくるのを待っているだけ。
毎日、ただ普通に平穏な日々を過ごしている。
さっきまで感じていたキースの絡みつくような視線を思い出しながら、前を走る真の後姿を見つめる。
先ほどの様子だと、真たちも悪魔の存在は知っていたようだけど、面識があるような感じではなかった。
悪魔って、一体何者なの?
父様たちは無事だろうか?
朱雀や戒は、あれからどうなったのだろう?
考えても答えが出るようなことは一つもないが、頭の中を巡る不安は膨らむばかり。
「奏楽。」
突然、真に呼ばれて我に返る。
真はあたしの前を走っていたから、その表情はわからないけど、あたしの名を呼ぶ声が少し震えているように感じた。
「?」
「俺たちが…奏楽の所へ行ったのは何故だと思う?」
真の突然の問いかけに少し戸惑う。
「真?」
あたしは誰にも内緒で勝手に家を出た。
だから、あの時何故タイミングよく三人があたしの元へ来てくれたのか。
確かにそれは少し気にかかっていた。
「…悪かったな…。」
「え?」
何に誤っているのかがわからない。
「こんなことになるなら…やはり止めるべきだった!!」
「真? どういう意味?」
真は急に立ち止まると、突然振り返り、あたしを強く抱きしめた。
あたしは真の言動についていけなくて、真から体を離そうとする。
「ちょッ!真ッ!!」
「…すまない。お前を危険な目に遭わせるとわかっていたのに…俺たちは…!!」
その言葉に、あたしは一瞬動きが止まる。
「どういう…コト…?」
まるで、あたしがあの場で何者かに襲われることを知っていたかのような真の言葉。
あたしは、抱きしめられた真の腕を強引に離す。
「答えて!! 真、何を知っているの!!?」
真はあたしから顔を背けたまま、視線を合わそうとはしなかった。
あんな真の顔を見たことがあっただろうか?
悲しみと、後悔と、自責の念に濡れた瞳。
「…ごめん。真を責めているわけじゃないんだけど…。勝手に出かけたのはあたしだし…。」
真は顔を伏せ、進みながら話すと言うと再び走り出した。
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「薫様。真様と、戒を連れて参りました。」
朱雀が、閉められた扉に向かい声を掛ける。
中から入れという薫の声が聞こえ、朱雀は扉を開く。
開かれた扉の向こうは、広い畳の間の中心に薫が腕を組み座っている。
「急いてすまんな、朱雀。真、戒。久しぶりだな。」
薫は、二人に向けて優しく微笑む。
真が薫の正面に座り、戒はその少し後ろに位置する。
「こちらこそ、ご無沙汰してしまい申し訳ありません。」
真が、薫に頭を下げる。
戒は少し頭を下げると、厳しい顔つきで薫に問う。
「僕まで同席となると、状況は芳しくないと察してよろしいでしょうか?」
「戒!! 口を慎みなさい!!」
朱雀が戒を一喝するが、薫が朱雀を制す。
朱雀は納得のいかない顔を浮かべたが、黙って薫の傍らに腰を下ろした。
「事は急いている。簡潔に話そう。」
薫は、一息置き続ける。
「知っている通り、政府の一部から同盟要請がきている。我々とて、この国に身を投じる人間の一人。
今起こっている現状を何もしないで、それ良しとするわけではないが…彼らの話す『同盟』には、国の為の意は感じられん。
それ故、ここまで流れていたが…。」
薫は朱雀へ目をやると、朱雀が立ち上がり、ある雑誌を机に開く。
真と戒は、紙面を覗き込む。
「これは?」
そこには、かつて起こった大災害の裏側と称した紙面。
「それは、1000年以上も昔の災害の話だ。
ただの興味本位の学者の戯言なら、放っておくのだが…。
その記事は『悪魔の生まれた日』として記している。」
薫が差し出した記事には、その昔、連続して起きている火山の噴火について記されている。
一つの火山が噴火したことを皮切りに、世界各地で連発していた噴火が何かを示しているのではないか。
そしてそれは、『悪魔』の誕生を意味しているのでは。という記事だ。
「これに何の意味があるのです?」
戒は少し苛立っている様子で先を促す。
「1000年前。
それは、先代の神魔(SATAN)が消滅した日だ。」
「「!!」」
薫の言葉に、真と戒が驚いたように顔を見合わせる。
「どういう意味ですか?」
真は、真剣な顔で薫を見つめる。
「記事自体は大した問題ではない。
それだけで我等一族との関係性が結びつくとも思えん。」
だが、と薫は続ける。
「それが興味本位な学者の戯言なら…な。著者の氏名を見てみろ。」
そう言われ、真と戒は再び記事を見やる。
『著者 神宮 奏楽』
「!!」
「そんな!!」
そこには、奏楽の名前が記されている。
「もちろん、奏楽本人の著ではない。確認するまでもないが、一応確証も取れている。」
二人が安堵の溜息を漏らす。
だが、二人とは反対に薫の表情は険しい。
「安心などできるものか。
奏楽ではないとするならば、《誰か》の仕業ということになる。」
真がポツリと呟いた。
「秋月…。」
真は紙面から目を逸らさないまま、拳を強く握った。
秋月とは、この屋敷へ来ては薫に《同盟》を持ちかけてきている人間。
現在の国の政党に意義を唱え、この国に変革をと、神宮へも介入を強く望んでいる男。
薫は、傍らにあるキセルに火をつける。
「ヤツの瞳は、腐っている。
口では尤もらしいことを言いながら、一方では欲望と権力をほしいがままに操れるだけの力を欲している。
ヤツが我々に同盟を求める真意はわからんが、恐らくは…。」
大きく煙を吐きながら、開いた紙面を睨み付ける。
「ヤツは、奏楽を狙うつもりなのだろう。」
その場の空気が張り詰める。
「ただでさえ売れないような三流雑誌のコラムで、こんな話を伝えたいんじゃない。
これは我々に向けて直接的に刺激してきていると考えて間違いない。
だが、それは同時に…向こうにも何かしら考えがあると思って良いだろう。」
ただの人間が、死神へ挑戦状を叩きつけている。
そう考えると無謀とも思える行動だが、彼らに何か意図があるのだとしたら…。
真はそう考えながら、険しい表情で薫に尋ねる。
「奏楽の護衛は?」
「必要ない。」
「「!!!」」
薫から帰ってきた言葉は、予想だにしないものだった。
その言葉に二人は一層険しい顔になる。
「薫様。どういうおつもりでしょうか?
