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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第二十五話 大商人が金貨一万枚より大切にした、一枚の領収書

王都の市場で、小麦の値段が四日間で二倍になった。

倉庫の在庫は減っていない。

それでもパン屋は仕入れを止められ、店先には「売り切れ」

の札が増えていた。

「買い占めだろう」

ライアンが言うと、マリナは帳簿を閉じた。

「そうかもしれない。でも、値上がりしただけでは証拠にならないわ」

三つの商会は同じ日に出荷を減らしていた。

商会長たちは口を揃えた。

「輸送費が上がっただけです。契約違反はしていません」

契約書にも不審な記載はない。

価格を合わせた証拠は見つからなかった。

市場の端で、ライアンはパンを一つだけ買う老婆に出会った。

「孫が二人いるのに、今日は一つしか買えないよ」

「前はいくらだった?」

老婆は財布から折れた紙を四枚出した。

「毎日の出費を確かめるため、取ってあるんだ」

領収書には店名、金額、時刻が残っていた。

マリナはそれを見て、他の店の記録も集めた。

老婆の紙一枚だけで罪を決めないためだ。

同じ日、同じ時刻に、三つの商会の卸値が同率で上がっていた。

「偶然かもしれない」

部下が言う。

「そう。だから次を調べる」

マリナは荷車の通行記録、倉庫の鍵の貸出簿、商人が泊まった宿の帳面を照合した。

三商会の代理人が、値上げの前夜に同じ宿の一室を借りている。

さらに、倉庫番の証言が得られた。

「小麦は十分あった。でも、出すなと言われたんです」

「誰に?」

倉庫番は迷った。

「名前を出したら、家族が困る」

マリナは証言を急がせず、記録を保全する方法を説明した。

「話すかどうかはあなたが決めて。帳簿の数字だけでも調べられるわ」

調査の結果、出荷停止を申し合わせた疑いを示す記録が揃った。

マリナは監督官庁へ提出し、審理を求めた。

けれど、判決を待つ間にも子供たちは空腹になる。

「備蓄を全部無料で配ればいい」

役人の提案に、マリナは首を振った。

「今すぐ食べられない人には食事券を使う。それ以外は輸送費と生産費を踏まえた価格で販売しましょう。農家が来年の種を買えなくなれば、また食料が足りなくなる」

市場の会議には、農家とパン屋も招いた。

「安売りされれば、俺たちの麦が売れない」

「値上げすれば客が来なくなる」

互いの不満がぶつかった。

マリナは、仕入れ、薪代、保管費、運賃を分けて書き出した。

「誰か一人が我慢すれば解決する問題ではありません。まず、どこに負担があるか見えるようにしましょう」

その日のうちに臨時の販売所が開かれた。

残りのパンの数を掲示し、売り切れたら次の販売予定を知らせる。

列に並んだまま何時間も待たせないためだ。

老婆は孫の手を引いて来た。

「今日は三つ買えるかい?」

係員が残数を確かめ、頷いた。

老婆は銅貨を一枚ずつ数え、パンを三つ受け取った。

「今夜は一人一つずつだ」

その笑顔を見て、マリナは幼い頃の自分を思い出した。

ライアンが帰るまでパンを半分残し、明日の食事を心配していた夜。

数字を覚えたのは、少しでも多く買えるようにするためだった。


数日後、監督官庁は商会間の不当な価格協定を認定し、是正を命じた。

倉庫の在庫報告と市場価格の推移を確認できる仕組みも整えられた。

ただし、パンはすぐには元の値段に戻らなかった。

マリナはそのことも掲示した。

「安くなったと言ってしまえば喜ばれる。でも本当の数字を隠したら、また誰かが困る」

夜、マリナは老婆から借りた領収書の写しをライアンへ渡した。

「父さん、これを預かってくれる?」

「金貨一万枚より大切だって?」

「ええ。大きな商会が見落とした、一人の暮らしの記録だから」

ライアンは昔の家計簿をしまっていた木箱へ入れた。

翌週、老婆は新しい領収書を持ってきた。

「前より少し安い。でも、まだ高いね」

「はい。理由を調べ続けます」

「じゃあ、私も紙を捨てないよ」

マリナは笑った。

大きな金額は人を驚かせる。

その翌朝、マリナの商会に三商会の代表が現れた。

「これ以上、領収書を持ち出して騒がないでいただきたい」

代表は厚い契約書を置いた。

今後の麦の仕入れを優先する代わりに、今回の価格操作に関する調査協力を打ち切れという。

「取引がなくなれば、あなたの商会も損をするでしょう」

若い帳簿係が青ざめた。

今月の仕入れが止まれば、従業員の給金も危うい。

マリナも即答できなかった。

商会には、守らなければならない家族がいる。

「少し考える時間をください」

代表は笑った。

「賢明です。金貨一万枚の取引を失う必要はない」

夜、マリナはライアンに契約書を見せた。

「父さん。正しいことを言って、うちの人たちを失業させるかもしれない」

ライアンは答えを押しつけなかった。

「お前が守りたい人の名前を、一人ずつ思い出してみろ」

マリナは従業員の顔を浮かべた。

市場でパンを買えなくなった老婆の孫も、同じ町で暮らしている。

「守る相手を、片方だけに決めたくない」


翌日、彼女は従業員を集め、取引停止の危険を説明した。

秘密にして自分だけで決めれば、また同じことを繰り返す。

「別の仕入れ先を探そう。給金を遅らせない方法も一緒に考えてほしい」

倉庫係が手を挙げた。

「昨日、領収書を見せてくれた老婆の息子は、隣町で小麦を運んでいます」

調べると、その運送組合は空荷で帰る荷車を持っていた。

運賃を抑えられれば、別の農家から買い付けられる。

三商会の代表は再び訪れた。

「決まりましたか」

「調査は止めません。それから、あなた方に仕入れを独占してもらう必要もなくなりました」

マリナは新しい運送契約の写しを置いた。

代表の顔から笑みが消えた。

「そんな小さな組合で、王都の需要を賄えると?」

「全部は無理です。だから複数の農家と契約します。安さだけでなく、来月も届くことを確かめながら」

彼女は老婆の領収書を取り出した。

「この紙がなければ、私は値上げを『仕方のないこと』で済ませていたでしょう」

代表は反論できず、契約書を持ち帰った。

処分の手続きは監督官庁で続く。

だが市場には、新しい荷車が入り始めた。


数日後、老婆が店を訪ねた。

「金貨一万枚を断ったんだって?」

「まだ損になるかもしれません」

「でもね、今日は孫二人にパンを一つずつ買えたよ」

老婆は新しい領収書を差し出した。

値段は少しだけ下がっていた。

マリナはそれを受け取り、初めて肩の力を抜いた。

一枚の紙が巨額の契約より大切なのではない。

その紙に記された暮らしを、巨額の契約のために見捨てないことが大切だった。

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