奏楽が狙われるやも知れぬこの状況を黙認し、こちらに何のメリットがおありか?」
真が口調を荒立たせて薫に詰め寄る。
「真様!落ち着いてください!!
薫様にもお考えあってのこと。薫様の心中もお察しください。」
朱雀が真を諭すように話すと、真は申し訳ありませんと頭を下げた。
薫は何事も無いように、持っていたキセルを灰皿へと戻す。
「真、すまない。そして、ありがとう。
奏楽のことを考えてくれているのだな。」
そう言いながら真を見つめる薫の表情はとても優しかった。
その表情に少し落ち着いた真だったが、薫の次の一言に再び火が付く。
「護衛はつけぬが、奴等は必ず奏楽と接触を図るだろう。
お前たちは、奏楽を監視し接触を持ってきた奴等を捕えよ。」
「なッ!!それでは、奏楽を囮に使うということですかっ!!!」
真は、先ほどよりも強い口調で薫を責める。
「申し訳ないが、僕も反対させていただく。
何もかも不透明なこの状況で、何もこちらが相手の策に乗ってやる必要はないかと思いますが?」
戒も、嫌悪感を露わにする。
「真様!! 戒!!」
朱雀が止めようとするが、戒が朱雀へ向き直る。
「朱雀。あんたは何も感じないのか?
そらちゃんが狙われているのがわかったところで、相手が何者かも未確定。
目的も何も、何一つわかっていないのにエサを泳がせて釣ろうってのか?」
戒の言葉に朱雀は一瞬息を呑むが、
「何者が…何の目的で奏楽様の名前を語っているのかわからないからこそ、今は待つしかないのだ。」
苦痛に満ちた表情を浮かべたまま戒を見つめる。
部屋の中は、シンと静まり返る。
口を開いたのは、真だった。
「そのために、奏楽は何も知らず囮に使うと…。」
真が、記事に目を戻しながらつぶやく。
「真、戒。
お前たちが奏楽のことを大切に思い、我等神宮一族のことも尊んでくれていることは、よくわかっているつもりだ。
私とて、奏楽が大切でないことなどありえない。もちろんそれは、朱雀も同じだ。」
薫は席を立ち、真の前に座り込む。
「だからこそ、お前たちに頼んでいる。」
「薫…様…。」
「奴等は、我々の存在を…死神として認識している。
そのうえで、これだけの挑発をしてきているとなれば奴等にもそれなりの考えがあるのだろう。」
真の後ろに位置する戒が、薫へ向けて問いかける。
「要するに…奏楽と接触を図る奴等もまた、特殊な人材である可能性があると…。」
「…そういうことだ。
下手な護衛を付けたところで、余計な警戒心を煽るだけで済めば良いが…犠牲が増えなどすれば、それこそ意味はなかろう。」
薫は、真と戒を交互に見ながら話す。
「確かに…仰っていることは理解できますが…。」
真は、やはり納得ができないという表情で下を向いている。
戒も、視線を落とし唇を噛みしめる。
「すまない。
お前たちに頼むことが、どれほど酷か…。私は理解しているつもりだ。」
薫が下を向いた真の肩に手を置く。
「薫様…。」
「真。」
顔を上げた真の目をまっすぐ見て、薫は続ける。
「恐らく奴等は、我々にも手を下すだろう。」
「!! どういうことですか!?」
「奏楽の名前を使い、『悪魔の生まれた日』という名目のコラム。
内容こそ暈してはいるが、秋月は…恐らく奏楽の存在に気付いている。
その上で、我等神宮に同盟を求めていたとすれば…。
万一でも、奏楽が向こうの手に渡れば我々の存在は秋月にとって邪魔になる。」
「なっ!!」
「そんな…。」
真も戒も、あり得ないという表情を見せたが、薫は真剣だ。
「わかるな?
今この状況で確実に奏楽を守ることができるのは、お前たちだけなのだ。」
もう二人には、何も言うことができなかった…。
「真様…。戒…。」
朱雀が、2人を見つめる。
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だから真は知っていた。
あの時、あたしが奴等に囲まれることも…
郷に、何か危険が迫っていることも…
何も知らないのは、あたしだけ…
いや、そもそも知ろうとしなかったのは私だ…。